早尾貴紀「ガザ攻撃はシオニズムに一貫した民族浄化政策である」 「世界」24年5月号から抜粋
4 オスロ体制の欺瞞
1987年の第1次インティファーダと呼ばれる民衆蜂起で被占領下のパレスチナ人から抵抗運動が
起こると、イスラエルは占領の仕方を巧妙に変えていく。
一般には「和平合意」の下に構築されたオスロ体制だが、これは従来「パレスチナ全土の解放」つまり
イスラエル領の奪還も目標に掲げていたことのあるパレスチナ解放機構(PLO)を「自治政府」として
準国家的に承認するのと引き換えに、PLOはイスラエル国家を承認するという、相互承認の体制だ。
だがこのオスロ体制は、「和平」の名目でもってPLOにイスラエルを敵視することを、つまり抵抗運動をやめさせるということであり、イスラエル国家は安泰になるが、しかしパレスチナ側は占領下での主要都市部の行政権を認められただけで、現実の「国家」となるための入植地返還、東エルサレム返還、国境管理権の移譲、水利権の移譲などは一切含まれておらず、事実上は軍事占領が続いたのみならず、
さらなる入植活動さえも許容するものであった。
これによって、イスラエルはPLOからの抵抗を受けることなく、公然と入植活動を加速させていく。
セトラー・コロニアリズムは、オスロ体制下でいっそう進行していった。
しかもこのオスロ体制を支えるのが、米国・EU・日本をはじめとする国際社会であり、自立できない
占領下のパレスチナ自治政府財政に援助金を出しているのだが、国際社会は「和平」という建前のもと、イスラエルの軍事占領と入植活動を実質的に支える役回りをさせられていることになる。
シオニズムを生み出し支えてきた欧米はもちろんだが、日本社会もまた「オスロ体制」という名の
占領・入植の継続を支えているという点で、セトラー・コロニアリズムの共犯者でもあるのだ。
このオスロ体制に公然と反対してきたのが、PLOには参加していないパレスチナの抵抗組織ハマースであった。
そしてこの欺瞞的なオスロ体制にハマースが反対をしてきたからこそ、パレスチナの民衆はPLOを見限りハマースを支持するようになっていった。
ここで争点は、ハマースがイスラーム組織であるとかイスラエル殲滅を狙っていると言われていること
ではない。
そうではなく、ハマースが占領に対して、入植に対して、植民地主義に対して抵抗している、という点だ。
だからこそ、民衆の支持があり、まただからこそ、イスラエルと欧米日とが揃ってハマースを敵視
してきたのだ。
ハマースは、オスロ体制に対する抵抗としての2000年からの第2次インティファーダを経て、PLOを凌ぐ支持を集め、06年のパレスチナ議会選挙で、ヨルダン川西岸地区とガザ地区との両方で勝利した単独与党の政権政党である。
日本や欧米メディアの言う「ガザ地区を実効支配するイスラーム組織」ではない。
にもかかわらず、イスラエルと欧米日が選挙で誕生したハマース政権を拒絶し、さらにはイスラエルと米国とがハマース政権を転覆させるべくPLOの主流派ファタハに武器と弾薬とを与え兵士の訓練も施し、ハマースとの内戦を引き起こさせた。
ファタハにはふんだんに軍事支援をしながら、イスラエルは西岸地区のハマースの議員と活動家を一斉逮捕し収監するか、ガザ「流刑地」に送還するかした。
そのことでファタハ率いるPLOは西岸地区で武力クーデタに成功し、旧来のパレスチナ自治政府を西岸地区で維持することができた。
それに対してガザ地区については、イスラエルが狭隘な飛び地をハマースの「流刑地」として使ったために、ハマースがガザ地区を選挙結果どおり統治することとなった。
内戦の決した2007年に、西岸地区ではPLO自治政府、ガザ地区ではハマース自治政府という分断体制が成立(ハマースがガザ内戦で「勝利」したのではない。ハマースはガザ地区に隔離され封じ込められたのだ)。
国際社会は、選挙結果を覆したPLO「クーデタ」自治政府(西岸地区)のみを、オスロ体制の枠組みの内部で承認し、唯一選挙による正統性をもつハマース自治政府(ガザ地区)を拒絶した。
そして、これ以降、イスラエルはガザ地区を完全封鎖したうえで容赦なくガザ地区攻撃を行なうことが
できるようになった。
08年から09年、12年、14年、21年と、ガザ地区はイスラエル軍による激しい空爆と侵攻に
繰り返し晒されてきたが、それはイスラエルと米国が「ガザ地区=ハマース」という構図をあえて作りだしたからである。
これを見せしめとされて、西岸地区のPLOはますます従順に、無力になっていく。
そもそもガザ地区は、1948年のイスラエル建国によって周囲の土地を収奪されて狭隘な土地に切り縮められた特殊な場所であり、そこにその収奪されたパレスチナ難民が殺到した場所でもある。
過密な人口の7割以上がイスラエル側に故郷をもつ難民であり、つねにその帰還権を訴え続けているために、イスラエルからすると建国の正統性に亀裂を入れ続ける厄介な存在である。
小さなガザ地区はいわば「喉元に刺さった棘」であり、イスラエルは常々この棘を引き抜くこと、つまりガザ地区を、難民問題の存在を抹消することを画策している。
繰り返されるガザ攻撃と並行して、イスラエル政府は07年にガザ地区を隣接するエジプト領へと移管
することで「占領地」ではなくすことを検討したが、厄介ごとを抱えたくないエジプトから拒絶された。
12年にはガザ地区住民全員をエジプトのシナイ半島へ移住させる案を米国を通じて打診したが、再度エジプトに拒絶されている。
14年には西岸地区のPLO自治政府も巻き込んでのシナイ半島移住案を再提案したこともある。
つまり、内戦によるパレスチナの分断状況を作り出して以降、ガザ地区そのものの抹消を計画してきたのである。
おわりに
したがって、2023年10月7日以降に展開されている常軌を逸したイスラエル軍のガザ地区攻撃は、実は一貫したイスラエルによるガザ地区抹消の欲望の表れであり、何ら驚くべきことではない。
攻撃開始からわずか1週間後の10月13日付でガザ地区の全住民をエジプトのシナイ半島へ「避難」
させる検討文書の要旨がイスラエル国防省内で共有されたのも、やはり新しい事態ではないのだ。
そしてこのガザ地区抹消は、イスラエルにとっては、パレスチナ全土の乗っ取り、つまり100年プロジェクトのセトラー・コロニアリズム完遂に向けた一歩に過ぎない。
ガザ地区抹消は、西岸地区の細分化・無力化への推進力となる。
最終的には西岸地区の抹消まで視野に入っている。
セトラー・コロニアリズムとしてのシオニズムは、ヨーロッパ発の人種主義と植民地主義の結合体であった。
それゆえにパレスチナ人に対する大虐殺にも躊躇することはなく、そしてそのイスラエル軍の残虐行為に対して欧米が頑なに支持しつづけるのも、まさにセトラー・コロニアリズムだからこそである。
シオニズムと欧米との共犯を思想史的に批判し続けてきた在米イラン人のハミッド・ダバシに倣って言えば、このイスラエルによるガザ地区攻撃と、同時に進行する西岸地区への占領強化と、そしてそれに対する欧米支持に、「欧米の人種主義と植民地主義の歴史全体が含まれている」のだ。