アマゾンの熱帯雨林の写真を見たことがあれば、そこがどのような場所か、大まかなイメージをお持ちだろう。
緑に覆われ、蒸気が立ちのぼり、つるが絡みあい、生命が満ちあふれている。
また、数百もの先住民族の居住地でもあり、彼らは何世代にもわたって熱帯雨林に暮らしてきた。
エクアドルとペルーの目に見えない国境沿いに暮らすアチュアル族もその一つだ。
この10年から20年の間、アチュアル族は独特の世界観ゆえに注目の的になってきた。
その世界観は人類学者や哲学者を惹きつけ、学者たちの自然に対する考え方を一変させた。
アチュアル族にとって「自然」は存在しない。
自然というカテゴリーを当然のものと見なしがちな西洋人にとっては、とんでもないことのように思えるかもしれない。
私自身、初めてその考え方を知った時には、ばかばかしいと思った。
しかし、この考えを長く心に留めておくと、心の奥底で変化が起き始める。
そこには強力な秘密が隠されているのかもしれない、、、
人間と同じく主体性、意思、それに自意識まで持っている。
動植物は感情を抱き、仲間どうしだけでなく、他の種や人間とさえー夢を通じてーメッセージをやり取りする。
動植物と人間に本質的な違いはない。
アチュアル族は動植物を親類と見なしている。
食べるために狩るサルなどの動物は、義理の兄弟であり、それらとの関係は慎重なルールと互いへの尊敬の上に成り立っている。
食料にする植物のことは、養い世話をすべき子供とみなしている。
アチュアル族にとって、ジャングルは単なる栄養源ではない。
親密なつながりと親類関係に満ちた場所なのだ。
そうしたことはすべて昔ながらの比喩にすぎない、と片づけたくなるかもしれないが、そうではない。
両親、子供、義理の親戚や隣人と良好な関係を保つことが、安全で幸福な生活を維持するために欠かせないことを、わたしたちが知っているのと同様に、アチュアル族は、森を共有する、人間ではない(あるいは人間以上の)多様な人格(パーソン)からなるコミュニティと良好な関係を保つことが、生活を維持するために欠かせないことを知っている。
アチュアル族はそのコミュニティと相互依存の関係にあり、コミュニティが存在しなければ、自分たちも存在し得ないことを理解している。
両者は運命を共有しているのだ。
アマゾンの熱帯雨林に暮らす民族のほとんどは同様の原則を持っており、それは当たり前の倫理観として広く普及している。
しかし、こうした考え方をするのはアマゾンの先住民だけではない。
バリエーションはさまざまだが、この倫理観はすべての大陸の、無数の先住民コミュニティで共有されている。
その一貫性には驚かされる。
また、多くの場合、植物と動物だけでなく、川や山などの無生物も人間と見なされている。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」259p
最終的に政府は、資源とエネルギーの消費を削減するためにの具体的な目標を設定する必要がある。
第3章で見てきたように税を課すだけでは不十分だろう。
生態経済学者は、厳しい制限を設定するしかない、と考えている。
現在の資源とエネルギーの消費量を上限とし、プラネタリー・バウンダリー内に収まるまで、毎年、徐々に下げていくのだ。
これは特に過激な手法ではない。
すでにわたしたちは資本家による人的搾取に対抗するために、最低賃金、児童労働禁止、週末の休みの保証など、あらゆる種類の制限を設けている。
資本家による自然の搾取に対しても、同様の制限を設ける必要がある。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」224p
経済が合理的かつ効率的になればなるほど、必要とされる労働力は減っていくのだ。
これは見方によっては素晴らしいニュースだ。
そうなれば、社会が必要としない物を生産・販売する仕事は減り、不必要な仕事で無駄に働かされる人は減る。
人々は解放され、他のことに時間とエネルギーを使えるようになる。
しかし、解雇される労働者にとっては災難だ。
政府は失業対策に追われるようになるだろう。
このことは出口のない迷路のように思えるかもしれない。
実際、政治家が脱成長を言語道断と見なす理由もそこにある。
しかし抜け出す道はある、、、
必要な労働を公平に分配すれば、完全雇用を維持できる、、、
雇用保障は、政府が実施できる最も強力な環境政策の一つだ。
なぜなら、雇用が保障されれば、失業を心配することなく、破壊的な産業の縮小についてオープンに話し合えるようになるからだ。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」225p
労働時間の短縮がもたらす恩恵はそれだけではない。
ある科学者グループは、その証拠を次のようにまとめた。
「既存の研究は、労働時間の短縮は社会に3つの利益をもたらすことを示唆する。その3つとは、失業率の低下、生活の質の向上、環境負荷の減少である」。
