「ママ、私の足はどこ?」と聞く少女。ひとり生き残っても食べるものもなく孤独を耐えなければならない。
『10月7日からのガザ』ご覧になった皆さんからの感想
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正直もう見たくないと思いつつ、必死で見ました。これは戦争ではない、明らかな殺人だと思いました。できる限り、情報を得るようにはしていますが、メディアの報道に怒りを感じます。万博にイスラエルの出展が認められていることにもです。
みぐるみの老若男女を標的にする若い兵士たちの談笑と、心身を破壊されて残る命で叫ぶしかない子供たち、「人間は歴史の教訓から学ばない」と言っていたヘーゲルと、二人のユダヤ人が浮かびます。アウシュヴッツで行く延び1987年に自死した伊作家・ブリーモ・レーヴィはイスラエルのレバノン侵攻を「ナチと同じことをしている」、哲学者ハンナ・アーレントは「本当に悪いのは凡庸な人間だ」と。いずれにせよ、歴史の教訓から学ばないでいる自分たちの現在が狂おしくさえ思えます。
マスメディアでは観れないガザの実態を観ることが出来、壮絶な有様に胸が塞がりました。以前、わずかですがカンパをさせていただきましたが、日本に住んでいる私たちに少しでも出来ることがあればと、考えます。いたたまれない気持ちで拝見しました。
同じ地球にいて同じ時間を過ごしているのに、戦争を望まない人だけでなく、救助に関わってくれている方に対しても攻撃がやまないことに、今までの人権活動の無力さも感じました。それでも、以前に比べて、スマートフォンなどから撮影された戦争犯罪を生の声で訴える動画が命懸けで配信されていることに感謝しています。紛争は各地で起きていますが、いずれも犠牲になるのは弱い立場の人たちです。その痛みを共有し国を動かすには、何ができるのかなかなか見つかりません。
内容は、知識としては知っていることでしたが、実際に映像で見ると、インパクトが全く違いました。パレスチナ関連の映画はいくつか見たのですが、これまで何もわかっていなかったような気さえしました。
この映画を見ることには、かなり勇気がいり、躊躇しましたが、見てよかったと思います。ありがとうございました。大事なことを伝える、よくできた映画だと思いました。問題や状況が深刻なので、視聴するのはしんどかったです。
ズームの画面は小さかったので、タイミングを合わせて、音声はズーム、映像はビメオの拡大画面で視聴しました。映画は、字幕の翻訳をチェックするために十回以上見直していますが、人前で涙を流す大人の男性たちに毎回胸を締め付けられます。恐らく「男なら泣くな」という文化のなかで育った彼らが泣くとは、事態がいかに深刻かと思います。
子どもたちの率直な涙や言葉にもいつも胸を打たれます。大切な兄弟が亡くなり、「大好きだよ」とすがる少年、父親がどのように亡くなったか、避難生活で何が足りないと思っているか、今心配なことは何か、ガザの人たちは多くの遺体を目にしてきて、醜い表情になってしまった・・・と語る少女たち。
この映画では女性は悲鳴を挙げて助けを求める姿で登場する印象です。でも今回、パレスチナの人たちの文化や言葉をよくご存知の田浪亜央江さんがお話しされて、とくに少女や女性の発言からうかがえる、現状への言葉を使った抵抗のようなことに触れてくださいました。すると、映像の中の女性像に異なるイメージが加わりました。
パレスチナの人たちの感性や感覚について知ることができると、起きていることをいっそう深く感じることができます。田浪さんに心から感謝いたします。字幕の翻訳で、表現をもっとこうしたらという点があれば教えていただきたいと思います。
ジェノサイドを行っているイスラエルが、パレスチナを「ナチ」と呼ぶことに、何より衝撃を受けました。長い占領体制の中で、何の疑問もなく隣人をケダモノと言う人々が、ヘイトスピーチを平然と行う日本人に繋がります。
最も衝撃を受け悲しかったのは、支援物資をイスラエル入植者達が破壊するシーンだった。世界中から集まった善意の支援物資が横取りされるわけでもなく無下に台無しにされるのだ。
