東日本大震災から間もなく12年。「福島で起こっていることは日本の縮図である」と当時の私は言っていたが・・・

2011年3月11日以降、被害の大きかった岩手・宮城・福島を定期的に訪問している。

中でも福島第一原発事故が起こった福島県内に足しげく通い、お話しを聞かせていただいた人数は、記録しているだけで千数百名を超えた。

親しくなった方々が住む仮設住宅内(みなし仮設や借り上げ住宅も含む)にも泊めていただき、酒を飲み交わしながら深夜まで語り明かしたことも数えきれない。

そこで聞いた声を行政や政治家に政策提言として伝えるとともに、ひとりの人間として、またひとりの宗教者として、今、何をすべきか?どうあるべきか?自問自答している。

私が聞いた生の声は、福島県民約二百万の中のごく限られた一部の限られた声にすぎない。

しかし、その切実な声は大手新聞やテレビではあまり報じられないものばかりである。

また、本人の了解を得た方のみ、それら生の声をネットを通じて発信している。

反響が大きかったものを、2023年の現在、震災から12年を迎える今、改めていくつか紹介したい。

なぜなら、震災直後、あれだけ盛り上がった「原発問題」も、もはや過去の話となりつつあることに、私は非常に危機感を持っているからだ。

なお、特定の個人のプライバシーへの配慮から、一部の発言に関して、細部を変更している箇所があることを予めご了承願いたい。

南相馬市50代女性

『私は最近、放射能より、人間の方が怖いと思う時がたくさんあります。ここ福島では、放射能の話をするだけで、圧力がかかる雰囲気が一部に蔓延しています。命がけで、放射能の問題を意図的に考えないようにしている人がいっぱいいる。一種の思考停止状態。それは自分を守るため?」

福島市30代女性

『福島県から他県に避難すれば「東電からいくら貰ったんだ?」と県外の人に言われ、福島に残って「放射能が心配だ」と地元の人たちに言うと、「お前は県外に避難しただろ。裏切り者!」と言われ、変人扱いされる。進むも地獄・引くも地獄。普通に子供達と暮らしたいだけなのに、どうしてこんなに苦しまなければいけないの?』

伊達市20代女性

『子供を守りたい。ただそれだけの思いで、放射能に敏感な自分がいる。でも、仮設に住む人たちはもちろん、夫の家族でさえ、被曝を心配する私を誰もが白い目で見る。夫は私を「変わり者」扱いして、理解しようとすらしてくれない。家族からも孤立している。血縁・地縁が強い福島では、放射能の話はもう出来ない』

福島市20代女性

『ネットで福島の仮設での暮らしを発信すると<税金を払っていない奴は黙っていろ><福島は放射能まみれ、ワロタ>など、誹謗中傷の嵐。何か私が悪い事をした?もし他の地域にある日本の原発が爆発すれば、福島で起こっている事と全く同じ事が起こるだろう。ここは日本の縮図』

いわき市60代男性

『俺を含めて原発周辺の住民が、福島県内のあちこちの仮設などに入ってきて、古くからいる地元住民と対立している。「被災者は税金を払ってないのにデカイ顔をするな」「病院に行ったら被災者だらけで待たされ続け、もううんざり。早く出て行って欲しい」などと言われ、同じ福島県人同士が、お互いを批判しあっている。でも、そんなことをしていて一番喜ぶのは、政府や東電ではないか?弱い者同士で叩き合っても、誰も幸せにならない』

いわき市60代男性

『長年、福島県出身の人間、特に浜通り(海側)出身の人は、東電に入ることが、一つのステイタスだった。東電に入りさえすれば、一生安泰と言われてきた。原発事故後、その東電にお金をもらった・もらっていないで、福島県民同志が今、分断されている。人間はお金が絡むと、エゴが剥き出しになるね。足の引っ張り合いばかりで、住民同士が一つになれない』

福島市80代の女性

『除染なんて、私達が若いころ(戦時中)、強制的に竹やりを持たされて鬼畜米兵と言わされていたのと本質的には同じ。山ばっかりの福島で、全てを除染しきれるのかい?小手先だけの対応で、何の意味もないことは皆、分かっている。でもそれを声に出すと、非難される。同調圧力だよ』

二本松市70代男性

『被災者と一口に言っても、状況は皆、違う。家族が死んだ・家族が生きている人、仕事を失った人・仕事がある人、家を流された人・家がある人、帰る場所がある人・帰る場所がない人、カネがある人・カネがない人…。確かな事は、311の震災前からあった格差が今、露呈しているということ』

福島市50代男性

『福島県全体を俯瞰的にみると、県民の7~8割程度は、既に諦めムード。今更、考えても無駄だし。気にしてもしょうがないよ・・・・。そして無関心層がどんどん増加している。<分断><対立>を作っているのは、福島県民の2~3割程度。ここ福島では、声を上げる人ほど排除されている。でも今の福島で生きるということは、どこかで妥協というか、折り合いをつけないと生きていけないということも、県外の人に分かって欲しい』

