これが「脱成長」と呼ばれる概念で、経済と生物界とのバランスを取り戻すために、安全・公正・公平な方法で、エネルギーと資源の過剰消費を計画的に削減することを意味する。
脱成長の素晴らしい点は、経済を成長させないまま、貧困を終わらせ、人々をより幸福にし、すべての人に良い生活を保障できることだ。それこそが脱成長の核心である。
では、実際には、どうすればよいのだろう、、、
成長させるべき部門(クリーンエネルギー、公的医療、公共事業、環境再生型農業など)と、必要性が低いか、生態系を破壊しているので根本的に縮小すべき部門(化石燃料、プライベートジェット、武器、SUV車など)を見極めるべきだ。
また、人間の必要を満たすためではなく、利益を最大化するために設計された生産様式を縮小することもできる。
製品の寿命をあえて短くする計画的陳腐化や、わたしたちの感情を操作し、現状に不満を抱かせる広告戦略などがその例だ。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」37p
最初は理解しにくいだろう。
私たちは資本主義を当たり前と見なし、少なくともその初歩的な形態は古代から社会に浸透していたと思い込んでいる。結局、資本主義とは市場のことであり、市場は古くからあるからだ。
しかし、資本主義イコール市場ではない。
市場は何千年にもわたって、さまざまな時代や場所に存在したが、資本主義が誕生したのはわずか500年前だ。資本主義の特徴は、市場の存在ではなく、永続的な成長を軸にしていることだ。
事実、資本主義は史上初の、拡張主義的な経済システムであり、常にますます多くの資源と労働を商品生産の回路に取り込む。
資本の目的は、余剰価値の抽出と蓄積であるため、資源と労働をできるだけ安く手に入れなくてはならない。
言い換えれば、資本主義は、「自然と労働から多く取り、少なく返せ」という単純な法則に従って機能しているのだ。
生態系の危機は、このシステムが必然的にもたらす結果だ。資本主義は生物界とのバランスをわたしたちから奪った。この事実を理解すると、新たな疑問が浮かんでくる。
なぜそんなことになったのか?
資本主義はどこから来たのか?
なぜ定着したのか?
その理由としてよく言われるのは、人間は本質的に利己的で、自分の利益を最大化しようとする、ということだ。人間を「ホモ・エコノミクス」を呼ぶ人もいる。
すなわちミクロ経済学の教科書に載っている、利益のみを追求する自動機械(オートマトン)だ。
この性向が封建制の束縛を徐々に打ち破り、農奴制を終わらせ、現在のような資本主義を生み出した、とわたしたちは教わった。それが人間の物語であり、創世記だ。
この物語はあまりにも頻繁に語られるので、誰もが真実だと思い込んでいる。資本主義の起源は利己的で強欲な人間の本性にあるのだから、不平等や環境破壊などの問題は避けがたく、軌道修正は不可能だと、誰もが考えている。
しかし意外なことに、わたしたちの文化にこれほど深く根づいているこの物語は、何一つ真実ではない。
資本主義はどこからともなく「出現」したわけではなかった。
資本主義へのスムーズで自然な「移行」は起きなかったし、資本主義は人間の本質とは何の関係もない。
歴史家が語るのは、はるかに興味深く暗い物語であり、この経済の本質について驚くべき真実を明かす。
この物語を理解すれば、生態系の危機の深い動因を知り、自分たちに何ができるかについて重要な手がかりを得ることができるだろう。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」47p
囲い込みの結果、ヨーロッパの農民ー都市に移住せず、農村にとどまった人々ーは、気がつくと、新たな経済体制に組み込まれていた。彼らは再び地主に支配されたが、今回の立場はいっそう不利だった。
かつての農奴制では少なくとも農地の利用は保障されていたが、今や農地は一時的にしか借りられなくなった。しかも生産性に応じて割り当てられた。
農地を使い続けるために農民は、生産性を高める工夫をし、より長く働いて、年々収穫量を増やさなければならなかった。この競争に負けると借地権を失い、飢えに直面する。