すなわち、労働時間の短縮は、人道的で環境に配慮する経済を築くためのカギなのだ。
このアイデアは目新しいものではなく、特に過激なわけでもない。
1930年、イギリスの経済学者ジョン・メイナード・ケインズは、「孫の世代の経済的可能性」と題したエッセイを記した。
その中でケインズは、今後、技術革新と労働生産性の向上が進み、2030年までに週の労働時間はわずか15時間になる、と予測した。
生産性の向上については、ケインズは正しかったが、労働時間についての予測は実現しなかった。
なぜだろう。
それは、労働生産性の向上がもたらした利益を、資本家が横取りしたからだ。
企業は、労働時間を短縮して賃金を上げる代わりに、増えた利益を自分のポケットに入れ、従業員には、これまで通りの長時間労働を強いた。
生産性向上による利益は、人間を労働から解放するためではなく、絶え間ない成長のために使われたのだ。
この意味において資本主義は、啓蒙主義への支持を主張しながら、啓蒙主義を裏切っている。
わたしたちは、資本主義は自由と人間の解放を軸として構築された、と考えがちだ。
それは資本主義が売り物にしているイデオロギーだ。
しかし資本主義は、すべての人のニーズを何重にも満たし、人々を不要な労働から解放できる技術力を備えているにも関わらず、その技術を、新たな「ニーズ」を生み、生産と消費のトレッドミルを際限なく拡大するために使っている。
真の自由をもたらすという約束は永遠に果たされない。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」227p
通常、わたしたちは資本主義を、非常に多くのものを生み出すシステムと見なしている(テレビ画面や店先にあふれる品々を考えてみよう)。
だが実際は、資本主義は絶え間ない希少性の創出を軸として組み立てられたシステムなのだ。
資本主義は、生産性と利益を驚くほど向上させるが、それを豊かさと自由にではなく、新たな形の人為的希少性に変える。
そうしなければ資本蓄積のエンジンが止まる恐れがあるからだ。
成長志向のシステムの目的は、人間のニーズを満たすことではなく、満たさないようにすることなのだ。実に不合理で、生態系にとっては暴力的だ。
この仕組みを理解すれば、解決策はすぐ見えてくる。
成長のために希少性が創出されるのであれば、人為的に創出された希少性を逆行させれば、成長を不要にできるはずだ。
公共サービスを脱商品化し、コモンズを拡大し、労働時間を短縮し、不平等を減らすことによって、人々は豊かに暮らすために必要なものにアクセスできるようになる。
しかも、そのために新たな成長は必要とされない。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」237p
競争心からも解放される。
その結果、経済の生産量は減るが、それは必要な減少でもある。
経済は縮小しても、まだ十分豊かだろう。
私有財産(あるいはGDP)は縮小し、企業とエリートの所得は減るが、公共の富は増え、他の全員の生活は向上する。
交換価値は下がるが、使用価値は上がる。
突然、新たなパラドックスが出現する。
豊かさが成長の解毒剤であることが明らかになるのだ。
事実、豊かさは成長要求そのものを無効にし、ジャガノートをスローダウンし、そのハンドルを生物界に明け渡すことを可能にする。
ヨルゴス・カリスが指摘したように、「資本主義は、豊かな状況では作動しない」のだ。
中には、脱成長は緊縮財政の新たなバージョンにすぎない、と批判する人もいる。
しかし、実際はまったく逆だ。
緊縮財政は、より多くの成長を実現するために希少性を求める。
一方、脱成長は、成長を不要にするために豊かさを求める。
気候の危機を回避したいのであれば、21世紀の環境主義者は新たな要求をはっきり述べなくてはならない。
「わたしたちが求めるのは根本的な豊かさだ」と。
債務を帳消しにする
人為的希少性を逆行させることは、成長という独裁者からの解放に向かう強力な一歩になる。
しかし、対処しなければならない圧力、すなわち無効にすべき成長要求は他にもある。
おそらく最も強力なのは債務だろう、、、
複利の借金は、ある種の人為的希少性を生み出し、生態系に直接、影響を与える。
対外債務を抱えた国々は、伐採や採鉱などの資源採掘産業に対する規制の緩和を迫られ、生態系を搾取している(政府が自国の中央銀行に負う義務は当てはまらない。対外債務と違って、返済義務がないからだ)。、、、
人類学者デヴィッド・グレーバーが述べているように、債務という財政上の義務のせいで「わたしたちは不本意ながら略奪者に等しくなり、世界をただ金に変えられるものとして眺めるようになる」
幸い、このプレッシャーを緩める方法がある。
債務の一部を帳消しにすればよいのだ。
生態系崩壊の時代において、債務の帳消しは、より持続可能な経済へ向かう重要な一歩となる。
