良い人生に必要なものとは何か?
今日の歴史家は、、、驚くほど簡単な介入がそれら(平均寿命と人間の福利)の向上をもたらしたと指摘する。
その介入とは、公衆衛生だ。
1800年代半ば頃、公衆衛生の研究者たちは、飲料水と下水を分けるといった簡単な衛生対策によって公衆の健康アウトカム[治療や予防などの介入から得られる結果]を改善できることを発見した。
必要とされるのは、少しばかりの公共の配管設備だけだ、、、
数十年にわたって資本家たちは、公衆衛生の目標へ向かって進むことを後押しするどころか、反対したのだ。
自由主義志向の地主たちは土地の使用を許可せず、設備を作るために必要な税金の支払いも拒んだ。
こうした上流階級の抵抗は、平民が選挙権を獲得し、労働者が組合を組織して初めて破られた、、、
活動家たちは、都市は少数の人のためではなく、すべての人の利益のために運営されるべきだという新たなビジョンを実現するために戦った。
これらの運動は公衆衛生システムだけでなく、公的医療制度、ワクチン接種補償、公教育、公営住宅を実現し、賃金や労働条件の改善も導いた。
歴史家サイモン・シュレーターの研究によると、そうした公共財ーある意味、新種のコモンズと言えるーへのアクセスは、人々の健康に多大なプラスの影響を及ぼし、20世紀を通じて平均寿命の延びに拍車をかけた。
この説明は現在、公衆衛生の研究者たちに強く支持されている、、、
国際的な医学者チームによる最近の研究によると、平均寿命向上の予測因子として、衛生対策に次ぐのは、ユニバーサル・ヘルスケア(すべての人が適切な医療を受けられること)へのアクセスであり、それには子供のワクチン接種も含まれる。
これらの基本的な制度が整った状態で、さらに平均寿命を伸長させるのは、教育、特に女性教育である。
学べば学ぶほど、寿命は長くなるのだ、、、
2015年、国連開発計画(UNDP)は、経済成長と保健・教育の変化の関係は「弱い」とする分析結果を発表し、「人間の福利の進歩は、経済成長とは異なる」と結論づけている。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」178p
もちろん、公的医療保険、公衆衛生設備、公教育、適正賃金といったものは財源を必要とする。
経済成長はそれらの実現を助けるだろうし、貧困国では経済成長は不可欠でさえある。
しかし、ここが肝心なところだが、人間の福利を向上させるための介入は、高レベルのGDPを必要としない、、、
事実、国民1人当たりのGDPは比較的低いのに、驚くほど高レベルの福利を実現している国が数多く存在する。
わたしたちはこれらの国々を「例外」と見なしがちだが、そういった国々はまさにシュレーターや他の公衆衛生研究者が明らかにしようとしたことを証明している。
要するに、分配が肝心なのだ。
最も重要なのは、万人向けの公共財への投資である。
ここから話は面白くなる。
平均寿命を例にとってみよう。
アメリカは、、、世界で最も裕福な国の一つだ、、、
しかし、この(国民の平均寿命という)重要な指標において、アメリカに勝っている国は何十か国も存在する、、、
日本は、所得がアメリカより35%低いが、平均寿命は84歳で、世界最長だ。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」180p
GDPと人間の福利との関係が、ある時点を超えると破綻するのは明らかだ。
しかし、この関係には別の興味深い特徴がある。
ある閾値を超えると、成長はマイナスの影響を与え始めるのだ。
その影響は、「真の進歩指標」(GPI)などの、進歩に関する新たな測定基準によって見ることができる、、、
世界のGPIは1970年代半ばまではGDPと足並みを揃えて成長してきたが、それ以降、グラフは平坦になり下降していく。
社会・環境コストが増大し、消費から得られる利益を打ち消したのだ。
環境経済学者ハーマン・デイリーが言う通り、ある点を過ぎると、成長は「非経済的」になる。
富より「貧困」を多く生み出すようになるのだ。
この状況は多くの国や地域に見られる。
高所得国が成長を追求し続けることは、不平等と政治不安を助長し、過労や睡眠不足によるストレスや鬱、公害病、糖尿病や心疾患などの不調の原因になっている。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」183p
アメリカン・ドリームは、所得と消費こそが幸福へのチケットだと約束してきた、、、
しかし奇妙なことに、全般的な幸福感と充実感の指標を見てみると、それらとGDPのつながりは希薄であることがわかる。
このかなり不可解な結果は、それを最初に指摘した経済学者に因んで「イースタリンのパラドックス」と呼ばれている。
アメリカでは、幸福度がピークになるのは1950年代で、、、以来、アメリカ人の平均年収は4倍になったが、この半世紀で幸福度は横ばいか、低下さえし始めた。
イギリスも同様で、、、収入は3倍になったにもかかわらず、、、同じような傾向は、他の多くの国でも見られる。
このパラドックスをどう説明すればよいだろう?
