グレーバー『負債論』を読む。「負債とは約束の倒錯にすぎない。それは数字と暴力によって腐敗してしまった約束なのである」 

「借りたお金は返さなければならない」。そのためには、多少、死人がでても仕方がない。しかし、それはほんとうに正しいのかと疑問を発するところから、著者の探求ははじまっている。

〈消費者負債はわたしたちの経済の活力源である。近代のあらゆる国民国家は赤字支出の上に成り立っている。負債は国際政治の中心的課題にまでなっている。だが、そもそも負債とはなんなのかを理解している人間、または負債についてどう考えたらよいかわかっている人間はどこにもいないようにみえる。〉

これが『負債論』の問いである。

負債とはなにかがわかっていないにもかかわらず、「負債は返さなければならない」という倫理が人びとをしばりつけている、、、

著者はアナキストらしく、債務の帳消しと金融支配体制の解体を求める。だが、同時により根源的な大きな問いを投げかける。

「人間とはなにか、人間社会とはなにか、またどのようなものでありうるのか」と。

本書では、さまざまな神話に疑問が呈される。はたして物々交換なるものは存在したのか。国家と市場は、はたしてそれぞれ独立した存在だったのか。人間は、はたして交換を運命づけられているのか。貨幣はどのように発生したのか。

こうした問いを秘めながら、「過去5000年間の負債と信用についての実在の歴史」をたどろうというのである。

──グレーバー『負債論』を読む(1): 海神日和
https://kimugoq.blog.ss-blog.jp/2017-01-27

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すると、負債の歴史は、貨幣の歴史にほかならないことになる。

経済学では、貨幣は物々交換から生まれたとされるのが一般的である。

ほんとうにそうだろうか、と著者は疑う。

なぜなら、双方の欲求が一致しなければ成立しない、物々交換ほどむずかしいやりとりはないからだ。

ところが、経済学では、その不便さを解消するために貨幣が生まれたというのだ。

紀元前330年ごろ、アリストテレスはすでにこう考えていた。もともと家族は必要なものをすべて自前でつくっていた。ところが、たとえば、ある人は穀物だけをつくるようになり、ある人はワインだけをつくるようになって、たがいに商品を交換しあうようになり、そのための道具として貨幣が登場したのだ、と。

アダム・スミスの『国富論』の展開も、アリストテレスのこうした考えを引き継いでいる。

ところが、スミス以前の大航海時代に、スペインやポルトガルの冒険家が世界じゅうを探査しても、物々交換をじっさいにおこなっている場所は、どこにも発見できていなかったのである、、、

これが経済学のとらえ方だ。

しかし、それはほんとうなのだろうか。

著者はここで人類学の知見を導入し、そもそも物々交換など存在しなかったと論じる、、、

著者はこう考える。

〈物々交換がことさら古い現象ではないこと、真に普及したのは近代においてはじめてであること、実のところ、そう考えるには正当な理由がある。知られているほとんどの事例において物々交換の起きるのは、貨幣の使用に親しんでいるが、なんらかの理由でそれをふんだんにもちあわせていない人たちのあいだにおいてなのだ。手の込んだ物々交換のシステムの出現するのは、しばしば国民経済が崩壊するときである。〉、、、

したがって、スミスのいうように、貨幣は商品の自然な取引のなかから生まれたわけではない、と著者はいう。

まとめを紹介しておこう。

〈物々交換からはじまって、貨幣が発見され、そのあとで次第に信用システムが発展したわけではない。事態の進行はまったく逆方向だったのである。

わたしたたちがいま仮想貨幣(ヴァーチャル・マネー)と呼んでいるものこそ、最初にあらわれたのだ。硬貨の出現はそれよりはるかにあとであって、その使用は不均等にしか拡大せず、信用システムに完全にとってかわるにはいたらなかった。

それに対して物々交換は、硬貨あるいは紙幣の使用にともなう偶然の派生物としてあらわれたようにみえる。歴史的にみれば物々交換は、現金取引に慣れた人びとがなんらかの理由で通貨不足に直面したときに実践したものなのだ。〉