農民は互いと競争し、親類や隣人とも張り合うようになった。
かつての協力的なシステムは、絶望的な敵対を中心とするシステムへと変わっていった。
生産性の論理を土地と農業に適用したことは、人類の歴史に根本的な変化をもたらした。
人々の生活が「生産性を高め、生産量を最大化する」という要求に支配されるようになったのだ。
生産は、もはや必要を満たすためのものでも、地域の充足を目的とするものでもなくなった。
利益を中心に計画され、資本家の利益を増やすためのものになったのだ。
これはきわめて重要なポイントだ。
わたしたちが人間の本性に刻み込まれていると思っていた「ホモ・エコノミクス」の性質は、囲い込みによって導入されたのだ。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」61p
競争を強いるこの体制は生産性を劇的に高めた。
1500年から1900年までの間に、1エーカーの土地から獲れる穀物の量は4倍になった。
当時、向上(インプルーヴメント)と呼ばれたこの成果ゆえに、囲い込みは正当化された。
イギリスの下級地主(ジェントリ)で哲学者のジョン・ロックは、囲い込みが平民からコモンズを盗む行為であったことを認めながらも、「この盗みは集約農業への移行を可能にし、農業生産を高めたので、道徳的に正当化される」と論じた、、、
同じ論理は植民地化を正当化するためにも使われ、ロック自身、この論理を後ろ盾にして植民地政策を擁護した。「向上」は強奪の言い訳になったのだ。
現在、同じ言い訳が、新たな囲い込みと植民地化を正当化するために日常的に使われている。
今回、囲い込みと植民地化の対象になっているのは土地、森林、漁場、大気である。
もっとも、わたしたちはその成果を「向上」ではなく、「開発」あるいは「成長」と呼ぶ。
GDPの成長に貢献するものは事実上すべて正当化される。
成長は人類の進歩にとって必要不可欠であり、人類全体に利益をもたらす、とわたしたちは信じきっている。
しかし、ロックの時代においてさえ、この論理は明らかに欺瞞だった。
当時、農業の商業化は総生産高を増加させたが、「向上」させたのは地主の資産だけだった。
生産高が急増する一方で、農民は2世紀にわたって飢餓に苦しんだ。
工場でも同じだった。労働生産性の向上による利益が労働者に還元されることはなかった。
それどころか、囲い込みの時期に賃金は減少した。利益を得たのは生産手段の所有者だけだった。
ここで理解しておくべき重要なポイントは、資本主義の特徴であるきわめて高い生産能力は、人為的希少性の創出と維持に依存していたことだ。
希少性ーおよび、飢餓の脅威ーは、資本主義を成長させる原動力になった。
実際には資源は不足していなかったので、その希少性は人為的なものだった。
土地、森、水源は以前と同じだったが、突如として、利用を制限されたのだ。
希少性は、上流階級が富を蓄積するためにつくり出したものだった。
人為的希少性は国によって暴力的に強制され、勇気を奮って自分たちと土地を隔てる柵を壊そうとした農民は虐殺された。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」62p
囲い込みはヨーロッパの資本家による巧妙な戦略だった。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」63p
哲学者デイヴィッド・ヒュームは「政治論集」(1752年)において、同じような考えに基づいて、「希少性」の理論を展開した。
「常に観察されることだが、欠乏が何年も続き、それが極端でない場合、貧民はより勤勉になり、より良く生きるようになる」。
これらのコメントは、驚くべきパラドックスを明らかにする。
資本主義の支持者たちは、富を生み出すためには人々を貧しくする必要があるうと考えていたのだ。
ヨーロッパ諸国が各地の植民地化を進めた時代には、同様の戦略が世界の至るところで展開された。
インドでは植民地支配者は農民に圧力をかけ、自給自足農業からイギリスに輸出するための換金作物、すなわちアヘン、藍、綿、小麦、米の生産へと移行させようとした。
