消費される「死」~ブリコラージュ~が意味すること

病院に勤務している時、患者さんのご家族と接していて、「我が家にはお金がない!」と言う家族には数多く出会ってきた。

多くの臨床経験を積む中、何百、何千という家族と出会って話を聞いてきたが、「我が家にはお金がない!」というタイプには大きく分けて、2つのパターンがあるように感じた。


①「我が家にはお金はない。だけど、父(母)には本当に世話になった。だから出来る限りのことは(家族としても)してあげたい」

②「我が家にはお金はない。余裕がないから、見舞いにも来れない。だから、もっと(あなたたちが)きちんとやってくれ」


言うまでもなく、病院で働く医療・福祉関係者は皆、その道のプロだ。

だから、筆者もプロとして患者・家族には平等に接した。

だが、一方で、医療従事者や福祉関係者も、「感情」を持った人間である。

考えてほしい。

あなたが病院で働くスタッフだとして、①の言葉を家族から言われたケースと、②の言葉を家族から言われたケースを。

筆者は、①のケースでも②のケースでもプロとして平等に接したが、心の奥底では、①のケースには気合が入った。

テンションが上がった。

時に看取りの時は。。。。

誤解しないで欲しいのだが、②のケースを雑に扱ったという意味ではない。


葬儀に関する相談を受けた時も同じことだ。


①お金はない。でも、故人には世話になった。だから、出来る限りのことはしてあげたい

②お金はない。だから、火葬するだけでいいし、安くやってくれるだけでいい


あなたが葬儀を施行するスタッフの側だとしたら、上記の①と②の言葉を遺族から聞かされた場合、プロとして「気持ち」が入るのは、どちらであろうか?


物価はどんどん上がっているのに、給料は全く上がっていない状態=スタグフレーションが長く続いている現代社会。

故に、「葬儀にお金をかけれない」という現状は、理解できる。

世の中の大多数は、そうであろう。

しかし、だからと言って、故人に為に「労力」まで惜しむのは別物だと筆者は考える。

お金がないなら、ないなりに、「工夫」次第で、出来ることはたくさんある。

ブリコラージュ>が意味すること

ブリコラージュという言葉をご存じであろうか?

その場の型にとらわれず、自由な形で作り上げる事、手作り、独創性、工夫とも訳されるブリコラージュ。

文化人類学者のレヴィ・ストロースは、その著書「野生の思考」の中で、こう述べている(意訳)。

「人間は社会の構造の中で、そこに染まって生きている<構造主義>人が構造(例・法律や文化)によって決められるとするならば、人と人の違いは何なのか?また、個々の人間とは何なのか?ということが分からなくなる。しかし、そんな中でもブリコラージュすることによって、その人がその人であるという<独自性>を発揮することが出来る」と。

つまり、葬儀とは、葬儀社が勝手に決めたルール(○○葬、○○コース等)に高いお金を払って従うことではなく、故人の死から<やがて死すべき自分自身>を見つめ、故人の人生を通じて、故人との出会い直しの場である。

そして、その延長線上に、故人の「供養」がある。

それを遺族と葬儀社が共に作り上げていく場=ブリコラージュこそが、本当の葬儀ではないか?


①「えっ、故人(父・母)を自宅に連れて帰る?そしたら、俺が仕事を休まなければいけなじゃないかそれは無理だから、どっかに故人を安置してよ」

②「どうせ棺は燃やすんだろ。その辺の段ボールではダメなのか?」


①は自分のことしか見えていないケース、②は「公衆衛生」という社会からの観点すら持ち合わせていない、残念なケースだ。

しかし、①②とも、よく遺族から筆者は、葬送の現場で聞かされる言葉である。

消費される「死」~世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう


現代は、死が軽い。

特に、コロナ禍が始まってからは、そう強く感じる。

そして「父や母の<死>すら消費の対象であり、葬儀社のプランが、<安い方か高いか>だけが問題の関心であり、多くの現代人は、身内の「死」を悼む「余裕」すら、もはや持ち合わせていないのではないか!」というと、読者の方々には、怒られるであろうか?

文化人類学者のレヴィ・ストロースは、こうも言っている。

「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」(悲しき熱帯)

上記の人口動態のグラフ(将来予測)を見て、レヴィ・ストロースは間違ったことを言っていない!と筆者は感じるが、あなたはどうであろうか?


私たちの多くは、意味もなく年老い、何ひとつ誇りも持てず、明日への希望など持てないまま、ただ働いて死んでいくのか?

そうだとしたら、そんな人生に、どんな意味があるのか?

私たちは、何のために、この世に生を受けたのか?

この限りある人生の中で、何をすべきなのか?

葬儀に関わる仕事、人の生と死に関する仕事を通じて、筆者は日々、そんなことを「ぼんやりと」感じ、考えている。

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