「日本の新政府とイスラエルに贈る中国思想の言葉  ―墨子と老子」

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宮田 律

自民党総裁選で石破茂氏が当選した。

石破氏はガザ問題に関する人道外交議連会長を務めてきたので、特に中東問題では、新政権には岸田政権とは異なって、欧米と一体になるのではなく、ガザ停戦に力を尽くして、パレスチナ国家を承認してもらいたいと思う。

台湾海峡問題、ウクライナ侵攻、ガザやレバノンの戦争などに接するにつけ、歴史家の半藤一利氏が紹介していたように、現代世界では中国の思想家、墨子の非戦論を見直すことがあってよいと思う。

特に日本の政界は反撃能力、防衛費倍増など、防衛力で「平和」の達成を考える傾向が強まっている。

半藤氏の著書『墨子よみがえる』には非戦思想としての墨子の考えが紹介されている。

半藤氏は自らの言葉で、あるいは中国思想研究者の紹介を引用しながら、墨子思想の体系や根本を平易に説明している。

「墨子はまず幸福な生活の根本は人々が互いにひとしく愛しあうことにあるとした。兼愛の説がそれである。愛の普遍を求めるならば当然平和を求める。そこから、侵略を非とする非攻が主張された」

と、墨子は非戦論、平和論を強く主張するが、墨子の「兼愛」篇の中には「その友をみるに飢うればこれを食わしめ、寒ゆればこれを衣せしめ、疾病にはこれを持養し、死喪にはこれを葬埋す」という一節がある。

これは、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の下の箇所によく通底するものがある。

東に病気の子供あれば、行って看病してやり
西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば、行って、怖がらなくてもいいと言い 
北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろと言い
(後略:漢字などを用いて表記を変えた)

 さらに、墨子の兼愛や宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の精神は、イスラムの聖典である『コーラン(クルアーン)』「婦人章第36節」の「アッラーに仕えなさい。何ものをもかれに併置してはならない。父母に懇切を尽くし、また近親や孤児、貧者や血縁のある隣人、血縁のない隣人、道づれの仲間や旅行者、およびあなたがたの右手が所有する者(に親切であれ)。アッラーは高慢な者、うぬぼれる者をお好みになられない。」とも共通する。

 イスラムでは子供や女性の保護を説くし、善行を積めば神の最後の審判で天国に迎えられると死に一種の安堵を与える。

利他の精神は貧者を救済するというイスラムの最も基本的宗教義務である「喜捨(ザカート)」にも通じ、弱者に対する献身的精神はイスラムでも説かれる。

これはユダヤ教のツェダカ(ヘブライ語の慈善活動)にも見られる。

半藤氏によれば、墨子の兼愛はロシアの文豪トルストイも次のように紹介している。

「……中国にはいろいろな賢人があった。孔子、老子、それからいま一人、これはあまり有名でないが、墨子という賢人があった。墨子は世の人びとに、権力に対してでもなく、富に対してでもなく、また勇気に対してでもなく、愛に対してのみ、尊敬を払わなければならないと教え説いたのである。/が、世の人びとは、墨子の言葉に従わなかった。孔子の弟子の孟子がこれを反駁して、愛のみで生きることはできないといった。/中国人は孟子の言葉に従った。それから五年たった。と、われわれのキリストが世にあらわれ、墨子の教え説いたのと同じことを、ただ墨子よりもよりも一層よく、力強く、分かりやすく教え説いた」(「人生の道」原久一郎訳)

 愛があれば戦争など起こさないが、イスラエルで信仰されるユダヤ教にも愛の思想はある。

「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」(レビ19:18)というユダヤ教の中心的命令は、「偉大な戒め」とも呼ばれ、トーラーの中心にも置かれている。

現在、イスラエルがレバノンを本格的に攻撃する可能性が高まっているが、イスラエル・ネタニヤフ政権は、圧倒的軍事力でレバノン国民の意気を消沈させ、ヒズボラの戦意をそぐと同時に、レバノン国民のヒズボラへの支持を低下させることを目的としている。

しかし、ポケベル攻撃や空爆などイスラエルによる無差別攻撃は、レバノン国民の戦闘意欲をかえって高め、イスラエルは、これまでのレバノン戦争と同様に、戦争によって重大な被害を蒙るように思える。

ヒズボラがイスラエル本土をロケット弾やミサイルで継続して標的にすれば、避難民の帰還などネタニヤフ首相は公約を達成できそうにないし、イスラエルの産業は農業も東南アジアなど外国人労働者もイスラエルを離れるなど大いに停滞するようになった。

「もっとも立派な武器はもっとも大きな悪をなす。知恵深き人は武器に頼ることはしない。殺人を喜ぶような人は、人生の目的に達することはできない。」―老子

「正しい為政者は、兵力によって天下に強さをみせてはならない。仮に戦ったとしても、元の平和に戻ることを好むべきだ。軍隊が駐留し戦争があるところには、農地があらされて、ぺんぺん草しか生えない。戦争のあとには、凶作飢饉が来るのだ。」―老子

「戦乱による人々の苦しみの罪は、為政者の底なしの欲望が最大の原因だ。人々の災いは、為政者が何でも欲しがって、満足を知らぬことが最大の原因だ。足るを知る、ということが大切なのだ。」(『老子』46章)

 日本の新政権は武器を誇るようなことなく、日本が世界から敬意をもたれるような「賢い国」になって、賢いふるまいで世界に影響力を与えてほしいものだ。

作家のなだいなだ(1929~2013年)は、日本は単に平和憲法があるだけでは平和は守れないと述べ、中村哲医師の活動を評価して、「例えばアフガニスタンで井戸掘りのボランティアをしている人がいる。マングローブを植えている若者もいる。アフリカ奥地で働いている助産婦もいる。こういったことで世界とリンクしていく。自分は出来なくても、こうした人を支えること、応援することは出来る。そういうことを一つ一つしていくことが、護憲につながっていくのではないか」と述べているが、平和のために自分が置かれた一隅を照らし、できることからやりましょうと言っている。

政治の世界もまったく同じだと思う。

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