イスラエルのやっていることが昔の日本やナチスと同じであるということに気づかされた。ただし同じような閉鎖的極右化した民族にアメリカという、一時ではあるものの世界秩序を形成する超大国が後ろ盾に着いているという点が大きく違うと理解した。しかし、そのつながりも、私の薄い知識では、容易く非人道的所業に走りやすい金融的なつながりであると想像される。
我々、世界中の人々はそれに気づき、イスラエルだけでなく、アメリカにも加担しない生活を選ぶ必要がある。アメリカ的経済思考、アメリカ的人間生活を脱する必要がある。
そのためには、大量消費、効率主義、メディアでポジティブによく聴かれる「夢を実現する」という名目の人間中心主義を改めていく必要がある。
個人的には、アメリカ製品を買わず、アメリカ製エンタテインメントを享受しない。そして、消費をできる限り抑える、生活を心がけることが、些細ながら、パレスチナ人のためにそして将来の人類のためにできることかなと思った。メディアの方がおられたようだが、そういう方々にはアメリカを美化し消費を煽るような報道は控えて欲しい。
この映画はみなければいけないと思いました。映画をみて、自分になにができるかを考えました。
制作者の方や見られる環境を作ってくださった方々に感謝します。多くの人に、ぜひみてほしいと感じました。撮影した人々、そして字幕を準備してくださった人々に、心から感謝します。
いままでもガザのジェノサイドの画像を観ていましたが、今回のようにたくさんの動画を視聴したのは初めてでした。ガザの人たちがどのように殺されていったのかを目をそらすことなく観ました。
チャットでの質問にもありましたが、イスラエル兵たちが、笑いながらゲームのように殺戮を行う様子は衝撃的でした。イスラエルの政治家たちの発言に込められたパレスチナ人への憎しみの深さと、国際社会がこれほど非難していることを一顧だにしないのは、なぜなのでしょう。そして、批判されながらも良心的兵役拒否を行う高校生たちもいました。この違いは、どうして生じるのでしょうか。そして、私もかつて観た映画『プロミス』で知ったパレスチナの子どもたちの発言力の豊かさ、人びとの家族や隣人への愛情が極限状態でも存在し続けていることに胸を突かれました。私たちは何をすべきなのか。出来ることをやり続けたいと思いました。
①SNSでも見ていた映像があったので、驚いたり、新しく感じることはなかったが、私自身がただ見慣れてしまったのかと思う。映像や情報技術が進化して、リアルタイムで見れるようになっても、人間は変わらないなと思う。かつては、映像がリアルに届けば、戦争など無くなると多くの人が思っていたと思う。正義なんて無いなと思わざるを得ない状況だと感じている。
②パレスチナの人々も大変な目にあっているが、イスラエルの兵士達こそ非人間的にされている・なっていると感じる。イスラエル兵士達の非人間化はイスラエル社会やその取り巻き、彼ら自身に寄るものだと思う。同情はしないが、彼らが社会に戻った時、健全に生活できるのだろうかと思う。またイスラエルの非人道的な態度に対して、なんであんなことができるのかと言う人がいたが、恐らく条件が揃えば誰でも非人道になれる。おかしいという私たちと彼らの境は無いと思う。人間はグラデーションだと思っていて、彼らが特別悪い奴らだとジャッジするのは危険だと感じた。
③ある本で、被害が加害に反転するという表現があった。イスラエルはまさしくそうだと思う。被害に囚われ、怖がり、被害妄想を膨らまして、やられる前にやってしまう、やったらやったで反撃が怖いからさらにやる、といった負の連鎖をイスラエルやアメリカに見出さずにはいられない。そして、今日本もわざわざ敵を作って、緊張感を煽っているよう。パレスチナの人々の経験は他人事では無いと思う。
④私自身はたまたま日本人の親の元に生まれて日本のパスポートを持ち、たまたま親の仕事が日本だから日本で育った日本人という感じがある。パレスチナの人々がもし、自由に移動でき、職も選べたら、土地に拘らず、安全に暮らせるところに行けたら良いのにと思う。制約があるからこそ拘るのか、アイデンティティの強さなのか、どうなのだろうと思う。でも生命に代えられるものはない、平穏に生きてたら、と願うばかりである。