またしても研究者たちは、重要なのは所得そのものではなく、それがどう分配されるかであることを発見した。
所得の配分が不公平な社会は総じて幸福度が低い。
これにはいくつか理由がある。
不平等は不公平感を生み、それは社会の信頼、結束、連帯感を損なう。
また、健康状態の悪化、犯罪率の上昇、社会的流動性の低下にもつながる。
不平等な社会で暮らす人々は、欲求不満、不安感、生活への不満がより強い傾向にある。
そうした人々は、うつ病や依存症になる割合も高い。
これが現実の生活でどのように起きるかは容易に想像できる。
もしある人が職場で昇給したら、とても幸せな気分になるだろう。
しかし同僚の昇級額が自分の2倍だったことを知ったら、どうなるだろう?
突然、まったく幸せでなくなり、動揺する。
自分の価値が下がったように感じる。
上司に対する信頼は砕かれ、同僚との連帯感も失われる。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」185p
人が、有意義な人生を送っていると感じるのは、思いやり、協力、コミュニティや人とのつながりを体現している時だ。
そうした価値を心理学者は「内在的価値」と呼ぶ。
内在的価値は、お金をいくら持っているか、自宅はどのくらい大きいか、といった外的な指標とは無関係だ。
内在的価値はより深いところに存在し、収入や消費によって得られる束の間の快感よりはるかに強力で、長く持続する。
人間は、共有し、協力し、コミュニティを築くために進化してきた。
したがって、思いやりや協力、コミュニティや人とのつながりを表現できる状況では生き生きと活動し、それらが抑制される状況では、苦痛を感じるのだ。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」187p
(コスタリカの)二コヤ半島の人々はさらに長生きし、平均寿命は85歳に達する。
世界最高レベルだ。
これは奇妙な現象だった。
なぜなら、ニコヤ半島はコスタリカで最も貧しい地域の一つだからだ、、、
研究者は、ニコヤの人々の長寿には他の理由があることを発見した。
それは食事でも遺伝子でもなく、まったく予想外のもの、すなわちコミュニティの存在だった。
二コヤの長寿の人々は皆、家族、友人、隣人との強い絆を保っている。
高齢になっても、つながりを感じ、自分の価値を実感している。
二コヤでは最も貧しい世帯の人が最も寿命が長い。
それは彼らが同居し、互いを頼りにできるからなのだ。
考えてみよう。
コスタリカの農村で自給自足の生活を営む人々が、地球で最も豊かな経済圏の人々よりも長く健康な人生を送っている、、、
富裕国の特徴となっている過剰なGDPは、真に重要なことに関しては1つも勝ち星をもたらさないのである。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」188p
成長のない繁栄
これらのことはすべて朗報と言える。
なぜならそれが意味するのは、高中所得国や高所得国は、成長しなくても全国民に良い生活を提供し、人間の真の進歩を達成できる、ということだからだ。
その方法もよくわかっている。
不平等を是正し、公共財に投資し、所得と機会をより公平に分配すればよいのだ。
このアプローチの素晴らしいところは、生態系にプラスの影響を及ぼせることだ。
社会がより平等になるにつれて、人々は所得を高くしたり華やかな贅沢品を買ったりすることへのプレッシャーを感じなくなる。
その結果、止まるところのない消費主義のトレッドミルから解放される。
デンマークを例にとってみよう。
消費者調査によると、社会がより平等なデンマークの国民は、他の高所得国の人々に比べて、購入する衣服が少なく、長く使うことが明らかになっている。
企業が広告にかける費用も少ない。
なぜなら不必要な贅沢品を買うことに人々が興味を示さないからだ。
これは、より平等な社会では、他の要因を補正すると、国民1人当たりの排出レベルが低くなる原因の一つだ、、、
不平等を解消すると、より直接的に生態系へのマイナスの影響を減らすことができる。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」189p
富裕層のエコロジカル・フットプリントは、そうでない人々よりはるかに高い。
世界人口の上位10%の富裕層は、1990年以来、世界の総炭素排出量の半分以上の原因になっている。
つまり、世界の気候危機の大半は富裕層によって引き起こされいるのだ。
所得が上がるについて、不均衡はますます拡大する。
世界の上位1%の富裕層の排出量は、貧困層(世界人口の下位50%)の人の100倍を超える。
なぜだろう。
それは富裕層が貧しい人より多くのものを消費しているというだけでなく、彼らが消費する物が大量のエネルギーを消費するからだ。
豪邸、大型車、プライベートジェット、頻繁なフライト、外国での休暇、贅沢な輸入品などだ。
そして富裕層が使いきれないほどお金を持っている場合(通常、そうなのだが)彼らはその余剰分を、生態系を破壊する発展産業に投資する。