しかし、インド人は抵抗した。
そこでイギリス当局は農民に高額の税を課して借金を負わせ、従わざるを得ないようにした。
イギリス東インド会社と後のイギリス領インド帝国は、この移行を早めるために、民衆が頼みにしていた地域の支援システムを解体した。
穀倉地帯を荒廃させ、灌漑システムを私有化し、民衆に材木、家畜の餌、狩猟の場を提供していた共有地(コモンズ)を囲い込んだ。
その理屈はこうだ。
「これらの伝統的な福祉システムは民衆を怠惰にし、食物や余暇を容易に得ることに慣れさせる。
このシステムを撤廃すれば、飢餓の脅威によって民衆を矯正し、より高い収穫高を得るために互いに競わせることができる」
農業の生産性という観点から見れば、これはうまくいった。
しかし、自給自足農業と地域支援システムが破壊されたせいで、農民は市場の変動と干ばつに対して脆弱になった。
大英帝国最盛期の19世紀末の25年間で、30万のインド人が無駄に飢え死にした。
歴史家のマイク・デイヴィスはそれを「後期ヴィクトリア朝のホロコースト」と呼ぶ。
「無駄に」と言うのは、彼らが飢餓に苦しんでいた時も、食料はふんだんにあったからだ。
この時期のインドの穀物輸出量は、1875年の300万トンから1900年には1000万トンへと3倍に増えた。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」65p
大量絶滅が進行中であることを示す統計は増える一方だが、そうした情報をわたしたちはほとんど気にかけようとせず、驚くほど冷静に受けて止めている。
嘆き悲しんだり、感情的になったりしない。
それは、基本的に人間を生物コミュニティから切り離された存在と見ているからだ。
絶滅しかけている種は、向こう側の、環境の中にいて、わたしたちの一部ではなく、ここにはいない。
そう考えるのも無理はない。結局のところそれが資本主義の核心なのだ。
世界は生きておらず、わたしたちの親類などではなく、採取と廃棄の対象にすぎないーその世界には、そこに生きる人間の大半も含まれる。
資本主義はその原則を打ち立てた時から、生命そのものと争ってきたのだ。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」86p
資本主義の歴史を学校で初めて学んだ時のことは、今でも覚えている。
それは18世紀の蒸気機関の発明に始まり、フライングシャトル(織物に使う画期的な道具)からパーソナルコンピューターまで、数々の技術革新をつづる希望にあふれる物語だった。
教科書に描かれた輝かしい絵に、わたしは目を見張った。
もしこの話の通りなら、経済成長はテクノロジーから湧き出る金の泉のようなものだ。
実に素晴らしい物語であり、必要なテクノロジーさえあれば何もないところから成長を引き出せる、という希望をわたしたちに抱かせた。
しかし、資本主義の長い歴史を振り返ると、この物語には欠落があることがわかる。
囲い込み、植民地化、強奪、奴隷貿易、、、この物語に欠落しているのは、資本主義の歴史において、成長は常に強奪のプロセスであったことだ。
自然と(ある種の)人間からの、エネルギーと労働の強奪である。
確かに、資本主義はいくつかの驚くべき技術革新をもたらし、それらは驚異的なまでに成長を加速させた。
しかし、テクノロジーが成長のために果たした最大の貢献は、無からお金を生み出すことではなく、資本家が強奪のプロセスを拡大・強化できるようにしたことだった。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」88p
投資家は少しでも成長の匂いのするものを求めて、貪欲に世界中を探し回る、、、
容赦ない資本の動きは企業にとって強力なプレッシャーになり、企業は成長するためにできることは何でもするようになる、、、
なぜ投資家は飽くことなく成長を追い求めるのだろう。
それは、資本は動かさなければ、インフレや市場の変化などで価値が下がるからだ。
そのため、資本家のもとに集まった資本は、成長への強力なプレッシャーになる。