──グレーバー『負債論』を読む(2): 海神日和
https://kimugoq.blog.ss-blog.jp/2017-01-30

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経済学の一般的理解によると、「貨幣とは交換を促進させるべく選ばれたひとつの商品であり、じぶん以外の商品の価値を測定するために使用されるにすぎない」。

ところが、実際は貨幣がなければ商品も存在しないのだ、と著者は主張する。さらに、政府なくして貨幣なしともいえるのではないか、とも、、、

紀元前500年から400年ごろに成立したとされるインドのヴェーダでは、負債にたいする考え方はもっと明快だった、と著者はいう。

人が負債を負っているのは第一に宇宙の力にたいしてであり、第二に文化を与えてくれた人びとにたいしてであり、第三に育ててくれた両親や祖父母にたいしてであり、第四に周囲の人びとの寛容にたいしてである。

それらにたいして、わたしはお返しをしなければならない。だが、それは金銭によってではない。わたしは自身が先達となり、祖先となり、人道を守り、祭儀をおこなうことによって、負債を返すのである。

であるなら、原始的負債から貨幣が発生するわけではない。

だが、ここに国=社会が登場してくると、負債をめぐる論議は一転する。

19世紀の社会学者、オーギュスト・コントは、人は社会への債務者として生まれると論じ、人は社会に奉仕することで、社会への返済義務をはたさなければならないと述べた。コントのいう社会とは、市場社会をさすわけではない。それは国家そのものだといってもよい。

著者はこう書いている。

〈市場と国家は正反対のものであり、それらのあいだにこそ人間の唯一の可能性があると、わたしたちはたえまなく教えられてきた。しかしこれはあやまった二分法である。国家は市場を創造する。どちらもたがいになくしては存続しえないし、少なくとも今日知られているようなかたちでは存続しえないのである。〉

貨幣と市場は国家によって生みだされ、そこで生活をいとなむ人びとは、国家に借りを返すよう求められる。それが税の原点だと考えられる。

──グレーバー『負債論』を読む(3): 海神日和
https://kimugoq.blog.ss-blog.jp/2017-01-31

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著者は旧約聖書の「ネヘミヤ記」を思い浮かべる。ここにはヨベルの律法についての記述があった。ヨベルの律法では、7年ごとの安息の年に、あらゆる負債が自動的に無効になり、負債のために苦しんでいる者すべてが解放される。ユダヤの徳政令だといってもよい。

当時、ユダヤの人びとは、累積的な債務危機におちいり、農地を失い、借地人となっていた。息子や娘を債権者に召使いとして差しだすか、外国に奴隷として売り払わねばならないところまで追い詰められていた。

ヨベルの律法は、そうした負債から人びとを解放しようとする。それは、計算システム総体を破壊しようというものだ、と著者はいう。考えてみれば、日本の百姓一揆にも、こうした思想があるのかもしれない。

だが、こうした救済はシステムの完全破壊にいたらない。それはいっときの祝祭にとどまる。
イエスは地上の負債は返されねばならないという。

「しょせん、われわれ罪人の救済されるのはあの世においてのみなのだ」と、著者は手厳しい。

こう書いている。

〈世界宗教はまさにこのような両義性(アンビヴァレント)に充ちている。一方で、世界宗教は市場に対する怒号である。ところが他方で、そうした異議を商業的な観点から枠づけてしまう傾向をも世界宗教は有しているのである。人間の生を商取引に還元してしまうことがよくないのは、それがよい商取引ではないからだ、とでも主張するかのようなのだ。〉

かくて、人びとは負債のとらわれ人となったままである。

貨幣のもたらす「残酷さと償い」。

宗教にもニーチェの超人思想にも救いはない、と著者は考えている。

──グレーバー『負債論』を読む(4): 海神日和
https://kimugoq.blog.ss-blog.jp/2017-02-01

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ここで著者が例に挙げるのは、相互扶助を重んじるピレネーのふもとの村の話だ。