貴重な映像の公開と翻訳をありがとうございます。人間の狂気と残忍さ、恨みの暴力を暴力で繰り返す悲惨さに、ただならぬ悲しみを感じます。ガザの方たちはもちろんですが、イスラエルも含め、すべての被害者に心を寄せ、だからこそ平和の道を絶対とする、進化を心より願いたいと思います。
恨みを持つものを根絶させる、などという思いが心の底から恐ろしい。宇宙開発もいいけど、こんな人間の根幹を携えながら、どこへ行っても同じことが発生するのではないか。人類の真の進化は、平和という進化を遂げてほしい。
あたたかい布団に入りながらダイエットしなくちゃ とか考えている同じ時に、家も無くし爆撃の恐怖にさらされている人がいる。自分の理解を超える恐怖で震えが止まらない子どもの目。胸が痛んでも涙が止まらなくても同じところへはいききれない。
「殺人」て罪じゃないのか。本当にゲームのごとくスイッチを押す兵士の笑い顔に…撮られてることも楽しんでるような顔に憎しみが募るけれど、兵士だけでなく多くの人がこの殺人を支持しているのなら…この映像を見てもなおそう思うのだろうか。知る機会がないのだろうか。
知っていてなお自分の側に正義があると思っているのならば…なぜそう思うのかを知りたい。自分のまわりの言説によっては…人工知能なんかを利用されればもっと…自分もそうなってしまうのかもしれないから。
政治だか経済だか何だかの理由で戦争を止めようとしない為政者は映像を見ても動かないんだろうけど…動く人がいてほしいけど…私たち市民にはこの映像は突き刺さる。何ができるかっていうとちょっと悲観的になってしまうけれど。命の危険のなか届けて下さってありがとうございます。日本語の字幕をつけて下さってありがとうございました。
目を覆いたくなるジェノサイドの連続、数日たった今も、子どもたちの傷ついた姿が顔が頭から離れない。西岸地区の検問所でガザへの支援物資を破壊するイスラエル人入植者の若者たちの姿がショックだった。一方で徴兵を拒否して刑務所を選択した若い女性にかすかな希望を見た。
血だらけの子供が泣いている。痛いと言って泣いている。お腹がすいたと泣いている。家族が死んでひとりぼっちだと泣いている。子供にこんな思いをさせてはいけない。
目をそらしたくなる。耳をふさぎたくなる。でもこれが彼らが生きている現実。知ってほしい、と私たちに託された現実。だったら向き合わなければ。抱きしめなければ。
非人道的を超えて、ここまで残酷な行為、仕打ちがガザそしてパレスチナの人々に行われていること、それが許されてしまう現状に言葉もありません。
人間という存在に対して、ここまで残忍な行為へと向かわせてしまう事態、それを生み出して許す体制、それに対して何をすべきか、何が出来るのか、歯止めをどうつくり出せるのでしょうか。
この映像を通して、この現実の厳しさを改めて深く実感するとともに、今日の世界の成り行きに対して身震いとともに危機感を覚えずにはいられません。
正直、正視して視聴し続けることがとても苦しい映像なのですが、赤裸々に現実を突きつける、突きつけられるインパクトは大変大きいです。広く周知され、公開されて、もっと視聴されていくことを希望します。ただ半面では、インパクトが大きいことで反動や過激な考えや行為を誘発しないような配慮も必要かもしれません。
このお正月でも、食べるものさえないのでしょう。早く終わらしてあげたいです。今まで戦争の悲惨さを、本や資料、漫画、映画などから見聞きしてきたつもりでしたが「10月7日からのGAZA」をみて、初めて戦争の非現実性(あるまじき現実)を体感しました。
今この瞬間に起こっていることをタイムリーで見聞きすることこそ、私たちにできる反戦のアクションの第一歩だと思いました。ひとりでも多くの人にこの「10月7日からのGAZA」を見ていただき、命の大切さに改めて気がついてほしい、自分ごととして捉える強さを持って欲しい、平和を希求する強さに変換していってほしい願ってやみません。
見せていただきありがとうございました。イスラエルがパレスチナの人を一掃しようとしていることがよくわかりました。でもイスラエルの若者で徴兵を拒否して刑務所を選んだ方もいるし、イスラエル政府が今やっていることを支持していないイスラエルの人もいることもわかりました。兵士たちが使用するあの大量の装備、ミサイル等を買うお金を援助するのをやめさせることは少なくともまずできることと思います。
