2011年3月11日の東日本大震災からまもなく12年(13回忌)。
筆者は震災直後から福島県に入り、様々な声を聴いてきた。
震災から12年近く経た今、改めてその当時、聞かせて頂いたひとりひとりの声を掲載し、あの震災は何だったのか?振り返る機会としたい。
「俺には選択肢などなかった。仕事を選べる人はいいよ。でも俺には原発で働くしか、選
択肢がないんだ。学歴もなく、手に職もなく、貧困世帯で育った俺には、将来の被曝の事
よりも、目先の十万・二十万の方が重要なんだ。将来の事より、今日、そして今月をどう
やって乗り切るかの方が切実な問題なんだ」と原発作業員の 20 代の男性から聞いたことが
ある。
彼は、自分の「いのち」が危険にさらされていることを誰よりも知っている。
自分のいのちが「使い捨て」にされることも知っている。
そして、たとえ癌になっても、「因果関係は認められない」と会社から言われることも知っている。
それでも彼は原発で働いている。
やがて自分が病気になり、死んでしまい、その死すら揉み消されてしまうことも覚悟の上で。
だが、その死が消費されるのは、彼のような立場だけではない。
市井の人々もまた、同じである。
福島市 60 代男性
『俺がひとり仮設の中で死んでも、世間からはすぐに忘れ去られる。震災関連死としてカウントされるだけ。皆、自分の事だけで精一杯。他人の事なんて構ってられないのが本音。俺ひとり消えても、誰も困らない。俺の人生は一体何だったんだ?こうやって孤独の中でひとり、死んでいくのか』
福島市 80 代女性
『もう今は死ぬのを待っているだけ。生きていても仕方がない。何にも楽しいことがない。生きていても、家族に迷惑がかかるだけ。早くお迎えが来てほしい。ポックリと逝きたい。お国のためと、国に尽くした子供時代。そして今、その国から見捨てられながら死んで逝く。私の人生は何だったんだろう。何か悪いことをした?』
二本松市 40 代男性
『今、福島で最も深刻な問題は離婚と自殺、あと、家庭内での虐待や暴力。放射能は人体への影響だけでなく、家族・地域・様々な人間関係などもズタズタにして引き裂いた。やり切れない思いや苛立ちが他者へ向かえば暴力や虐待になり、自分に向かえば自殺となる。でもすぐに忘れられ、なかったことにされていく』
いわき市 90 代女性
『子供時代は<お国のため>と教わり、それを疑うことなく生きてきた。終戦後は、社会に迷惑をかけないように、必死に働き、子供を育て家族のために生きてきた。そして原発事故。故郷も家族も一瞬で失った挙句、国から厄介者扱いされ、地元住民からも被災者は出ていけと言われる』
南相馬市 20 代女性
『私一人がいくら原発再稼働に反対しても、その小さな声は、圧倒的多数の大人達の大きな声によって簡単にかき消されてしまう。もう何をやっても無駄。現実は何も変わらない。もう消えたいし、死にたいとさえ思う。これ以上傷つくのは嫌だから、他人に期待せず、無関心を装って生きていこうと思う。私は大人になった』
南相馬市 60 代男性
『どうして中高年男性の自殺者が多いかって?そんなの分かり切ったことだ。この年になって仕事はない、カネはない、家族ともうまくいっていないと、自分が生きていてもいい、社会に必要とされているという感覚が持てない。だから、死んだ方が楽だと思ってしまうじゃないか?』
福島市 50 代女性
『集会場でお茶のみサロンをやっていますが、来るのは女性ばかり。今まで生活が仕事中心で回っていた男性が、急に集会場で老若男女と楽しく会話が出来ると思いますか?男は縦社会、女は横社会で生きている人が多い。自殺は圧倒的に男性が多いでしょう。孤立死は女性でも起こりますが、発見される日数は女性の方が圧倒的に早い。隣の奥さん、最近顔を見ないねということが起こる。しかし男性は普段から社会的に孤立していて、ひとりで死んでも発見までに時間がかかるのです。それだけ日頃のお付き合いが希薄で、付き合いがないのです』
