離檀のススメ

私のもとには様々な相談が入る。中でもお布施・戒名・お寺との付き合い方などの相談は日常的に受けている。

それらの経験上、お寺や僧侶に対して不満が全くないという人は現代人では皆無ではなかろうか?

しかし、お寺の僧侶や菩提寺の住職と腹を割って話したことのある人はほとんどいない。

そして葬儀の後、必ずこう言うのだ。

「取られた!」と。

確かに、この不景気な時代において、考えられない額のお布施を要求するお寺も存在することは事実だ。

それは問題である。

しかし、もしあなたが高額なお布施をお寺に「お包みした」とは思わずに「とられた」と思うならば、お寺とのお付き合いをやめることをお勧めする。

税金もそうだ。「とられた」と多くの国民が口にする。

税金をいくら納めても、社会的に「見返りがない」と「とられた」と人は思ってしまう。

それは国に対する信頼感の欠如を如実に物語っている。

税金とお布施は、根っこの部分では、同じである。

国やお寺に信頼感があれば「とられた」とは人は言わない。

それは葬儀社に支払う葬儀費用も同様である。

どんな職業でも「悪徳」と呼ばれる人は存在する。

しかし、その逆の素晴らしい人格と尊敬に値する人も、どんな業界にも必ず存在する。

お寺の世界でもそれは全く同じだ。

あなたがお寺にお布施を「お包みした」と思えないならば、すぐにでもお寺と話し合い、縁を切るべきだ。

お寺には先祖代々からのお墓があって、人質ならぬ「墓質」状態だから、それは難しいという人もいるかもしれない。

しかし、これだけ社会が著しく変化している中で、他の選択肢はいくらでもある。

お寺と話し合うこともせず、葬儀の後で「とられた」と不平不満を言うのであれば、思い切ってお寺を離れればいいのである。

あなたが病気になったと仮定する。

病院で検査をすると、手術が必要ということが分かった。

あなたはどんな医師に手術をしてもらいだろうか?

医師として実績もあり、人間的にも信頼できる腕のいい医師にお願いしたいと、ほとんどの方は思うに違いない。

そして現代の医療業界では、主治医が自分と合わないと思えば、セカンドオピニオンと言って別の医師に意見を聞いたり、また場合によっては病院や主治医を変えることも可能である。

それが何故、お寺の世界ではできないのか?

お寺の世界も、旧態依然とした対応をせずに、檀家に流動性があっていいはずである。

患者が病院を変えるように、お寺も変わっていいではないか?

地方では「うちは、昔から○○宗の○○寺だから」と言って、それは簡単ではないかもしれない。

しかし、高額なお布施を「とられた」と嘆くくらいならば、今のうちから信頼できるお寺と新しい縁を持ち、何かあったときは頼むと関係を事前に結んでおくべきではないだろうか?

それを行わずに、お寺の不平不満を言うのはどうだろうと私は考える。

繰り返すが、世の中には信頼できるお寺や、素晴らしい活動をしている僧侶はたくさん存在する。

お寺との付き合いが全くない人は、「食わず嫌い」にならずに、あなたの住んでいる地域のお寺の行事やイベントに通ってみたり、僧侶と積極的に話してみたりすることをお勧めする。

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