言葉もない。言葉を失わせる映像だからというだけの理由ではなく、この虐殺を「知っている」はずの私(たち)は、この虐殺、犯罪をいまも止められないでいるからだ。もちろん、映像に写る人々にだけでなく、この地に暮らす人々に申し訳ない思いでいっぱいになる。でも、だからこそ、言葉にして、それによってこの虐殺を、犯罪を一刻も早く止めたいと思う。何度かガザを訪れている者としても、私の責任は大きいと思いながら、、、。
この映画の最後がまだ2024年5月で、今は12月。それなのになにも進展していないのに絶望を覚える。自分も含め、世界が彼らのために何もしていないことに憤りを覚える。現実に起きている事実だから、現代に生きる一人の存在としてしっかりと状況を把握したくて観始めた。町でデモやチラシやニュースで報道をみかけたりすることはあったけど、なぜ国連や国の有権者がもっと直接的に関与してこの状況を止めないのか疑問になった。話し合って、罪がどうとか報告することは誰にでも出来る。
だからこそ何の権力も影響力も持ってない自分にはできないことをやって欲しいと願う。自分はこのことをしっかり受け止めて、拡散して、今ある生活を大事にすることしかない出来ないのがとても心苦しい。話し合いも大事だけど、話し合いの結果が動画に記録された事実なのだとすると人の命がかかっているのに話し合いしか出来ていないように見えるのがとても残念。物資を送るのと同じぐらい虐殺の阻止に取り組んでほしい。
圧倒的な通じあわなさ。想像力の意図的な停止。これが80年近くこの地で続いている現実であり、同時に背景は違えど世界の分断、内戦、紛争の現場で今も昔も起こっていることなのだと感じた。
こういう映像を観て涙を流して消費することも自分で許すことができないな、という気持ちで見始めたが、涙が出るかどうかは問題ではなかった。何もかもが意図に反して映るそれらを前に、涙はもはや私ではないし、彼らが生きようとしている彼らも、本当はこんなものではない。
この映像には物語がない。”if I must die 私が死ななければならないのなら”の詩で書かれたような物語が。人間は点と点とを、人と人とを、線で結ばずにはいられないが、この映像では誰をも線で結べない。
それは放射能で破壊された染色体を見た時のような生理的な恐ろしさだ。パレスチナ、イスラエル、それを見守る世界、すべてにとって、人間であること自体への否定が起きている。
人を人として見る、人と人とをつなぐための発明がそれでも人々の中から生まれる。物理的にはつなぐ力はか細く、切断する力はパワフルすぎる。だが人の心はそのか細き力によって、何度も何度も救われ続けなければならない。持てる微力とは、それ自体、可能性であるのだ。
2回目の視聴です。見るも無惨な映像の連続で、言葉もありません。イスラエル人のパレスチナ人への憎悪の凄まじさと、彼らを獣扱いする感覚が全く理解できません。人道支援物資を通過させない、海に落とす、60日後に桟橋が出来るなど、爆撃ではなく無慈悲な緩慢な死を望んでいるおぞましさは、彼らこそ人でなし、と感じます。
国連、国際司法裁判所、世界の世論など、いずれにも耳を貸さず自分たちこそ正義だと強弁する姿に絶望します。イスラエル兵たちの「楽しそうな」殺戮がまるでゲームのようで吐き気がします。一刻も早く停戦し、殺戮を止めてほしい、それしかありません。
映画の作成、日本語の字幕付け、上映など、映画を見せてくれてありがとうございます。これほどの惨状には、愕然とします。爆撃、虐殺の酷さにも驚きましたが、イスラエル兵が笑っていたこと、ネタニエフやイスラエルの弁護士も含め「要人」の言葉にも驚きました。
「ガザは爆撃されて当然」「ケダモノ」など、およそ考えられないことを当然のように言っていました。でも、韓国の光州での軍隊による民衆虐殺、日本の朝鮮半島や中国での虐殺、関東大震災での朝鮮人虐殺など、歴史をさかのぼれば、同じようなことがこの日本でもあったと思います。戦争は絶対にやってはいけないし、戦争につながるすべてのことに反対したいと思いました。
見るのが辛い映像が続きましたが、見て良かったと思います。イスラエルの兵士があまりにも残酷でした。ジェノサイドそのものだと思いました。いつまでジェノサイドが続くのですか?
