サバイバーズ・ギルト(Survivor’s guilt)という言葉をご存じだろうか?
2011年3月11日の東日本大震災から、まもなく12年(13回忌)。
震災直後から福島県に入り、支援を続けてきた筆者は、「周りが皆、亡くなったのに、自分だけ生き残ってしまった」と、自分を責める言葉を現地で何度も聞いてきた。
「あの時、しっかりと抱きしめておけば、津波に飲まれなかったのに」
「○○は自分が殺したんだ。助けられた命を、俺は見捨てたんだ」
せっかく、津波で奇跡的に助かったにも関わらず、自分が生きていることを責め続け、閉じこもりや引きこもりがちになり、自ら命を絶ってしまった方を私は何人も知っている。
そのことを、当時を思い起こしながら、今、改めて記してみたい。
サバイバーズ・ギルトに苦しむ人々に向かって、私たちは「頑張って」と声をかけがちである。
しかし、頑張ってと言われた側は、もう既に頑張っている。
うつ病患者に頑張ってと言う事がタブーなように、もうこれ以上、何を頑張ればよいのかと、さらに自分を追い込むことになる。
しかし、日本人の多くは日常的に「頑張る」という言葉を使う。
故に、頑張ってという声を無意識的に発してしまう事もあるだろう。
ならば、せめて「頑張ってるね!」と間に「る」を付けてあげて欲しい。
頑張ってと違い、「頑張ってるね」には「あなたの事を見守っているよ」「応援しているよ」「忘れていないよ」という意味が込められているから。
自分を責めるという意味で、今、心配なのがいわゆるPTSDである。
ロバート・デ・ニーロ主演の映画「タクシードライバー」でも描かれていたが、ベトナム戦争の帰還兵の一部が薬物・凶悪犯罪・路上生活者になった事例がある。
東北の被災地で活動した若い自衛隊は、警察・消防と違い、日常的に遺体を見慣れていない。
変わり果てた凄まじい遺体を目にした自衛隊員の多くは、深刻なPTSDになっていると想像する。
日本の男性、そして中でも特に自衛隊員は「怖かった」「ショツクを受けた」「辛かった」とまだまだ組織内で言いにくい状況がある。
PTSDは、フラッシュバック(過去が突然よみがえる)がある。
その時、誰にも自分の胸の内を話す人がいなければ、ベトナム戦争の帰還兵同様、何らかの形で若い自衛隊員は深刻な影響が出てくるだろう。
PTSDの克服は、自分の思いを語ることだ。
「助けて欲しい」「夢でうなされる」と、自らの苦しみを語ることだ。
人は語ることで救われていく
サバイバーズ・ギルトに苦しむ人々にとって大切なのは、今の気持ちを我慢せずに語ることだ。
そしてその話を受け止めてくれる人がいることが、何より大切なことなのだ。
しかし、現実はどうであろうか?
一方で、震災以降、私の住む東京・新大久保では「ヘイトスピーチ」と呼ばれる行動が問題となっている。
安倍元総理は、ヘイトスピーチについて参議院で「一部の国、民族を排除する言動があるのは極めて残念なことだ。日本人は和を重んじ、排他的な国民ではなかったはず。どんなときも礼儀正しく、寛容で謙虚でなければならないと考えるのが日本人だ」と述べた。
また法務大臣も「憂慮に堪えない。品格ある国家という方向に真っ向から反する」「人々に不安感や嫌悪感を与えるというだけでなく、差別意識を生じさせることにもつながりかねない。甚だ残念だ。差別のない社会の実現に向け、一層積極的に取り組んでいきたい」と述べた。
しかし、それらの発言後も新大久保界隈ではヘイトスピーチは行われ続けている。
サバイバーズギルトは、生き残ってしまったという自責の念を意味するが、ヘイトスピーチは、悪いのはあくまでも他者であり、自分たちの正当性を大声で主張するものである。
震災後、同じ日本人が、一方でサバイバーズギルトに苦しみ、一方でヘイトスピーチを叫ぶことは興味深い。
「震災で私だけ生き残ってしまった」と、自らいのちを絶ってしまうほど自責の念に苦しむ人がいる一方、特定の民族や団体に対して、差別・排除の意図をもって貶め、誹謗中傷、差別的行為を煽動したりする人々がいる。
人間は誰しも、善と悪を併せ持つ生き物である。
そして状況に応じて、人は悪人にも善人にもなれる。
私自身を含めて、どんな人の心の中にも差別心は存在する。
その一方で、自分を責める気持ちが皆無である人もいない。
その度合いが、人によって「大きいか?」「小さいか?」だ。
しかし、震災後、感情の振れ幅が極端な人が増えてきたと言ってもよいだろう。
自分自身の中にある他者への排他性や加害性、そして自分自身を責めてしまう意識を丁寧に見つめるのは困難なことだ。
それだけ人間は複雑で、非合理的な存在なのだろう。