資本が蓄積すればするほどプレッシャーは増していく。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」94p
この攻撃的なエネルギーは急速な技術革新をもたらし、それこそが資本主義の特徴だ、と考える人もいる。確かにそれは事実だ。
しかし資本主義はきわめて暴力的になりがちだ。
資本は、蓄積を拒む障壁(市場の飽和、最低賃金法、環境保護など)にぶつかるたびに、巨大な吸血イカさながらに身をよじってそれを破壊し、新たな成長の源へ触腕を伸ばしていく。
これが「解決策」と呼ばれるものだ。
囲い込みは解決策だった。
植民地化は解決策だった。
大西洋の奴隷貿易は解決策だった。
中国とのアヘン戦争は解決策だった。
アメリカの西部開拓は解決策だった。
これらの解決策はすべて暴力的だったが、新たな強奪と蓄積への道を切り拓いた。
いずれも資本の成長要求に応えるためだ。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」97p
過去500年間で、資本を拡大を促進するためのインフラが整えられた。
有限責任、法人格、株式市場、株主価値、部分準備銀行制度、信用格つけなどだ。
わたしたちが生きる世界は次第に、資本蓄積の必要性を中心として組織化されるようになった、、、
当然ながら政府は常に資本家の利益を拡大を後押ししてきた。
結局のところ、囲い込みと植民地化を推進したのは国家権力なのだ。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」98p
このGDP成長率そのものへの関心の高まりー成長主義ーは、西欧諸国の政府による経済管理の方法を永久に変えた。
世界恐慌後に社会的成果を向上させるために講じられた進歩的政策、たとえば高賃金、労働組合、公衆衛生と教育への投資などが、突如として疑問視されるようになった。
これらの政策は高い幸福度をもたらしたが、同時に、労働は、資本家が高い利益率を維持するにはあまりにも「高価」になった、、、
1970年代後半になると、西側諸国の経済成長は減速し始め、資本利益率も下がり始めた。
政府はその対策、すなわち資本家のための『解決策』を講じることを迫られた。
そこで、労働組合を攻撃し、労働法を骨抜きにして賃金を下げると共に、環境保護の主要な法律を廃止した。
また、以前は資本が立ち入れなかった公共部門ー鉱山、鉄道、エネルギー、水、医療、電気通信などーを民営化し、個人資本家が儲けるための機会をつくり出した。
1980年代、アメリカのロナルド・レーガン大統領とマーガレット・サッチャー首相は、とりわけ熱心にこの戦略を推し進めた。
こうして、今日ネオリベラリズム(新自由主義)と呼ばれるアプローチが始動した。
一部の人は、ネオリベラリズムを「過ち」、すなわち、資本主義の暴走と見なし、先立つ数十年を通して主流だった、より人道的な資本主義に戻るべきだ、と主張する。
しかし、ネオリベラリズムへの移行は過ちではなく、成長要求に駆られた結果だった。
利益率を回復し、資本主義を維持するために、政府は社会的な目標(使用価値)から離れて、資本蓄積(交換価値)のための環境を整えざるを得なかったのだ。
資本への関心は国政に取り込まれ、やがて成長と資本蓄積はほとんど区別されなくなった。
今や国政の目標は、利益拡大の障壁を取り壊し、人間と自然をより安価にして、経済を成長させることになったのだ。
西側諸国の政府は、資本家のための解決策の一環として、グローバル・サウスでも同じ計略を推し進めた。
1950年代に植民地主義が終焉を迎えた後、独立したグローバル・サウスの新政府の多くは、母国を再建するために経済を方向転換し、進歩的な政策を展開した。
国内産業を保護するための関税と補助金の導入、労働基準の改善、労働者の賃金の引き上げ、公的医療や公教育への投資ーこれらはすべて、植民地時代の搾取的政策を覆し、人間の福祉を向上させるためのものであり、うまくいっていた。
グローバル・サウスの平均所得は1960年代から1970年代まで年平均3・2%のペースで成長した。重要なのは、ほとんどの国において成長そのものが目標でなかったことだ。
