独りで戦い、生き抜いた――〝安楽死〟した日本人女性 病による耐え難い苦痛と、頼ることをできなくした家庭環境(TBS NEWS DIG Powered by JNN) – Yahoo!ニュース
「安楽死することは悲しくない。やり残したことは何もないし、本当に幸せな人生だったの。私のゴールはここ。やっと夢が叶うのよ」
スイスのある施設で、まもなく安楽死を遂げようとしていた迎田良子さん(64)は、一点の曇りもない、晴れ渡った表情をしていた。
記者として、他人の人生に、ましてや、その人の命の決定に口を挟む資格はない。
そのことを重々理解しつつも、私は「あなたは死が差し迫っているわけではないし、まだ生きられると思うんです」と問いかけた。
迎田さんの中に生きる選択肢がわずかにでも残されていないかを確認したかったからである。
「誰かに頼って生きるなんて嫌なのよ」。
澄んだ瞳で、そう話す迎田さんに、私は返す言葉を持ち合わせていなかった。
なぜなら、私はこれまでの取材を通して、彼女が生きてきた「過酷な人生」と、それでも、たった一人で自身の人生を切り拓いてきた「誇り」を、知っていたからだ。
ほどなく、医師から処方された致死薬が入った点滴のバルブを自ら開けて、迎田さんは永遠の眠りについた。(TBSテレビ 西村匡史)
「お伝えしたいことがあります」 安楽死を決意した日本人
2022年1月、当時ロンドン特派員として安楽死の取材を続けていた私のもとに、日本にいた迎田さんから突然、メールが届いた。
進行性の難病、パーキンソン病を患っているという迎田さんは、スイスで安楽死する決意を固めていた。
日本では認められていない安楽死の法制化を望み、「お伝えしたくて声を上げました」と自身の取材を通して、そのことを考えてもらうきっかけにしてほしい、と考えていたのである。
メールには「私は、神経難病で、時には激しい身体の痛みを伴う不快な進行と薬漬けで少しの緩和でありながら、週21時間の障害者雇用を生活の為、何とか今はやりこなしています」と記されていた。
それ以降、イギリスと日本の間で、数十通にわたるメール、時にはzoomで連絡をとりあった。
そして22年夏、安楽死の許可がおり、12月にスイスで安楽死する予定が調整された。
安楽死を思いとどまることはできないのだろうか。22年11月、私はロンドンから東京に向かった。