2011年3月11日に発生した東日本大震災からまもなく12年(13回忌)。
震災直後から、筆者は福島県に入り、支援を行った。
「何見てるんだよ、お前。ぶっ殺すぞ!」
私がとある場所で遺体を見つけ、そのご遺体の搬送をしていた時、コンビニから盗みをする集団と目があった。
東日本大震災直後、早朝の被災地。福島県内で筆者が体験した出来事である。
当時は地元の警察も被災し、機能不全に陥っていた。
彼・彼女たちは生きるのに必死だったのだろう。
人はだれしも、状況次第でどんなことでも出来てしまう生き物である。
「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし。」『歎異抄』(真宗聖典 p.634)
という親鸞聖人の言葉があるが、まさに、上記の言葉を痛感した瞬間であった。
また、震災直後、避難所で炊き出しをしていた時の事である。
被災者は 200 名と聞いていたので、私たちは 250 食分のカレーを作った。
炊き出しの配食が始まると、カレーはあっという間に無くなってしまった。
避難所以外の場所からも、炊き出しがあると聞きつけた近所の人が、炊き出しに殺到したためである。
まだ炊き出しの列には 100 人以上が並んでいる。
炊き出しが終了したことを告げると、怒り狂った人々が私たちスタッフのもとに詰めかけた。
私たちは頭を下げ、何度も謝罪した。
しかし、数人の女性が私のもとを取り囲み、私の襟首を掴んだうえで「食べ物の恨みは怖いのよ。覚えていらっしゃい」と言い、唾を私の顔に向かって吐きかけた。
私も含めて、人間は弱い。
状況次第で何でも出来てしまう生き物である。
仮に新入社員時代に「先輩から理不尽ないじめを受けてきた」と仮定する。
辛い思いを味わったからこそ、後輩には同じ思いをさせたくないと考える人もいるだろう。
しかし、私たちの多くは、なかなかそうは考えられない。
自分がされて嫌だった事を、そのまま後輩にもしてしまいがちである。
さらにエスカレートすると、家庭や職場、自分のストレスを、より社会的弱者をバッシングする事で解消しようとする。
そんな状況が蔓延する中、他者に寄り添う事は容易ではない。
「寄り添う」ことの難しさを痛感した現地での言葉を、以下備忘録として掲載しておきたい。
津波で我が子を亡くした相馬市在住の 30 代男性
「寄り添う」という言葉がメディアで飛び交っているけど、簡単にできる事じゃない。家族内でさえ、意見の違う人には寄り添えないのに、まして赤の他人に寄り添うなど、簡単にできることではない。自分を攻撃してくる人に対して、人は寄り添う事など出来ない。何故、人は意見の違いから対立し、お互いを尊重できないんだろう?綺麗事だけが飛びかっている』
南相馬市 50 代男性
『<被災者に寄り添う>とか皆、平気で言う。でも俺が<酒を飲まずにはいられない、もう死にたい>というと、そんなこと言わないでとボランティアは言う。家族も死んで、仕事もない。生きていて楽しいことも何もない俺にあれこれ説教して、分かったような事を言う人が多すぎる』
福島市 40 代男性
『私は津波で家と家族を喪った。さらに原発事故で故郷すらも奪われた。この痛みや苦しみは、経験した人間しか分からない。でも、同じような経験をした人同士でも、全ての感情を分かち合える訳ではない。人の気持ちなんて、簡単には分からない。世の中には分かり合えない事もある』
いわき市 50 代女性
『心のケアって何ですか?専門家と言われている人たちが私達の所に来て、心のケアをしてくれるそうです。ですが、私には必要ありません。心と体は本来、表裏一体のものでしょう。心だけを体から取り出してケアすることなんて出来るのですか?心のケアの専門家と呼ばれる方々は、自分達の職域の拡大のために心のケアを叫んでいるのではないでしょうか?私達、東北の人は、初対面の方にいきなり悩みを話すなんて不得意です。都会と違って、家族や地域といった関係が強い地域ですから、初対面の方には、まず警戒します。それが普通です』
福島県内の行政施設職員 40 代女性
『「○○町と比べて、私が住む○○町の方がマシ」「○○さんと比べると、まだ私の方がマシ」という声を聞く度に悲しくなる。被災者同士が、お互いの立場を超えて助け合わなければいけないのに。自分の方が上か下かで競い合っても仕方ない。人間の業を感じる』
南相馬市 50 代女性
