「人は、誰かから深く愛されることで力を得て、誰かを深く愛することで勇気を得る」と、老子はかつて語った。
人は誰しも愛に飢えている。
愛とは、言い換えると「承認欲求」であるとも言えよう。
誰から必要とされたい、認められたい。自分の事を分かって欲しいと人は願う。
しかし、その願いは、いつも成就するとは限らない。
また、強い愛を求めるが故に、相手を支配しようとしたり、その強い思いが、時に相手への暴力や殺意にまで及ぶこともある。
「家族」と聞いて、あたたかいもの、心の拠り所と感じられる人は素敵である。
しかし、家族から虐待・DVを受けた人も世の中には多数存在する。
「家族だから助けあって当然」という考えが日本には未だ根強い。
だが、家族だからこそ分かり合えない事もある。
世の中の全ての家庭が円満な訳ではない。
そのことを私は東日本大震災直後に訪れた福島で痛感することとなる。
2011年3月11日の東日本大震災からまもなく12年(13回忌)。
改めて今、当時を振り返る意味も込めて、福島で出会った方々の声をまとめてみたい。
会津若松市 60 代男性
『故郷の大熊町は、もともと雪の少ない場所。会津にきて、雪の多さに耐えられない。故郷に戻りたいけど戻れない苛立ちから、つい妻や子供たちを怒鳴りつけ、殴ってしまう。酒を飲まないと寝られないし、こんな自分が大嫌いだし、もうどうしていいか分からない』
福島市 10 代女性
『「原発事故後、姉は子供を連れて県外の親戚の家に避難した。でも、旦那の家族から<孫を奪うのか!孫を置いていけ。逃げるなら一人で逃げろ>と言われ、話し合いの末に離婚。その旦那は一人取り残され、うつ病に。みんな、子供を守りたいだけなのに、どうしてこうなっちゃうんだろう』
南相馬市 50 代男性
『放射能の問題もあり、東京にいる息子が、こっちで暮らせばいいと言ってくれる。でも、寝たきりで、年老いた母親だけ地元に残して、東京に行く訳にはいかない。母親は、住み慣れた土地で人生を全うしたいと言っている。母親の環境を変えることは、認知症をさらに悪化させることに繋がる。母親の看病をする人は、俺しかいない。母親の傍にいたいんだ』
南相馬市 60 代男性
『俺は今まで仕事人間だった。家族より、仕事を優先して生きてきた。でも津波で、仕事も家族も一瞬で喪った。ひとりになって、初めて気がついたよ。ひとりで食べるご飯が、こんなにも寂しいものだったって。家族って、今まではいるのが当たり前だったし、煩わしいとさえ思ってたもの。失ってみて初めて、家族の有り難さが身に染みる』
福島市 10 代女性
『私の叔父さんは原発事故後、自殺。叔父の第一発見者は私だった。それを知った周囲の大人達が<生きていればいいこともある。頑張りなさい>とか上から目線で平気で言う。耐えられない。これ以上、何を頑張ればいいのか?何も言わず、傍にいてくれるだけで良いのに皆、一言多い』
南相馬市 60 代男性
『地震・津波・原発事故を経験して、いかに311以前の<何でもない平凡な日>が大切かということが分かったよ。家族を喪い、ひとりになった今、家族と一緒にいられるだけで、実は幸せだったんだ。でも311以前は、幸せについてなんて考えもしなかった。生活が一変するまでは・・』
いわき市 60 代男性
『家族を顧みず、今まで一日中ほとんど休みなく働いてきて、その仕事が原発事故で奪われてしまって、つくづく思うよ。仕事以外の<生きがい>を見つけておけばよかったって。独り身の俺にとって、新しく家族を作ったり、趣味を見つけるのは、もう年齢的に無理。もう何もやる気がしない』
南相馬市 30 代女性
『いつまでも泣いていないで、早く元気を出しなさい!と親戚から言われる度に、苦しくなる。3 歳の一人娘を津波で突然喪ったのに、人前で明るく元気に振舞えるほど私は強くない。何故、私みたいな人間が生き残って、3 歳の娘が死なないといけないの?この世には、神も仏もいない』
我が子を津波で喪った相馬市の若い母親は私に語った。