ある農民が、工場を経営している社長のところに行き、仕事をくれないかと頼む。社長は仕事をみつけてやる。それ以来、農民は社長に頭が上がらなくなり、菜園の収穫物を届けるようになる。ここで生じているのは、一種のヒエラルキーだ。

「もはや対等ではないとする対等な者たちのあいだのこの合意こそ……『負債』と呼ぶものの本質だ」と、著者は論じる。

逆に、ほんの少しの貸し借り(負債)が、かえって人間関係をスムーズにすることもある。また、上の人におごってもらったからといって、その負債はかならずしも返す必要がない。ごめんなさい、ありがとうというのは、日常のモラルである。

ラブレーの『ガルガンチュアとパンタグリュエル』には、パニュルジュという学者の、独自の借金哲学が開陳されている。それは借金をしているからこそ、金貸しは、じぶんをだいじにしてくれるし、借金があるからこそ、この世の秩序は保たれているというものである。

パニュルジュのとらえた皮肉な世界を、著者はこう要約している。

〈負債がなければだれかがだれかになにか借りがあるということもなくなるだろう。負債なき世界は、原初的混沌へと、万人の万人に対する闘争へと逆行してしまうことだろう。他人に対してだれも、いかなる責任も感じなくなるだろう。人間であるという単純な事実に、なんの意味もなくなるだろう。だれもが、じぶん自身の正しい軌道の維持さえあてにできない、孤立した惑星になるだろう。〉

だが、それはブルジョアのいいそうなことだ。

巨人パンタグリュエルは、パニュルジュの哲学を認めない。

「おたがいの慈しみや慈愛を除いては、汝は、だれにも、なにも借りてはならない」という使徒パウロのことばで、パニュルジュに反撃を加えるのだ。

著者の目的も、貨幣によるニセの秩序の解体に向けられている。

──グレーバー『負債論』を読む(5): 海神日和
https://kimugoq.blog.ss-blog.jp/2017-02-03

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著者は、経済学がすべての経済的経験を交換に還元してしまっていることを批判する。そのため経済学は「殺菌された見方しかできなくなって」いる。

たとえば、かつてアイルランドでは、賠償は貴金属や牛で支払われていただけではない。ほかに、無賃で働かされる女性もいた。それはクマルと呼ばれていた。

無賃で働かされる女性は、事実上の女奴隷だった。女奴隷、すなわちクマルは貨幣でもあり商品でもあった。著者はクマルのことを、負債懲役人あるいは債権奴隷とも呼んでいる。

経済には暴力がつきものだった。

ここで、商品世界の経済以外に目を転じてみよう。

北アメリカのイロコイ族のウォンパム(貝殻数珠)や、アフリカの布、ソロモン諸島の羽根などは原始貨幣だとされている。だが、それは、なにかの売り買いに用いられるわけではない。それは人と人との関係を取り結ぶために用いられる。だから、現在の貨幣とはまるで趣がちがう。

そうした原始貨幣を著者は「社交通貨」(改訳)と名づけ、原始貨幣が使用されている経済を「人間(じんかん)経済」と名づける。商業経済は比較的新しく登場したもので、人間経済の時代は商業経済(商品世界)の時代より、はるかに長い。

「人間経済」では、貨幣はたとえば結婚をとりもつために使われる(結納品のようなものだ)。それを贈られた側は、娘を花嫁として差しだす。花嫁代償として支払われる貨幣は、真鍮棒であったり、クジラの歯であったり、タカラガイであったり、牛であったりとさまざまである。

ここでは、あたかも花嫁が商品として売りにだされているようにみえる。だが、そうではない。これらの貨幣は「どうやっても支払い不可能である負債」が存在することを示す証拠として贈られるのだ。その返礼は、折につけ果たされねばならない、、、