成長は回復、独立、人間開発のための手段であり、その状況は、世界恐慌後の数年間の西欧諸国によく似ていた。
しかし、西側の列強はこの変化を快く思わなかった。
植民地主義のもとで享受していた安価な労働力、資源、専属市場を失うことになるからだ。
そこで列強は介入した。
1980年代の債務危機(途上国の債務が累積し、返済が困難になった)に乗じて、列強は債権者としての力を行使し、世界銀行と国際通貨基金(IMF)を介して、南アメリカ、アフリカ、アジアの国々(中国と東アジアの数か国を除く)に「構造調整計画」を押しつけた。
構造調整計画はグローバル・サウスの経済を強制的に自由化し、保護関税と資本規制の撤廃、賃金の削減、環境保護規制の緩和、公共支出の削減、公共事業の民営化を推し進めた。
すべては外国資本にとって利益になる新たなフロンティアを開拓し、安価な労働力と資源へのアクセスを取り戻すためだった。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」101p
グローバル化した世界では、マウスをクリックするだけで国境を超えて資本を動かすことができるため、各国は、外国からの投資をめぐって競いあうことを余儀なくされる。
そのプレッシャーのせいで、各国政府は気がつくと、労働者の権利の削減、環境規制の緩和、公用地の開発業者への払い下げ、公共サービスの民営化など、国際資本が喜ぶことは何でもするようになった、、、
経済生産の具体的な使用価値(人間の要求を満たすこと)より、抽象的な交換価値(GDP成長率)が優先されている。
政府はそれを正当化するために、「GDP成長は貧困を減らし、雇用を創出し、人々の生活を向上させる唯一の方法だ」と主張する。
実のところGDP成長は、人間の幸福、さらには進歩の代名詞にさえなっている。
GDPが経済活動のごく一部しか測定しないことを思えば、驚くべきことだ。
GDP成長率は「資本主義の成功」の指標にすぎないのだが、それをわたしたちが「人間の幸福」の指標とみなしていることは、イデオロギーにおいて過激なクーデターが起きたことを示している。
もちろん、いくつかの点でそれは真実だ。
資本主義経済では、人々の暮らしはGDPの成長と結びついている。
なぜなら、わたしたちは皆、生き延びるために仕事と賃金を必要とするからだ。
しかし問題はそこから始まる。
資本主義のもとでは企業は常に、生産コストを下げるために労働生産性を向上させようとする。
労働生産性が向上すると、企業が必要とする労働者の数は減る。
その結果、労働者は解雇され、失業率が上昇し、貧困とホームレスが増える。
そうなると政府は、新たな雇用を創出するために、さらなる成長を促進しようとする。
だが、この危機が去ることはない。
毎年、同じことが繰り返される。
これは「生産性の罠」として知られる。
わたしたちは、永遠に成長し続けなければ社会が崩壊するという不条理な状況に陥っているのだ。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」103p
人間の幸福に関して言えば、重要なのは収入そのものではない。
その収入で何が買えるか、より良く生きるために必要なものにアクセスできるかが重要なのだ。
カギになるのは「福利購買力」だ、、、
公共サービスやその他のコモンズへのアクセスを拡大すれば、人々の「福利購買力」を向上させられる。
そうなれば、さらなる成長を遂げなくても、すべての人の豊かな生活を実現できる。
公正さは成長欲求の解毒剤であり、ひいては気候危機を解決するカギになるのだ。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」191p
富裕国は国民の生活を向上させるために成長を必要としない。
しかし、貧しい国についてはどうだろうか。
フィリピンを例にとってみよう。
西太平洋にあるこの島国は、平均寿命、公衆衛生、栄養摂取、所得といった多くの重要な指数が望ましいレベルに達していない。
けれども、土地、水、エネルギー、物的資源の消費の点では、安全なプラネタリー・バウンダリー内にある。