『「まだ死んだ子供のことで泣いているの?貴方はまだ若い。子供をまた作ればいいじゃない!」とか平気で言う人がいる。その言葉がどれほど私を傷つけたか!本当の復興とは、崩壊した建物が元に戻る事だけじゃない。死者と共に生きていこうと思えた時、本当の復興が始まる』と。
人は語ることで救われていく。
自分の話を「そうだね」と肯定してくれる人、自分の話に「うんうん」と頷いてくれる人に出会うと、自己肯定感が持て「生きていてもいい」と思える。
しかし、家庭でも学校でも職場でも私達の社会はまず「否定」から入りがちである。
他者を認めるより、私たちは批判する事に慣れ過ぎている。
南相馬市で 30 代の女性が『お化けが見える。ほら、あそこに!津波で死んだ私の娘が私に会いに来てくれたんだ』と語ってくれたことがある。しかし、何処を探しても私にはお化けは全く見えない。その時、傍にいた祖母が言った。「そうだよね。○○ちゃんが会いに来てくれているんだよ」それを聞いて若い母親は涙を流し、微笑んだ。
もしその時、「お化けなんかいない。幻想だよ」と私がはっきりと言い切ったら、その女性はどう思うだろうか?
それを言う事が、果たして本当に良いことなのだろうか?
「そうだね。私には見えないけど、きっと○○さんに会いたくて、○○ちゃんは逢いに来てくれているのかもしれないね」と私も答えた。
すると、その女性は何も言わずに微笑んだ。
もしかしたら、私の返答は間違っているのかもしれない。
「この壺を買えば、死んだ○○ちゃんが生き返る」と言うのであれば、それは間違っていると私は、はっきりと否定することが出来る。
しかし、ここで大切なのは、「私の喪失感を分かってほしい」「私の気持ちを受け止めて欲しい」という叫びに、どれだけ理解を示せるかという受け手側の問題ではなかろうか?
さよならも言えずに死んでしまった大切な故人を、心から愛おしく思っていた人にとってみれば、たとえ、お化けであったとしても、そのお化けは、かけがえのない存在ではないのか?
「そうだね、逢いに来てくれてるいるのかもしれないね」と、理解は出来なくても共感してくれる人が周囲に一人でもいるかいないかで、残された遺族の心の傷の癒え方は、大きく違ってくるのではないだろうか?
「死んだ○○に対して、お葬式を出してあげることが、今の私にできる精一杯の孝行」と、311 直後、東北の被災地では、多くの遺族の方々が私にそう語ってくれた。
「葬式などいらない!無駄だ」と現代人の多くは口にする。
しかしそれは平常時だからこそ言える事であり、大震災の前では、同じことは言えないだろう。
「葬式などいらない!」という言葉を、私は東北の被災地にて、大切な方を喪った遺族から聞いたことがない。
「こんな所で、何やっているのよ。学校に行く時間でしょう。早く起きなさいよ」遺体安置所の中で、我が子の遺体に向かって、若い母親は泣きながらそう言っているのを私は見たことがある。
そして、我が子の目や鼻の中に入っていた津波の泥を自らの舌で、舐めるようにして綺麗にした。
その時、立ち会った役所の職員までも、その姿に子供への無償の愛を感じ、涙を流した。
「家族」だからこそ、出来ること、分かり合える事がある。
一方「家族」だからこそ分かり合えない事もある。
家族という概念は、人によって全く違うのだ。
日本人の親の多くは子供に「人に迷惑をかけちゃダメですよ」と教える。
一方、インドでは「お前は人に迷惑かけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」と子供に教えるらしい。
前者は、息苦しさを、後者には、ホッとするものを感じる。
人は誰にも迷惑かけずに生きていくことなんて出来ない。
だが、我が国の政府は「家族だから助け合え」と言う。
世の中にはいろいろな家族がいて、それができる人もいれば、出来ない人もいる。
国はもう社会福祉にお金を出せないから、家族で助け合って生きろ!というのが本音だろう。
少子高齢化で単身世帯が増加する中、「家族がいない」人はどうなるのか?
震災前からも震災後も、家族のあるべき姿が問われ続けている。