アメリカの仁義なき銀行戦争

1830年代になると人々は第二合衆国銀行を「ユダヤの銀行」と呼んで嫌悪するようになった。

1832年の大統領選。アンドリュー・ジャクソン大統領は第二合衆国銀行をぶっ潰す!と公約を掲げ、圧倒的支持を受けて再選を果たした。

すぐに第二合衆国銀行から政治資金を取り上げ、各州の銀行に分配した。

▼1836年、20年の契約終了が目前に迫っていた。

ジャクソンは「化け物(第二合衆国銀行)を支配するロスチャイルドなどの海外株主」と名指しで攻撃し、ライセンス更新の拒否権を強硬発動した。

裏で更新のためのロビー活動を続けていたロスチャイルド家に対し「銀行が俺を殺そうとするのであれば俺が銀行を殺す。てめえらは悪の巣窟だ。これ以上・・なら・・するぞ」と、、、

お下劣なお言葉の波状攻撃で、海外資本を罵倒しまくった。

ジャクソンの激しい牽制に第二合衆国銀行は次第に資金が回らなくなり、ライセンス終了と共に地方の一銀行となった。

ジャクソンは「銀行戦争(bank war)」に勝利した。

▼敗れたロスチャイルド家はアメリカでの通貨発行権独占に失敗した。

アメリカにFRB(連邦準備制度理事会)という、およそ銀行っぽくない名の中央銀行がドサクサ紛れに
設立されるのは、銀行戦争から77年も経った1913年のことだ。

トランプ前大統領がジャクソン大統領の肖像画をホワイトハウスの執務室に飾った理由はこの辺にあると言われている。

■ 第97話 ■ アメリカの仁義なき銀行戦争 - Onlineジャーニー
とぶちゃんのグダグダ雑記帳「英メシ論」。本記事は、「■ 第97話 ■ アメリカの仁義なき銀行戦争」をお届けします。眉唾仮説を知りたい方は必見です。

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