ナイジェリアのクロス川河口にあるカラバルでは、何万人ものアフリカ人が鎖につながれ、大西洋の向こう側に輸送されていた。奴隷貿易の時代に輸送された奴隷の数はおよそ150万人といわれる。かれらは債務のために身柄を押さえられていた。

ヨーロッパの商人はナイジェリアに、大量の布地や鉄製品、銅製品、飾り玉、鉄砲などを持ちこんでいた。それらにたいする支払いは、銅棒によってなされる。だが、商人たちはアフリカの取引相手に商品を委託する前に、担保として人質を要求した。これはアフリカの風習を悪用したものだ。

人質狩りが横行する。「襲撃がひんぱんに生じ、単独で旅をする者だれもが、徘徊する盗賊団に誘拐され、カラバルに売られる危険性に直面していた」。

さらに、因果は回って、次は、誘拐者たちが狩りだされ、奴隷として売られていく番だった。その後、秘密結社が債務を取り立て、債権者が武装集団をひきつれ、債務者の村を襲撃し、人や物、家畜などを奪うこともあった。

「しばしば債務者は、じぶんの子どもや従僕を、次々に人質に出すよう余儀なくされ、しまいにはじぶん自身をさしだすよう強いられた」。こうして人質と奴隷との区別は次第になくなっていく。

こうして、人質を確保し、人間の生命を守るはずの「人間経済」が、こんどは逆方向に作動しはじめ、人間存在を破壊する手段と化していった。

奴隷売買はアフリカだけでの現象ではない。それは東南アジアでもおきている。タイでは貧しい兄弟が、兄弟のひとりの結婚費用を、スポンサーに工面してもらう代わりに自分や家族を抵当にいれるという風習があった。かれらはスポンサーにこきつかわれても、がまんしなければならなかった。

それは17世紀から18世紀にかけてのバリ島でも同じだった。退嬰的でアヘン中毒のバリの貴族たちは、臣民を奴隷として外国人に売り払うことで富を築いた。闘鶏で債務を負った多くの農民が、妻や子どもたちもろともジャワに売られていった。

お金は人には代えられないというのが、「人間経済」の特徴だった。だが、貨幣経済になって、人をものとして扱うには、継続的で組織だった暴力の介在が欠かせなくなった、と著者はいう。

アフリカで起きたことは、たとえてみれば次のようなことだ。

〈突然、わたしたちの社会に、無敵の軍事技術によって武装したとてつもなく豊かで理解不能なモラルの体系をもった宇宙人があらわれ、人間の労働者をつれてくれば1人あたり100万ドル支払うと、にべもなく告知する。こうした状況を利用して儲けにありつこうとする悪辣な者は少なくとも一握りは常にいるものだ──そしてほんの一握りで事足りるのである。〉

その手口は、まず負債を払えというところからはじまる。戦争と征服と奴隷制の遺産は消え去っていない。われわれはいまも負債社会のなかにいる、と著者は論じている。

──グレーバー『負債論』を読む(6): 海神日和
https://kimugoq.blog.ss-blog.jp/2017-02-05

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だが、奴隷制の開始は、はるか古代にさかのぼる。

かくも長く奴隷制がつづいたのはなぜか。著者はそこには名誉と不名誉に関する意識がからんでいるという。人が奴隷になる理由はさまざまである。戦争で捕虜になる、誘拐される、犯罪で処罰される、父親に売却される、あるいは自発的にみずからを売却する、などなど。

とりわけ、負債による奴隷が増えるのは、社会が崩壊する兆候をあらわしていた。

エジプト人社会学者、アル・ワヒードは「人間が奴隷になるのは、さもなければ死ぬよりほかない状況においてのみである」と述べている。奴隷になった人は、死んだものとみなされる。