南相馬市 60 代男性
『ここの仮設でも孤立死は起こっているよ。でも、そもそも孤立死はいけないことなのかい?そんなの自己責任だろ。住民レベルで孤立死を防ぐために、何か行動を起こそうと言う人はいるけど、結局、誰も立ち上がらず、<出る杭は打たれる>となって頓挫してしまう。俺は、他人の事なんか構っている余裕はない。孤立死は、お気の毒とは思うけど』
相馬市 60 代男性
『311 以前、事業に失敗して自殺する人がいたよ。俺の周囲の連中は、自殺者を冷ややかな目で見ていた。震災後も、やっぱり自殺する奴はいる。でもね、今までと周囲の見方が違うんだよ。震災後の自殺は<明日は我が身>っていう感じ。皆、追い詰められているんだよな。次は俺かも』
南相馬市 10 代女性
『もう人間なんて嫌だ。何のために私は生まれてきたのだろう?「福島は放射能まみれ・ワロタ」とか全国各地の人々から言われ続け、それでも生きていかないといけないの?未来なんてどこにもないのに、メディアも国も行政も「絆」とか「がんばろう」とか威勢のいい掛け声は平気で言う。偉い立場の大人の気持ちが全く分からない。私たちはこのまま見捨てられるモルモットに過ぎない』
伊達市 50 代男性
『まさか俺がリストラされ、鬱になるなんて思いもしなかった。今まで金の苦労なんてしたことなかった。でも自分が社会的弱者になってみてはじめて世間の冷たさを感じるよ。このままひとり、死んで逝くと思うと、情けなくて涙が出る。でもどうすればいい?何の希望もないんだよ』
いわき市 50 代男性
『311 以降、俺の生活は変わった。家族や仕事を失ったこともあり、夜は酒がないと寝れないし、昼間は完全なギャンブル依存症。こんな生活から抜け出したいよ。でも、どうすればいい?あんたら支援者の人は、帰る場所があるんだろ?家族がいるんだろ?俺には帰る故郷すらないんだ。もうどうでもいい。早く死にたい』
福島市 50 代男性
『集会所でお茶を飲んだり、話をしたりするサロンがあるから来ないか?って言われた。バカバカしい。何で赤の他人とお茶を飲んだりしないといけないのか?そんな時間があるんだったら、パチンコに行くよ。パチンコに集う連中は、そういう煩わしい付き合いが苦手な人多いよ。俺を含めて、男の多くは仕事で結果を出し、稼ぐことに人生の意味を見出してきた。それが 311 を機に何もかも全て奪われてしまった。自殺者は中高年男性の無職者に多いんだって?そりゃそうだよ。今まで働くことに命をかけ、そうやって生きてきたんだから。今さら他の生き方なんて出来ない。こんな状態になってしまったら、死んだ方が楽って思うのは、ごく自然なことだと思うよ』
福島県内では、震災後、自殺はもちろん、孤立死が増加した。(2022年時点で、自殺率、子どもの虐待率は、国内の上位に位置する)
しかし、周囲に与える心理的ダメージを配慮してか、住民の間では「なかったこと」にされがちであると度々聞いた。
公表されていないケースもあるという。
しかし、遺族は「亡くなった○○の存在そのものが、なかったことにされているのが悲しい」と泣きながら言われていたことが忘れがたい。
福島では、震災関連死がデータ上で○○○○人と言われるが、それは、かけがえのない人生を送ったひとりの人間の死が○○○○人と捉えるべきであろう。
当然ながら、亡くなって逝かれたひとりひとりには人生があり、家族がいて、友人がいた。
ひとりひとりの顔が異なるように、それぞれにかけがえのない人生があった。
私たちは、ややもすると抽象的な数字の上で被害の大きさを知ったつもりになる。
しかし、死を数値化することで、大切なことを見失いがちである。
もし自分の家族や大切な人が、その数値の中の一人だったらと想像力を働かせることは可能である。
だが、生活に追われ、時間的・経済的・精神的「余裕」を失った私たち現代人にそれが出来るだろうか?