過激に聞こえるかもしれないが、前例はいくつもある。
古代オリエント社会は定期的に債務を帳簿を一新して、非商業的な債務を無効にし、債権者による束縛から人々を解放した。
この原理はヘブライ法で「ヨベルの年」として制度化され、借金は7年ごとに自動的に帳消しにされた。
実のところ、債務の帳消しはヘブライの贖罪の概念の核になった。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」238p
同じことをグローバル・サウスの国々の対外債務についても行うことができる。
その債務は驚異的なペースで増え続けている。
大半はアメリカ連邦準備制度が金利を高騰させた1980年代の遺物だ。
その高金利のせいで、サウスのすべての国は永遠にウォール街に隷属することになった。
加えて、悪徳金融業者からの借金や、退陣して久しい非民主主義的な独裁者が残した借金もある、、、
もちろん大口債権者は損をすることになるが、それはそれでいいと考えるべきかもしれない。
より公平で環境に配慮する社会をつくるためなのだから、耐えてもらうことにしよう。
わたしたちは、誰も傷つかない方法で債務を帳消しにできる。
誰も死なない。
結局、複利はフィクションにすぎない。
フィクションの長所は、変更できることだ。
次に紹介するデヴィッド・グレーバーの言葉は、おそらく最も雄弁にそれを語っている。
(債務の帳消しが)有益なのは、人間の苦痛を大幅に軽減できるからだけではない。お金は重要ではなく、借金の返済が道徳の本質ではないこと、さらには、これらすべては人間が決めたことであり、民主主義の真髄は、全員が同意する形で取り決めを変更できることであることを、わたしたちに気づかせるからだ。
新たな経済のための新たな資金
しかし、債務の帳消しは一過性の解決策に過ぎず、問題の根本的な解決にはならない。
解決しなければならない、より深い問題がある。
わたしたちの経済が借金だらけになっている主な理由は、経済システム自体が、債務の上に成り立っていることにある、、、
これは「部分準備銀行制度」と呼ばれる制度だ。
つまり、銀行は実際に保有する資金の約10倍の資金を貸し出しているのだ。
となると、実際には存在しない、その資金はどこから来るのだろう?
銀行は、借り手の口座に入金する時、そのお金を何もないところから作り出す。
文字通り、融資することで作り出すのだ。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」240p
2014年、ハーバード大学とイェール大学の学者チームが、自然界に対する人々の考え方について調査し、驚くべき結果を発表した、、、
人々をグループに分け、世代を超えて管理する共有資源を割り当てた。
その結果、平均で68%もの人が、持続可能な形で資源を利用することを選択し、再生可能な量しか取らなかった、、、
問題は、残り32%の人が、目先の利益のために共有資源を存分に使うという選択をすることだ。
時が経つにつれて、この利己的な少数派のせいで共有する資源は減り、、、4世代目までに資源は完全に枯渇し、次世代には何も残らない。
この驚くべき衰退のパターンは、現在、地球上で起きていることに非常によく似ている。
しかし、そのグループに、直接民主主義によって集団で決定することを求めると、驚くべきことが起きた。
持続可能な選択をした68%の人々が利己的な少数派を抑え、破滅的な衝動を阻止できたのだ、、、
何度調べても、民主主義のもとでは資源は100%、次世代のために維持された。
科学者たちは12世代に及ぶ実験を行ったが、結果は常に同じだった。
資源はまったく減らなかった。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」247p
これらの発見は真の希望をもたらす。
わたしたちが過剰な産業活動を縮小し始めれば、生物界は驚くべきスピードで回復するのだ。
これは遠い夢ではない。
わたしたちは生きている間に、この目でその再生を見ることができるだろう。
しかし、迅速に行動しなければならない。
地球温暖化がこれ以上進めば、生態系がその再生能力を失う可能性が高いからだ。
この観点に立てば、脱成長とは、脱植民地化のプロセスだと考えざるを得ない。
資本主義の成長は常に領土拡大の論理を中心として組み立てられてきた。
資本が自然の領域を次々に蓄積の回路へ引き入れるにつれて、土地、森林、海、さらには大気さえ植民地化されてきた。
過去500年にわたって、資本主義の成長は、囲い込みと奪取のプロセスであり続けた。
脱成長とはこのプロセスを逆転させることだ。
それは解放であり、治癒と回復と修復の機会が訪れたことを意味する。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」254p
これらの原則が惑星レベルで、すなわち地球システム全体で働いていることを示す証拠さえある。
