「ご遺体は初夏まで東京の火葬場へ搬送した」 東日本大震災で全国から霊柩車を出動させた業界の苦闘 – イザ! (iza.ne.jp)
12年前の東日本大震災では死者・行方不明者が2万2000人を超え、東北地方で火葬が追い付かず、東京で荼毘(だび)に付された遺体もあった。
搬送は5月のゴールデンウイークを過ぎても続いた。
霊柩(れいきゅう)車の業界団体「全国霊柩自動車協会」(全霊協、1054社)は当時、自治体から要請を受けて東北全域で約1000体の遺体を運んだ。
搬送計画を担当し、自らも被災地に入った全霊協の勝基宏部長(61)に、広域搬送が行われた経緯や実情を聞いた。
阪神大震災の教訓
――平成7年の阪神大震災では、神戸市の4斎場53炉の能力を上回る火葬が続き、熱さで扉が膨張して閉まらなくなったときいた
神戸では、火葬場の施設自体が地震で損傷してしまっていた。想定を超える数のご遺体に向き合う大災害は、広域の対応が欠かせない。ところが、阪神・淡路大震災では兵庫県西宮市を前線拠点にしたが、自治体にわれわれの知名度がなくて、思い通りに動けなかった。
その反省から、災害時の遺体搬送協定を平成8年から事業の柱とした。現在、202の自治体と締結をしている。
――警察、消防、自衛隊のほかに、皆さんは民間で遺体搬送の知見を持っている
加盟会員の98%が葬儀会社。それ以外にも、棺を作る指物師やドライアイスの団体など、ご遺体の扱いを知る人たちがいる。餅は餅屋。協会が主体で搬送と火葬をすることで、特に岩手県でスムーズな協力体制が組めた。
「渡った橋が、帰りにはなかった」
――平成23年の東日本大震災で現地入りした経緯は
3月11日から緊急出動可能台数を調べ始め、北海道の会社が函館に集って、霊柩車とともにフェリーに乗り込んだ。 14日、警察庁から都道府県警へ「霊柩車に対する緊急通行車両確認標章」の交付が要請された。 16日、岩手県の要請を受け、17日、遺体安置所から火葬所へ遺体の搬送が始まった。
地元岩手に加え、青森、秋田、新潟、群馬、埼玉、千葉、東京から計97社が岩手の被災地へ入った。それによって搬送数は17日の10人から、38人、53人、63人と日を追うごとに増えた。宮城県には青森、山形、茨城、栃木、東京、神奈川、山梨の40社が出動した。
――見知らぬ土地で長距離の運転だった
雪道は、北海道の会員が大活躍した。困ったのは道路の寸断。行くときに渡った橋が、帰りにはなかったことも。応援の警察官たちも、苦労して迂回していた。
霊柩車は大きい。それが軽乗用車がやっと通るような細道もゆく。2人1組の乗務を徹底して、安全を確保した。休暇も交代できちんととった。寒い季節、幸いなことに、ご遺体の傷みが少なかった。
岩手県では、他県から盛岡へ応援に入った車が、宮城県境の陸前高田で遺体を受け取り、内陸部を山に沿って北上。青森県境で火葬して、陸前高田へ遺骨を届け、盛岡に帰庫するまで1日の走行距離が734キロに達したケースもあった。
――身元不明者が多かったときく
阪神・淡路大震災は圧死が多く、現場が特定できて身元も判明していた。それに対して東日本大震災は水死で、砂地で見つかっても別の地域から流されてきている。
遺体安置所では、名前の代わりに番号が振られていた。「C-52」など、自治体から聞いた番号のご遺体を探して火葬場へ搬送する。悲惨だったという記憶しかなく、私はいまも津波の映像を正視できない。みんな悲しみを抱えながら、黙々と使命をまっとうしていた。
搬送数が少なかった福島
――東京電力福島第1原子力発電所の事故の影響は
福島は別の状況だった。原発事故の影響が予断を許さず、情報も乏しい。協会として加盟各社に出動をお願いできるか? 従業員の安全は? 万が一、被曝したとき、家族への説明は? 議論があったなか、長野の13社が手を挙げてくれた。
毎日、県庁に放射線レベルを確認して搬送先を決めた。風向きによって安全と思われる火葬場を選んだが、一度だけ、危険区域(発災当日の11日に発出された、原子力緊急事態宣言下での警戒区域)に指定されて運び込めなかった。
福島県ではご遺体の搬送数が少なかった。危険区域に、救助要員を含む、多くの関係者が立ち入りできなかったからだ。
――火葬後の遺骨は
自治体は、着衣や所持品などがあれば番号とともに保管している。遺骨は、私たちは自治体にお返しするが、寺へ納めるケースもあった。
――自治体からの全霊協が要請を受けて搬送した総数は
業界団体の全霊協が自治体の要請を受けて運んだのは986体だが、実際はもっと多い。例えば、現地の町長さんが「炉が空いたから運んで」と直接、依頼したり、ご遺族が自宅へ搬送を頼んだりした数は含まれていない。
要請自治体 | 要請期間 | 延べ出動車両数 | 搬送遺体数 |
岩手県 | 3/17~3/25 3/26~4/10 | 655 | 662 |
宮城県 | 3/21~3/28 4/9~4/19 | 176 | 180 |
福島県 | 4/23~4/29 | 27 | 24 |
東京都 | 4/28~5/31 | 82 | 120 |
合計 | 940 | 986 |
――実際には1000人を超えている?