これらのことから、シンプルだが急進的な結論が浮上する。
それは、最富裕層の所得を減らす政策はすべて生態系にとってプラスになる、というものだ。
富裕層の過剰な所得は、庶民の福利には何の利益ももたらしていないので、これは社会的コストを伴わずになし遂げることができる。
この結論は、不平等の問題に取り組む研究者たちに広く共有されている。
フランスの経済学者トマ・ピケティは不平等に関する世界的権威大た、遠慮なくこう述べる。
「最富裕層の購買力を大幅に下げると、それだけで排出量削減に世界レベルの影響を及ぼすことができるだろう」。
また、公的サービスに投資することにもエコロジカルなメリットがある。
公的サービスはほとんどの場合、民間のサービスより炭素・エネルギーの集約度が低い、、、
公共材の存在は、所得を増やさなければというプレッシャーから人々を解放する。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」190p
ここが重要なポイントだ。
人間の幸福に関して言えば、重要なのは収入そのものではない。
その収入で何が買えるか、より良く生きるために必要なものにアクセスできるかが重要なのだ。
カギになるのは「福利購買力」だ。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」191p
他の研究により、地球温暖化を1・5℃未満に抑えるレベルのエネルギー消費によって、すべての人に良い生活(国民皆保険、教育、住宅、電力、冷暖房、公共交通、コンピューターなど含む)を提供できることが示された。
しかしそのためには、開発についての考え方を根底から変える必要がある。
経済成長を追い求め、それが魔法のように人々の生活を向上させることを期待するのではなく、まず人々の生活の向上を目標にしなければならない。
そのために成長が必要とされるか、必然的に成長を伴うのであれば、それはそれでよい。
経済は人間と生態系の要求を中心に組み立てるべきであり、その逆ではないのだ。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」193p
多くの人は世界の貧困と聞くと、世界経済から切り離された僻地で暮らす人々を思い浮かべるだろう。
グリーバリゼーションの影響を受けず、富裕国の人々の生活とは無縁の人々だ。
だが、このイメージは完全に間違っている。
貧困層は世界経済に深く組み込まれている。
彼らは、ナイキやプライマークといった多国籍企業の搾取工場で働き、あるいは、わたしたちのスマートフォンやコンピューターを作るのに必要な希土類(レアアース)を命がけで採掘している。
わたしたちが毎日消費する茶葉やコーヒー豆やサトウキビを収穫し、欧米の朝食のデーブルに並ぶベリーやバナナも収穫する。
さらに、世界経済を動かす石油・石炭・ガスは彼らの土地から採取される。
少なくとも枯渇するまでは。
つまり彼らは、世界経済に投入される労働と資源の大半を提供しているのだ。
にもかかわらず、見返りとして彼らが受け取るのは、ほんの小銭だ。
世界人口の60%を占める貧困層は全世界の所得の約5%しか手にしていない。
1980年以降の40年間、彼らの1日当たりの収入は平均で年3セントしか増えなかった。
トリクルダウン経済[富裕層が豊かになると、貧困層にも富がしたたり落ちるという理論]のことは忘れよう。
年3セントではトリクル(しずく)どころか、霧にもならない。
世界の富裕層の話は対照的だ。
1980年以降の40年間で、世界経済の成長がもたらした新たな収入の46%以上が、最も豊かな5%に流れている。
世界の上位1%の富裕層だけで毎年19兆ドルの収入を得ており、それは世界GDPの4分の1近くに相当する。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」196p
世界のすべての人が貧困線(1日当たりの所得が7・4ドル)を上回り、かつグローバル・サウスのすべての人にコスタリカと同等の普遍的な公的医療を提供するには、約10兆ドルが必要となる。
一見、かなりの額だ。
しかし、上位1%の富裕層の年間所得の半分でしかないことに気づいてほしい。
1%の最富裕層の過剰な年間所得のうち、10兆ドルを世界の貧困層に移すことができれば、貧困を一気に終わらせ、グローバル・サウスの平均寿命を80歳にまで延ばし、世界の健康格差をなくすことができるのだ。
それでも1%の最富裕層には、平均25万ドルを超える年間世帯所得が残される。
誰もがほどほどに満足できるより多く、イギリスの世帯収入の中央値のほぼ8倍である。
これは所得についてだけの話で、財産については触れていない。
1%の最富裕層が所有する資産の価値は158兆ドルにものぼり、世界の総資産のほぼ半分に相当する。
この不平等は、自然に生じたものではない。
強力な国と企業が、貧困国の人々と資源を組織的に搾取してきた結果なのだ。
データを見れば明らかだ。
現在、資源と資金はグローバル・サウスからグローバル・ノースへ、その逆より多く流れている。