いわき市・大熊町出身70代男性

『冬に出稼ぎに行かずに、安定した暮らしを得るため、子供や孫と同じ場所でずっと暮らすために、俺たちは原発を受け入れた。豊かな暮らし、安定成長を求めて原発を受け入れた。そしてそこで俺はずっと働いてきた。それがこんな事になるなんて…』

南相馬市70代男性

『若い世代にとっては、福島から逃げるのが一番の選択肢じゃないか?未来のある若者には、是非逃げてほしい。しかし、俺達のような年寄りは、今更逃げてもねぇ。生まれ育った故郷で死ぬまで暮らしたい。でも、それは自分で決めたこと。どうなっても覚悟を決めているよ』

福島市40代男性

『福島では今、いろいろな団体やネットワークが次々と出来ている。東電や国と議論するたびに、裁判を起こす人もいれば、和解に応じる人もいる。そのたびに各団体が空中分解し、また新しい団体が出来る。そして、それぞれが足の引っ張り合いをしている。どの団体にも個人にもそれぞれ、主義主張があって、なかなか一つにまとまるということはないね。だから、特に声を上げない普通の一般市民は皆、その状況にもう、うんざりしている』

福島市60代男性

『知人の男性が2名、ここ数カ月で自殺したよ。男は仕事や家族を失うと、本当に弱いね。今まで名刺の肩書きだけで勝負してきたのに、3・11を機にゼロになってしまった。俺も今は無職。仮設の集会所でお茶飲み会とか体操とかをやっているけど、大の男が一人で参加できると思うか?』

いわき市・大熊町出身60代男性

『原発で30年働いてきた。でも今は被曝して働けない体。人は目の前の現実が辛いと、現実逃避するんだ。将来の事なんて、意図的に考えないようにしている。酒を飲んでカラオケを歌って気晴らしをするけど、いい年したオヤジが何やっているんだろう?と思って、情けなくなる』

会津若松市・60代女性

『国はスピーディーをあえて公表しなかった。結果、放射線量の高い所に避難させられた私たち。国は、私たち福島の人間を見捨てたんだ。もう防護服なしで故郷(大熊町)にすら戻れない・・・』

福島市80代男性

『私が国を愛しても、国は私たちを愛してくれない。国は私たち国民に愛国心を求めるのに・・。福島は相変わらず、ほったらかしのまま。私は仮設でひとり、こうやって孤独の中で死んでいくのか?そして死んでも、すぐに忘れられる。震災関連死としてカウントされるだけ。ここ福島では、津波で亡くなった方の数よりも、311以降に震災関連死として亡くなった数の方が多いんだよ』

南相馬市80代男性

『原発周辺で放射性ストロンチウム等、放射性物質が1?あたり、210万?検出された。海も魚も相当汚染されていることは素人でも分かる。でも皆、自分だけは大丈夫と思い込んで、無関心を装っている。結局は、自分や我が子が被曝して、自らが当事者にならない限り、全ては他人事。他人の事なんかどうでもいい。自分さえ良ければ・・・。多くの人は、もう不感症に陥っているみたい』

いわき市60代男性

『どうしたら原発が止められるかって?そんなこと簡単だ。もう一回どっかの原発が爆発して日本中が汚染され、人が住めなくならないと原発を止めることは根本的に無理じゃないのか?原発事故が起きた今だって、多くの人は選挙にも行かないし、マスコミも311の前後しか報道しないし、原発問題なんか関心がないのが世間の本音。米国・財界・官僚が政治家に圧力をかけている構造も問題だけど』

南相馬市50代男性

『東京の人は分からないかもしれないけど、田舎の人は、先祖代々の土地や家を守ることに命を懸けている。この家は、俺の代で8代目。自分の代で家を潰したら、ご先祖様に申し訳ない。汚染されたから、はいそうですかと、簡単に土地を捨て、よそに出て行ける訳がない。この町は俺の故郷だ。この町から絶対に離れられない。俺の死に場所はここだ。死ぬまでここに住む。もう覚悟を決めている』

いわき市40代女性

『仮設で中高年の男性の自殺が起きた。明日は我が身…。でも、生きていればいいことがあるなんて、口が裂けても子供達には言えない。明るい未来なんて、ここ福島では絶対にありえない。普通に生きて、当たり前に暮らせることが、こんなにも難しいことなんて思わなかった』


震災直後から福島を訪問し、そこに住む人々の声を実際に聞いてみて感じたことは、「福島で起こっていることは、分断・分裂・対立、そして無関心の蔓延」ということであった。

それは、日本社会の縮図そのものではないかと、当時の私は感じた。

一方、冷静に社会を俯瞰的に見渡してみると、原発を巡る一連の問題は、福島だけで起こっている特殊な地域の特殊な現象であろうか?とも感じた。

我が国では、政治や経済、メディア、学校教育から一般企業、宗教教団に至るまで、この国全体が割れているように私には思えてならなかった。

福島で起こっていることは、この国の縮図であると、当時の私には思えて仕方がなかった。


そして、12年後の今・・・

日本は「あの時」を経て、変わったのだろうか?

ずっと自問自答している。

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