奴隷にとって、奴隷になることが不名誉であることはいうまでもない。だが、主人にとって、奴隷をもつことは名誉であった。

主人は「人間を商品に還元するために必要とされる暴力」を有している。

その暴力とは貨幣にほかならず、貨幣の発生は奴隷制と深くからんでいる、と著者はいう。

ここで、著者は中世初期のアイルランドで売買されたクマルと呼ばれる少女奴隷に言及する。

クマルは負債を清算するさい、貨幣単位として用いられた。たとえば7クマル=7人の少女奴隷というように。

中世アイルランドでは、貨幣経済が浸透していない、、、

プラトンは航海中、とらわれの身となり、アイギナ島で競売にかけられた。そのとき、偶然エピクロス派のリビア人哲学者がプラトンをみつけ、身代金を払って釈放してくれた。プラトンはお金を集めて、この哲学者に返済しようとするが、かれは受け取らない。そこで、プラトンは、この代金をアカデメイアの土地の購入にあてたという、有名なエピソードがある。

だが、プラトンはふしぎなことに、このリビア人哲学者にまったく言及していない。おそらく、プラトンは二重の意味で屈辱の経験を頭から追い払いたかったのかもしれない、と著者は推測している。以来、プラトンの哲学において、貨幣的なもの、すなわち権力や利益は、極力排除され、名誉がなによりも重んじられるようになっていくのは偶然ではない、と著者は考えている。

ここでも貨幣が名誉と不名誉の問題にからんでいることがわかるだろう。

最後に論じられるのが、ローマについてである。

ローマ法には財産の私的所有権に関する規定がある。それは実際には、単なる物の所有権を意味するのではなく、奴隷にたいする所有権を意味していた。

──グレーバー『負債論』を読む(7): 海神日和
https://kimugoq.blog.ss-blog.jp/2017-02-08

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古代の奴隷制は中世にいたって廃止され、近代においてまた大々的に復活する。それはヨーロッパにかぎらず、インドや中国でも同じだった。

すると、歴史には何らかのサイクルがあるのではないか。そこで著者は貨幣と負債、信用の歴史を中心に、ユーラシア大陸5000年の歴史を検証しようとする。

硬貨の鋳造は、紀元前500年から600年ごろ、地域をへだてた華北平原、ガンジス川流域、エーゲ海周辺で、ほぼ同時にはじまっている。

それから1000年、あらゆる国家が硬貨を発行するようになるが、それが紀元600年ごろに突然、停止され、それから信用システムへの回帰がはじまる。

金銀の時代は戦乱の時代でもある、と著者はいう。これにたいし、信用システムは平和な時代しか成りたたない。

そこで、著者は、仮想貨幣と金属貨幣の交替に沿って、世界の歴史を、次のように区分する、、、

問題は硬貨の保証が都市の内部にかぎられることだった。都市の外に出て、無縁の地に出れば出るほど、硬貨はただの金属のかたまりへと変貌してしまうのだ。遠方交易はその硬貨の難点を乗り越えねばならなかった。硬貨と市場の出現は、新たな負債を生みだし、これまでの人びとの生活を一変させていった。同時にそのなかから人間性を超越した神や倫理、徳性を求める教えもあらわれ、それが人びとの心に根づいていく。

物質的で利己的な市場社会のなかから、慈愛を説く世界宗教が生まれてくる。

市場と宗教。それについて、著者はこう書いている。

〈純粋な貪欲と寛大とは相補的な概念なのである。どちらも他方抜きでは想像することすらできない。双方とも、そのような純粋かつ目的の限定されたふるまいを要求する制度的文脈においてのみ生じえたのだ。そして、双方とも、非人格的で物理的な銭貨が姿をあらわす場所であればどこでも、そろって出現しているようにおもわれる。〉

宗教は単なる現実逃避に終わらなかった。

「少なくとも、彼岸的な宗教は、根本的なべつの世界を垣間みさせてくれた」。

そして、事態は変化しはじめる。戦争は批判され、奴隷制は衰弱し、負債のもたらす社会の崩壊に人びとは危惧を覚える。こうして市場社会のもたらした膨張と混乱を収拾するために、新しい時代、すなわ
ち中世が登場する。著者はそう理解している。

──グレーバー『負債論』を読む(8): 海神日和
https://kimugoq.blog.ss-blog.jp/2017-02-10

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