そう聞くと驚くかもしれない。
なぜなら、通常わたしたちが聞かされるのは、富裕国が貧困国に多額の援助を行っていることを強調する物語ばかりだからだ。
その額は年間約1300億ドルにのぼる。
加えて民間投資として、ノースからサウスへ年間5000億ドルが流れている。
しかし、その合計を何倍も上回る金額が逆方向に流れている。
貧困国から富裕国へ資金が流出しているのだ。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」197p
労働について。
グローバル・ノースの成長がサウスの労働力に大いに頼っていることはよく知られる。
しかし、研究者の推定によると、サウスの輸出産業で働く人々は国際貿易における交渉力を持たないため、毎年、約2・8兆ドルの賃金が未払いになっている。
この問題を解決する直接的な方法の1つは、世界的な最低賃金を導入することだろう。
それを国際労働機関(ILO)が管理し、各国の収入の中央値に従って修正するか、現地の生活・所得水準に合わせて設定するとよい。
資金の不正な流れという問題もある。
現在、租税を回避しようとする多国籍企業によって、グローバル・サウスの国々から毎年約1兆ドルが盗まれ、海外のタックス・ヘイブン(租税回避地)に隠されている。
たとえば、グアテマラや南アフリカなどで利益をあげたノースの企業が、その収益をルクセンブルクやイギリス領ヴァージン諸島などのタックス・ヘイブンに移すのだ。
そのためグローバル・サウスの国々は歳入を奪われ、公共サービスに投資できない。
しかし、この問題の解決は可能だ。
国境を超えた商取引と企業会計を規制する法律によって、脱税システムを停止させればよいのだ。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」199p
もう一つの問題は、世界経済を管理する国際機関が反民主主義的で、富裕国に有利な方向に傾いていることだ。
世界銀行とIMFでは、アメリカが重要な決定のすべてについて拒否権を持ち、高所得国が議決権の過半数を握っている。
世界貿易機関(WTO)では、交渉力はGDPに左右されるため、植民地時代に豊かになった国々が国際貿易のルールを決めている。
これらの機関を民主化すれば、グローバル・サウス諸国は、自国に影響する決定について真の発言権を持ち、自国の経済政策をよりコントロールできるようになるだろう。
WTOの貿易ルールがより公正になれば、貧困国の輸出収入は毎年1・5兆ドル以上増えると国連は試算する。
他にも検討すべき介入は多い。
不正な債務を帳消しにすることによって、貧困国がありったけの資金を外国の銀行の利息の支払いに費やすのではなく、公的な医療保険制度や教育に投資できるようにする。
企業による土地の収奪を終わらせ、土地を小規模農家に分配する。
農業分野において高所得国に不公平な優位性を持たせている農業補助金制度を改める、といったことが可能だ。
こうした変化によって、サウスの人々は世界経済からより公正な配分を得られるようになり、すべての人に良い生活を保障するために必要な資源を確保できるだろう。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」200p
イデオロギーからの脱却
ひとたび国内および世界の不平等の規模を知ると、GDP成長を人類の進歩の指標にする筋書きは少々偏っているように思えてくる。
さらに言えば、一種のイデオロギーではないか、とさえ思える。
ここで言うイデオロギーとは、専門的な意味でのイデオロギーだ。
それは支配階級に利益をもたらし、彼らが推奨する一連の思想で、支配される人々はその思想を正しいと信じきっていて、従うことを厭わない。
イタリアの哲学者アントニオ・グラムシは、これを「文化ヘゲモニー」と呼んだ。
支配階級が押しつけたイデオロギーが常識や規範として社会に浸透し、逆らうのが難しい、あるいは不可能になる状況だ。
世界の支配層は、世界で何が起きているかを熟知している。
知らないと考えるのは、お人好しすぎるだろう、、、
成長主義の問題点は、それが数十年にわたって、分配という難しい政治課題からわたしたちの目を逸らしてきたことだ。
成長は誰にとっても良いことだとわたしたちは決めつけ、政治の主体を成長にまつわる怠惰な計算に任せてきた。
気候の緊急事態はこの状況を変える。
それは世界経済のひどい不平等を直視することをわたしたちに強い、政治的論議の場にわたしたちを追い込んだ。
人々の生活を向上させるために全体の成長が必要だという考えは、もはや意味をなさない。
誰にとっての、何のための成長かを、はっきりさせる必要がある。
わたしたちはこう訊ねるべきだ。
「そのお金はどこへ行くのか?」
「誰が、そこから利益を得るのか?」
「生態系が崩壊しつつある時代に、総収益の4分の1近くが億万長者の懐に入るような経済を受け入れてよいものだろうか」と。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」201p