科学者たちは、植物、動物、細菌のバイオームが、陸地、大気、海洋とどのように相互作用し、地表の気温から海の塩分濃度、大気の組成に至るすべてをコントロールしているかを学んでいる。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」282p
生物界から食物や資源を受け取る時には、祖母から手作りの健康的な料理をもらう時のような、思いやりと礼儀正しさと感謝の念を持って受け取るべきだ、とキマラーは指摘する。
権利としてではなく、贈り物として受け取るのだ。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」284p
囲い込みの結果、ヨーロッパには「貧民」と「浮浪者」があふれた。
土地を追われ仕事を失った人々や、新たに誕生した資本主義的な農場や工場の過酷な環境で働くことを拒否した人々だ。
彼らは物乞いや行商をしたり、食物を盗んだりして生き延びた。
この状況はおよそ3世紀にわたって、ヨーロッパ諸国の政府を悩ませた。
増える一方の下層階級が政治的脅威になるのでは、という支配階級の恐れを和らげるために、国は労働を強制する法律を導入し始めた、、、
これらの法律は、持たざる人々に対する国家的暴力の行使を招いた。
イングランドでは、ヘンリー8世の治世に7万2000人を超す浮浪者が絞首刑になった。
1570年代には、10年間で約4万人が処刑された、、、
1600年代、デカルトの思想は、衝動や欲望に打ち勝ち、規則正しく生産的な秩序を身体に課すために利用された。
喜び、遊び、自然な衝動など、身体的快楽を求めることはすべて不道徳と見なされた。
1700年代には、この考えは「怠惰は罪」「多産は美徳」という明確な価値観に統合された。
当時の西洋キリスト教社会で支配的だったカルヴァン主義の神学は、「利益」を道徳的成功の象徴にして「救済の証」と見なし、利益を最大化するために、生産性向上を第一の目的として生活することを奨励した。
生産性をめぐる競争に負けたり、貧困に陥ったりした人は、罪人の烙印を押された。
貧困は強奪された結果ではなく、個人の道徳的失敗と見なされるようになったのだ。
こうした規律と自制の倫理が資本主義文化の中心となり、イギリス全土に、「怠惰」な貧民を収容するための「救貧院」(ワークハウス)が建てられた。
それは工場として機能すると同時に、文化的再教育の場にもなり、生産性と時間を重視し支配者を敬うことを貧民に教え込み、残っていた抵抗精神を根絶やしにしていった。
1800年代になると、工場では時間割(タイムテーブル)を組み立てラインが開発された。
いずれも目的は個々の労働者から最大限の生産量を搾り取ることにあった。
1900年代初頭にはテイラー主義(科学的管理法)が登場し、労働者の細かな動作一つ一つについて、可能な限りの効率向上が目指されるようになった。
仕事から意味、喜び、才能、熟練が次々に奪われていった。
わたしたちが「ホモ・エコノミクス」と呼ぶ生産主義的行動は、自然なものでも生得的なものでもない。
5世紀に及ぶ文化的再プログラミングの産物なのだ。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」79p
テクノロジーの力は資本家と労働者の生産性を高め、より多く速く、生産できるようにしたのだ。
しかし同時に、自然からの強奪も加速させた。
19世紀と20世紀には、このプロセスは、まずは石炭、次に石油という、化石燃料の大規模な発見と、それを採取し利用するテクノロジー(蒸気機関など)の発明によって加速した。
1バレルの原油は、約1700キロワットアワーの仕事をする。
人間の労働4・5年分に等しい。
資本家から見れば、地下に眠る油田の開発は、2度目の南北アメリカ大陸植民地化、あるいは2度目の大西洋奴隷貿易のようなものだったーまさに強奪による大儲けだ。
化石燃料は、強奪のプロセス自体にも、過剰なほどのエネルギーを提供した。
より深く掘削するための巨大なドリル、遠洋漁業向けのトロール船、集約農業のためのトラクターやコンバイン、高速で伐採するチェーンソー、加えてこれらの資材を信じられないほどのスピードで世界中に運ぶ船やトラックや飛行機に、化石燃料は動力を供給した。
つまり、テクノロジーのおかげで強奪のプロセスは指数関数的に加速・拡大してきたのだ。
この加速を反映して、20世紀にはGDPが驚異的なスピードで急成長した。
しかし、化石燃料とテクノロジーがこの成長を牽引したと考えるのは間違いだろう。
化石燃料とテクノロジーが成長を促進したのは確かだ。
しかし、わたしたちは自問しなくてはならない。
より深い動機は何だろう。
資本主義の成長の原動力は何なのか、と。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」89p