「やはり、日本だけは分かってくれる。兵隊も送らない」
これはアフガニスタン・シェイワ郡にマドラサを造った中村哲医師に対するアフガニスタンの人々の感謝の言葉だ。
マドラサはイスラム世界で「学校」を意味する言葉だが、中村医師はこの感謝の言葉に対して「日本国に対する大きな賞賛、悪い気はしませんでした。眉をひそめた西側の国際団体もあったでしょうが、アフガン人の殆どが狂喜したのです。」と述べている。
(『ペシャワール会報』95号、2008年4月1日)
西側の一部の国際団体はマドラサがテロリストたちの温床となると考えていたが、中村医師は自らがクリスチャンでありながらもイスラムという異文化の宗教活動にも敬意を払って平和の創造を考えた。
アフガニスタンのマドラサやモスク(イスラムの寺院)は長年の内戦や米国の対テロ戦争などで破壊されたり、放置されたりするなど機能していなかった。
中村医師はマドラサがなければイスラム社会は成立しないと「ペシャワール会報」(95号)で述べている。
マドラサはイスラムの聖職者を育てるだけでなく、孤児や貧困家庭の子弟たちに教育や宿泊の機会を与える。
アフガニスタンで「ストリート・チルドレン」が少ない理由はこうしたイスラムの救済施設があるからだと中村医師は述べている。
マドラサにはモスクが併設され、イスラムの集団礼拝である金曜礼拝の機会を与えて、地域コミュニティの結束や相互扶助の機会をもたらす。
中村医師はアフガニスタンの人々にとって「自由」とは、信仰心の篤さとともに、自らの伝統や文化に対する誇りであると述べ、そのマドラサやモスクがタリバンの活動の温床になるという理由で爆撃されるなど活動が制限されることにアフガニスタンの人々は自由が奪われていると感じていた、と語っている。
中村医師は、こうした宗教施設の建設に支援の手を差し伸べてくれたのはサウジアラビアの他には日本しかなかったという現地の人の声を紹介し、冒頭の日本に対する賞賛の言葉を喜んでいる。
中村医師は、自衛隊のアフガニスタン派遣には徹底して反対し、国会で参考人に招致された時に自衛隊の派遣は「有害無益」と語ると、鈴木宗男議員などからは罵声を浴びせられ、司会役の亀井善之議員からは発言の撤回を求められたと回想している。
(中村哲『医者、用水路を拓く』石風社、2007年)
鈴木議員たちの考えは911の同時多発テロを受けた米国の対テロ戦争に自衛隊が協力することが「国際協調」「国際支援」になるというものだった。
鈴木議員たちの考えは、米国の軍事行動と一体となることを最も重視する点で、現在の岸田政権の「反撃能力」や「防衛力増強」と変わりがない。
対米一辺倒の議員たちにとって、「国際」とは米国を表すもので、米軍の爆弾によって同胞が殺害されたり、イスラムの宗教活動が阻害されたりするアフガニスタンの人々の心情など考慮するものではなかった。
私たちの小さな試みが平和への捨て石となり大きな希望につながることを祈る ―中村医師
人類共通の文化遺産は「平和・相互扶助の精神」と中村医師は述べていたが、岸田首相が警戒する中国にも非戦や相互扶助を説いた思想家がいた。
歴史家の半藤一利氏は亡くなる数日前にも「墨子は偉い人だったなぁ。戦争にとことん反対した。偉かった。」とつぶやいたそうだ。
半藤氏は中国の紀元前5世紀に活動した墨子を評価し、『墨子よみがえる “非戦”への奮闘努力のために』(平凡社ライブラリー)を出版している。
墨子の思想の根本は「墨子はまず幸福な生活の根本は人々が互いにひとしく愛しあうことにあるとした。
兼愛の説がそれである。
愛の普遍を求めるならば当然平和を求める。
そこから、侵略を非とする非攻が主張された」(作家・駒田信二氏)中村医師が訴える「平和・相互扶助の精神は人類共通の遺産」という言葉を墨子の思想でも確認するようだ。
墨子は次のような言葉を残しているが、中村医師のアフガニスタンでの活動を彷彿させる。
「その友をみるに飢(う)ればこれを食(くら)わしめ、寒(こご)ゆればこれを衣せしめ、疾病にはこれを持養(じよう)し、死喪(しそう)にはこれを葬埋(そうまい)す」
──「兼愛」篇(「じんぶん堂」より)
(宮田律さんFBより引用)