はるかに超えている。
ゴールデンウイーク前後から東京にも
――東京への搬送はどのように始まったのか
暖かくなり、被災地では行き先が定まらないご遺体がまだ数多かった。石原慎太郎・東京都知事(当時)が受け入れを表明し、4月28日、東京への搬送が始まった。
トラック1台に約20体ずつ乗せて、夢の島(東京都江東区)へ運ばれてくる。霊柩車へ1体ずつ乗せ換えて、四ツ木斎場(同葛飾区)や臨海斎場(同大田区)へ運んだ。液漏れしないように棺をビニールコーティングして、霊柩車に乗せる。四ツ木さんで焼ききれないときは臨海斎場へ運ぶなど、協力して行われた。被災地から東京へ120体を搬送した。
――東京へ運ばれたのはどのような方々だったのか
ほとんどが、身元不明者だった。家族全員が津波で流されると、引き取る身内がいない。
番号だけのご遺体に、私はしばらく地下鉄などに乗るたび、いま被災したら番号になるのかなと、周囲の乗客の顔を見ながら考え込んだ。車両のような限られた空間は所持品もあるから、いま思うと、身元は分かりやすいんですけれど。
東京へトラックで運び込まれた番号のご遺体も、震災発生前にはそれぞれの人生と暮らしがあったはずだ。
訓練が今後の備えに
――被災地では遺体の安置場所が不足し、300人以上の遺体を土葬して、火葬時に掘り起こす仮埋葬地もあった
宮城で掘り起こす映像をテレビで見た。加盟企業の中には「そのまま埋めておくのがよかったのでは」という声もあった。私もそう思う。
――土葬で?
そう、数が追い付かないから埋めて、準備ができたら掘り起こすのではなくて、地区を確定して特別な許可を得て、埋葬したままとする方法もあった。加盟会員は埋葬の専門家たちなので、そんな声もあった。
――大災害が発生すれば、自治体は生存者の救出や、1日数十万食の食料確保と避難所への輸送に加えて、遺体の保管も急務となる
遺体の搬送は、大きな災害では避けることができない。南海トラフ地震では、建物が免震構造でも、建物ごと津波に飲み込まれかねないと私たちは警戒している。
最近、愛知県の加盟会員が、自治体の訓練に車両も出して参加した。何事も備えが大事。
東日本大震災では、待機の体育館が停電して寒かった。いつ災害が起きても乗り越えられるように、こちらへ戻ってから石油ストーブを買った。
――電力不要で、暖をとりながら煮炊きもできる
今年の「3月11日」は土曜だから、ぜひ家庭で備えをみんなで確認する機会にしたいですね。
(聞き手・牛田久美)
勝基弘(かつ・もとひろ)
昭和36年、熊本県生まれ。日大歯学部付属歯科技工専門学校などを経て、平成3年に協会へ。道路交通法改正で、伝統的な装飾の「宮型霊柩車」が存続の危機となったときは、加盟会員や専門家とともに外装基準の適用除外を国に対して求めた。自治体との災害時協定の締結や講演なども担当。
全国霊柩自動車協会(全霊協)
貨物自動車運送事業法によって許可を受け、遺体搬送を行う運送事業者の全国組織。本部は東京都新宿区。日常の葬儀葬祭に加えて、自然災害、大規模な事故にも対応。これまで日航機羽田沖墜落事故、信楽高原鉄道追突事故、JR福知山線脱線事故、御嶽山噴火災害などへ出動。東日本大震災では190社、延べ940両が力を尽くした。