私たちは先の大戦で学んだはずじゃ無いんですか?何故子供たちが、女性たちが、何の罪もない人々が殺され続けることを止められないのですか?憎い
このジェノサイドに加担している側の全てが憎い
人間でいることが辛い
いま、自分が生きている同じ地球上で起こっていることとは信じられないほど残酷な現実が映し出されていました。ガザの人びと、とくに子どもたちが傷つけられ、泣き叫び、殺されている姿を見て、これを行なった者への怒りで何度もモニターを殴りつけたくなる衝動にかられました。
なぜ、こんなことが起きているのか。許されているのか。事態を良くするために何もできない自分が悔しくてたまりません。このような状況がなぜ起こっているのかを学び知り、周りの人にも知らせたいと思います。この映画を作り、字幕をつけ、公開してくださった方々に感謝します。
希望をもつことがどんなに大変なことであるか、思い知らされました。そして自分の中にもあるであろう獣性を如何にコントロールするか考えさせられました。制作や翻訳、そして上映に踏み切られた皆様の行動と思いに感謝申し上げます。ありがとうございました。
はじめてガザの映像を見ました。見ているだけで苦しい気分になりました。この様な激しい爆撃が1年前から今も継続しているとは。。。少し前に、れいわ新撰組のガザに関する勉強会に参加しましたが、そこでは、写真と言葉での説明だけで動画はなかったので、今回ほどの衝撃は受けませんでした。こちらの映像を見て、ジェノサイド、といっていた意味が理解できました。
武器を持たない子供や一般市民、病院や救急隊などを狙い撃ちにするイスラエルのやり方は明らかに犯罪行為ですが、なぜ、アメリカや欧州はイスラエルに加担するのか、理解できません。
爆撃を受けるパレスチナ人と、爆撃を行うイスラエル人の対比が、戦争の悲惨さと残虐さを鮮明にしていました。多くの人が亡くなり、傷つき、悲しみ、家を失っている一方で、人を狙い撃ちにし、人を罵り、蔑みの言葉を吐き、奪った土地で喜び、攻撃を正当化する。戦争の愚かさ、そして、過去に日本でも多くの人が味わった苦痛の末に出た結論、戦争はしてはいけない、という事を再認識しました。
同時に、今の日本も、この様な戦争に巻き込まれる危険性、つまり、中国と台湾が戦争した場合に、軍事的に関与して、戦争が勃発し、パレスチナと同じ様な事態になる事も考える必要があると思いました。中国は台湾だけでなく、フィリピンやベトナム、そして日本の尖閣諸島へも領海侵犯しています。
今の日本は、軍備を拡張するだけでなく、戦争ができる体制にするために憲法改正も計画されています。ひとたび軍事的な攻撃が開始されれば、報復の連鎖で、どちらかが破滅的状況になるまで戦争は止まらなくなります。歴史は繰り返すと言われますが、それでも尚、愚かな行為を繰り返さないために最大限努力をする必要があると思います。
ー努力とは、政治の暴走を止める事です。すでに日本は政治の暴走の兆候が出ています。しかし日本国民が政治に関心を示さず、選挙では半分の人しか投票にいっていないという状況は、かなり危機的といえます。なぜなら、政治が暴走しても投票で止める事ができない状態だからです。
爆撃の影響は、人間だけではありません。建物が破壊され大量の瓦礫は廃棄物として処理しなければなりません。その瓦礫の山はどこに埋め立てるのでしょうか。また、様々な動物達も廃墟となった場所では生きていけません。環境という面でも、戦争は大きな代償を払う事になります。持続可能な社会を目指しているのに、それとは真逆の結果をもたらしています。今の地球にはその様な愚かな結果を引き受ける余裕はないはずです。
今回の映像は、戦争の現実を如実に伝える大変異議のあるものです。公開していただいたことに感謝致します。多くの人がこの映像を見る事を望みます。
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