したがってフィリピンは、国民のニーズを満たすのに必要な範囲内で、それらの消費を増やしてもよいはずだ。
同じことはグローバル・サウスのほとんどの国について言える。
ここに良い知らせがある。
わたしと同僚は150か国以上のデータを分析し、グローバル・サウスの各国はプラネタリー・バウンダリー内かその近辺を維持しながら、主要な人間開発指数(平均寿命、幸福度、公衆衛生、教育、電力、雇用、民主主義など)を大幅に向上させることができる、という結論を得た。
再び先に述べたコスタリカが、それを体現している。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」193p
こうした開発のアプローチは、グローバル・サウスでは長い歴史を持っている。
提唱したのは反植民地主義のリーダーたちだ。
マハトマ・ガンジー、パトリス・ルムンバ、サルバドール・アジェンデ、ジュリウス・ニエレレ、トーマス・サンカラ、その他、数十名の指導者が、公正・幸福・自給自足の原則に重点を置く人間中心の経済を主張した。
もっとも、この時代にこの思想を最も端的に表現したのはマルティニーク出身の革命的知識人、フランツ・ファノンだろう。
1960年代に彼が記した次の言葉は、今なお人々の心に響くはずだ。
「来たれ、同志たちよ。ヨーロッパのゲームはついに終わった。わたしたちは何か違うものを見つけなくてはならない。今、わたしたちは何でもできる。
ヨーロッパのまねをしない限り。
ヨーロッパに追いつきたいという欲望に囚われない限り。
ヨーロッパは今、あらゆる導きと道理を振り払い、狂気に満ちた無謀なスピードで奈落の底へと突き進んでいる。
わたしたちは可能な限りのスピードでそれを避けるべきだ。
今、巨大な塊となってヨーロッパと対峙する第三世界は、ヨーロッパには解決できなかった問題を解決することを目指すべきだ。
しかし、はっきりさせておこう。
大切なのは、生産高、強化、仕事のリズムについて語るのをやめることだ。
わたしたちは、誰かに追いつきたいわけではない。
望むのは、昼も夜も常に人と共にあり、すべての人と共に前進することだ。
だから同志たちよ。
ヨーロッパに敬意を表することも、ヨーロッパからインスピレーションを得た国家、制度、社会を築くこともやめよう。人類は、そのような模倣ではない何かを、わたしたちに期待している」
ファノンがここで主張しているのは、一種の脱植民地化である。
経済発展という夢想を捨てて、別のアプローチによる繁栄を目指すべきだと言っているのだ。
それは実際には次のようなアプローチになる。
コスタリカ、スリランカ、キューバ、ケララなどの国や地域に倣って、堅牢で普遍的な社会政策に投資し、医療、教育、水、住宅、社会保障制度を約束する。
具体的には、土地改革を行い、小規模農家必要な資源を利用できるようにする。
関税と補助金を活用して国内産業を保護し、奨励する。
適正な賃金、労働法の整備、累進課税によって所得を再配分する。
そして化石燃料と採取主義ではなく、クリーンエネルギーと生態系の再生を中心とした経済を構築する。
忘れてはならないのは、これらの政策の多くが、植民地時代後の1950年代から1970年代にかけてサウスで幅広く用いられていたことだ。
しかし、1980年代から始まった構造調整計画によって、それらの政策は廃止された。
この運命を逃れた国がわずかに存在する。
コスタリカはいくつかの歴史的理由からその一つになった。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」194p
わたしたちは、銀行でローンを組む時、銀行が貸してくれるお金は、銀行が他の人の預金から集めて、地下金庫かどこかに保管している蓄えだと考えがちだが、そうではない。
銀行が保有すべきとされる蓄えは、貸し出す資金の約10%か、それ以下でしかない。
これは「部分準備銀行制度」と呼ばれる制度だ。
つまり、銀行は実際に保有する資金の約10倍の資金を貸し出しているのだ。
となると、実際には存在しない、その資金はどこから来るのだろう??