『全国から集まる老若男女のボランティアさんの受け入れコーディネーターをしている。ボランティアさんは、十人十色で多種多様。私利私欲を一切無視して、ボランティアに励む人もいるけど、中には論文を書くため、被災地を自分の研究対象にしか見ていない学者も来れば、何をしたいのか分からないけど、とりあえず所属先の学校から行けって言われたから来ましたという学生さんもいる。自分の主義主張を押し付け、可哀想な被災者を助けてあげるという善意剥き出しのボランティアさんは、こちらのニーズを言っても、全く無視して、自分のやりたいことしかやらない。わざわざ福島まで何しに来たのかよく分からない人もいる。津波で人がたくさん亡くなった場所に集団で来て、ピース写真を撮って帰っていく人は、一体何者なのか?地元に帰って、得意げに被災地を見てきたと語るんだろうけど、こちらとしてはいい迷惑。もう来ないで欲しい』
いわき市 50 代男性
『仮設の見守り支援をしている。全国各地から、傾聴ボランティアの団体がよく来る。被災者の中には、もう外部の人と会うことを嫌がっている人も多い。一見さんの、変なボランティアさんの<おもてなし>をしなければならないことに、皆、疲れている。一方で、今日はこんな話をしてやろうと意気込み、段々と話がオーバーになり、嘘の作り話ばかりをボランティアに得意げに語る被災者もいる。支援を受けることばかり考え、自ら何の行動もしようとせず、被害者意識に凝り固まった被災者も多い。原発に長年、賛成してきたことは、もう忘れ、国や東電からお金をむしり取る事しか考えていない人もいる。支援されることが当たり前になると、人間がダメになるのでは?』
会津若松市 60 代女性
『為政者たちは、私たちのことなんて何も考えていない。地元の人たちからは<税金払っていない奴は文句を言うな。おとなしくしてろ。税金で酒を飲むな>と言う。好きで避難生活をしているんじゃないのに。口では絆とか、頑張ろうとか皆、平気で言うくせに、私たちが働かないでも月に 10 万貰っているから許せないんだろう。国からも地元住民からも見捨てられて、私たちはどうやって生きていけばいいの?先が全く見えない』
寄り添うとことは簡単でない。
私は津波で大切な人を喪った遺族から「あんたは直接的に津波を経験してないでしょう。私の痛みなんて絶対にあんたのような若造には分からないわよ」と言われたことがある。
確かにその通りだ。私は、津波を直接的に経験していない。
だから、津波で大切な方を喪った遺族の気持ちなど、到底分からない。
しかし、分かりたいと思う。
知りたいと思う。分かることは出来なくても、分かろうとする気持ちは伝えることが出来る。
しかし、それは容易ではない。
そんな中、福島で仲良くなった友人が、こんな言葉を教えてくれた
『震災直後、津波に流された兄夫婦の遺体を捜し回っていた時、もう疲れ果てて、途方に暮れていた。そんなある時、遺体安置所で、ボランティアの方が「祈っています」と一言だけ言って、あたたかいお茶をくれたことがあった。後で聞いてみると、その方は、阪神・淡路大震災で家族を亡くされたご遺族だった。本当の痛みと悲しみを知る人は、強く優しい。あの時の恩は一生忘れられない』と。
「祈り」は人間だけが持つ大きな力である。
だが、祈ったからといって亡くなった人が生き返る訳ではない。
しかし、それでも人は祈らずにはいられないのだ。
自分の力ではどうしようもない事態に直面した時、人は祈ることしか出来ない。
私達は、善も悪も併せ持つ生き物である。
時に平気で人を傷つけ、愚かで残酷なこともしてしまう。
しかし、津波で流された遺体を探す遺族に対して「祈っています」という声をかけることも出来る存在でもあるのだ。
そしてその友人は「祈っています」という一言で救われ、その言葉が震災から数年たった今でも忘れられないと言うのである。
祈りは、人を穏やかな気持ちにさせ、生きる力を与える。
だが、我々の社会は祈るということを、あまりに軽んじ過ぎてはいないだろうか?
祈りは同時に、「共感力」とも言い換えることが出来よう。
東日本大震災の被災者だけでなく、世の中には様々な「痛み」を抱えながら生きている人がたくさんいる。
だが、私たちはそれらに「痛み」にどれだけ向き合い、共感することが出来ているだろうか?
家族・地域・会社といった縁が希薄化し、「無縁社会」と呼ばれる現代の日本。
格差社会の中、「お前なんかダメだ」という言葉が至る所で蔓延している。
誰しもが余裕を失いがちで、他人の痛みに「共感」することすら難しい。
自分さえ良ければ、自分の家族さえよければ、自分の会社さえ良ければ・・・・
マザーテレサは、かつてこう言った。
『この世で最大の不幸は、 戦争や貧困などではありません。人から見放され、「自分は誰からも必要とされていない」と感じる事なのです』と。
あなたは今、目の前にいる人の「痛み」に共感できているだろうか?
そして、あなたご自身が抱えている「痛み」に対して、誰か共感してくれる人がいるだろうか?