<書評>『資本主義の次に来る世界』ジェイソン・ヒッケル 著
[レビュアー] 根井雅弘(京都大教授)
◆自然搾取せず脱成長経済
経済人類学者の書いた話題作である。著者によれば、啓蒙(けいもう)主義は、創造物を「精神」と「物質」に分けたデカルトの二元論から始まった。
彼は精神を持つ人間は神との特別なつながりを持つ特別な存在であり、それ以外は思考力のない物質、つまり「自然」であると考えた。
この哲学は、近代ヨーロッパのエリート層に浸透していく。
なぜなら、それは教会の権力を強化し、資本家による労働と自然からの搾取を正当化したからだ。
だが、現在、神と魂と人間と自然は唯一の壮大な「実在」の異なる側面に過ぎないというスピノザの哲学が復活している。
自然と神が同じであれば、人間に自然を支配する権利はないことになる。
二元論は啓蒙科学を生み出したが、生態系の破壊に直面した現在、スピノザの哲学に戻り、経済を、富と人口が増加しない定常状態に保つ「生態経済学」の原則を確立すべきだと主張する。
脱成長論にもつながるが、自然に「法的人格」を与えている国(例えばインドのガンジス川)を紹介し、読者の関心を刺激している。
(野中香方子訳 東洋経済新報社・2640円)
エスワティニ(旧スワジランド)出身の経済人類学者。
2023年5月28日 掲載
「資本主義の次に来る世界」書評
フランスから広まった脱成長論は、コロナ禍を背景として日本でも近年話題になり始めた。
ただ、私も含めて「興味はあるが、まだピンとこない」向きも多いだろう。日本経済は長く低迷しているのに、この上さらに成長を諦める必要はあるのか?
本書はそんな疑問をもつ読者にうってつけである。
脱成長論の旗手である著者によれば、資本主義は際限のない「指数関数的成長」を信仰する宗教的なシステムである。
それは囲い込みによってコモンズ(共有地)を破壊し、極端な不平等を生み出し、生態系に深刻なダメージを与える。
企業は製品の寿命を短くして成長をむりに続けようとするが、それはやがて破局を迎えざるを得ない。
では、クリーンエネルギーを採用し、技術革新に期待するのは?
それも必要だが、成長のために成長を求めるという倒錯がある限り、太陽光パネル設置を推進しながら森林を減らすという類の、おかしな政策が出てくるのは避けられない。
高所得国がグローバルサウスに負担を負わせる構造も変わらない。
さらに、我々は「経済成長で全体のパイを増やさなければ貧困も解消しない」と漠然と考えているが、高所得国のGDP(国内総生産)が増えても、それは一握りの富裕層をより富ませるばかりで、社会全体の公正や幸福にはつながらない。
ゆえに、GDPで経済の質を考えるのをやめて、他の生物との親密なつながりを取り戻す経済思想が必要なのである。
著者はアニミズム的存在論やスピノザ哲学を、その構想の核心に置いている。
自然を一方的に収奪することなく、人間や生態系の福祉を優先する心と社会こそ望ましい――言葉にすると簡単だが、それを多くのデータと魅力的な社会思想で論証した著者の力量はすばらしい。
本書は、誰が読んでも想像力を刺激されるだろうが、特に政財界人は必読である。
◇
Jason Hickel 1982年生まれ。経済人類学者。アフリカ南部のエスワティニ(旧スワジランド)出身。
【書評】『資本主義の次に来る世界』/ジェイソン・ヒッケル・著 野中香方子・訳/東洋経済新報社
【評者】森永卓郎(経済アナリスト)
いま急速な勢いで生態系が壊れ始めている。もちろん人間の暮らしも同じだ。
そんな話から本書は始まる。著者は地球環境破壊の原因を資本主義そのものに求める。
経済成長のために必要以上の消費を煽るからだが、同時に資本主義が生み出す富裕層が、けた違いのエネルギーを浪費するからでもある。
ただ、資本主義が環境を破壊するというのは、マルクスも見通していた未来だ。
著者の最大の独自性は、経済成長が必要なのは、医療と教育が行きわたるレベルまでで、多くの先進国では、むしろ経済を縮小した方が幸せになれると断言するところだ。
アメリカ人が最も幸福だったのは1950年代だったと著者はいう。
日本人も、1980年代のほうが今より幸せだった人が多いのではないか。そこで著者が提言するのが、先進国は必要最低限までGDPを縮小するという戦略だ。
それを実現するための5つの具体策も明記している。
その第一は「計画的陳腐化」を終わらせることだ。
例えばスマホは、数年も使うとスピードが急激に落ち、修理代も高額なため、多くの人がまだ使えるスマホを捨てている。
新しいモデルを売るために陳腐化が仕掛けられているのだ。
それはスマホ以外の家電製品でも同じだ。
だから、計画的陳腐化を抑制すれば、それが環境改善に直結するのだ。
著者が提案するその他の具体策も、すべて実効性があり、実行可能なものばかりだ。
ただ、これらの政策を断行するとGDPが大きく縮小することになり、雇用を失う人が大量に生まれる。
ただ、その点に関しても著者は明確な答えを用意している。
それは、その分、労働時間を短縮すればよいというのだ。
これまで、経済が成長しても、労働時間はほとんど減らなかった。
それどころか、高齢者も女性も、生活のために働きに出ている。
しかし不必要な経済活動をなくせば、自分の時間を取り戻すことができる。
著者の提示するポスト資本主義社会は、明るい光があふれる希望の未来なのだ。
※週刊ポスト2023年6月23日号