銀行は、借り手の口座に入金する時、そのお金を何もないところから作り出す。
文字通り、融資することで作り出すのだ。
現在、市中に出回っている資金の90%以上は、こうやって作られる。
言い換えれば、わたしたちの手を渡っていく通貨のほとんどは、誰かの借金なのだ。
この借金は、利子をつけて返さなくてはならず、それには、より多くの労働・採取・生産が必要とされる。
そう考えると、これは大変なことだ。
結局のところ、銀行は何もないところから無料で作り出した製品(すなわち、お金)を効率良く売った後、人々には、その返済をするために現実の世界で実質的な価値を持つものを採取・生産することを要求しているのだ。
常識外れの突拍子もないことなので、人々はそれが事実であることを理解できない。
1930年代にヘンリー・フォードはこう言った。
「国民はおそらく銀行制度や貨幣制度について知らないか、あるいは理解していないのだろう。もし理解していたら、明日の朝までに革命が起きるはずだ」。
さて、ここから問題が生じる。
銀行は、融資するお金は作り出すが、利息の支払いに必要なお金は作らない。
したがって常に不足があり、欠乏した状態になる。
この欠乏(希少性)が激しい競争を生み、誰もが借金を返済するための資金を得る方法を見つけようとする。
その方法には、さらに借金を重ねることも含まれる。
椅子取りゲームを見たことがあれば、この状況を理解できるだろう。
音楽が止まるたびに、椅子は減らされ、プレーヤーは残ったわずかな椅子をめぐって競いあう。
熾烈な競争だ。
では、もっと大きなものを賭けるとしたら、どうなるだろう。
ゲームに負けるだけではなく、家を失い、子供たちは腹をすかせ、薬代も払えなくなるとしたら。
そうなれば、どんな手を使ってでも椅子を奪い取ろうとするはずだ。
その状況を想像すれば、わたしたちの経済がどのように機能しているかについて、大まかなイメージを掴めるだろう。
資本主義社会の表面だけを見る人は、多くの経済学者と同じく、こう結論づけるかもしれない。
激しい競争、利益の最大化、利己的な行動は、人間の本性に組み込まれているのだ、と。
しかし、そうした行動は、本当に人間の本質なのだろうか?
それとも、ゲームのルールにすぎないのだろうか?
過去数十年にわたって生態経済学者は、複利に基づく貨幣制度は地球の生態系の微妙なバランスの維持とは両立しない、と述べてきた。
この問題をどうすべきかについては、いくつかのアイデアが浮上している。
あるグループは、債務が指数関数的に膨らむ現在の複利システムを、単利システムに切り替えるだけでよいと主張する。
単利システムでは利息は元金だけにつくので、債務の増加は直線的だ。
そうすれば債務の総額は大幅に減り、貨幣制度は生態系と調和するものになり、金融危機を招くことなく、脱成長経済に移行できるだろう。
2番目のグループはさらに踏み込んで、債務ベースの通貨を完全に廃止すべきだ、と主張する。
商業銀行に信用通貨を作らせる代わりに、国が債務なしで通貨を作り、経済に貸しつけるのではなく、経済で使うようにするのだ。
通貨を作る責任は、説明責任と透明性を備えた民主的な独立機関が担う。
その機関の使命は、人間の福利と生態系の安定を両立させることだ。
もちろん、銀行は依然としてお金を貸すことができるが、そのためには100%の準備金ードルに対してはドルでーを用意しなければならない。
「公共貨幣システム」と呼ばれるこのアイデアは決して奇抜なものではない。
初めて登場したのは1930年代で、シカゴ大学の経済学者が大恐慌による債務危機の解決策として提案した。
2012年には再び注目された。
IMFの進歩的な経済学者らが、債務を減らし世界経済をより安定させる方法として奨励したからだ。
イギリスでは、ポジティブ・マネーという組織がこのアイデアを軸とする運動を展開してきた。
現在、よりエコロジカルな経済に向かうための有望な手段の一つとして注目されている。
このアプローチの強みは、単に借金を減らすだけでなく、国民皆保険制度、雇用保障、生態系の再生、エネルギー転換などに直接、資金を提供できることにある。
しかも、収益を生み出すためのGDP成長を必要としない。
ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」241p