すべての人間、そして社会に潜む悪についての考察「新版 光の子と闇の子──デモクラシーの批判と擁護」 ラインホールド・ニーバー

(書評より)すべての人間、そして社会に潜む悪についての考察

訳者の武田清子氏があとがきにて、「本書、『光の子と闇の子』の中には、人間の普遍的な問題がシンボリックにあらわされている。それは、人間の悪の問題にほかならない。」

「キリスト教倫理の問題が主として、個人主義的領域のおいて考えられ勝ちであった西洋キリスト教会において、こうした社会倫理の課題、即ち、罪が社会化した力として働く「社会悪」の問題を、キリスト教倫理の課題として明確に位置づけたことは、ニーバーの重要な貢献である」

と書いているように、本書は、人間そして社会に内在する『悪』について考察の書であり、またそれを乗り越えるための書である。

自由主義、そして共産主義を『光の子』(1944年に書かれているという時代の制約上、アメリカと同盟のような関係にあったソ連の共産主義を肯定している点は興味深い)、ナチズムやファシズムといった全体主義を『闇の子』と表現し、ここが重要なのだが、そのどちらの陣営にも悪が内在することを喝破している。

本書における悪の基準のひとつは、律法を無視して私的利益を絶対化することなのだが、『闇の子』は私的利益の力を知っているので、ニーバーは『闇の子』は賢いとしている。

その一方、『光の子』に対しては、「単刀直入に言えば、近代デモクラシー文明はシニカルであるよりはセンティメンタルである。

独りよがりで浅薄な人間観の故にデモクラシー文明は、国民的レヴェルでも国際的レヴェルでもコミュニティのアナキーや混乱といった難問題を簡単に片付ける。

「共通の善」のために表面上、献身するところのその同じ人間が、欲望や野心や望みや恐れ故に、隣人と利害相反した立場に立つようなことにもなり得るとうことを彼らは知らないのである。

 光の子らが愚かだというのは、闇の子らのうちにひそんだ私的利益の力を軽く見積もったという理由によるのみではなくて、自分自身のうちにひそむ私的利益の力をも、また軽く見積もっているからである。」とし、『光の子』自身の性善説的な人間観、それ故に自身に潜む『悪』について無自覚であるので、愚かであると手厳しく追求している。

このようにあらゆる主義にたつ人間を、徹底的に性悪説で分析するところは、絶対善は神にのみ存在する、と確信している神学者ならではの視点であるし、自己絶対化の暴走がどのような悲劇を引き起こすのかが歴史的にも現実的にも問題となっている現在、私たちにも強く求められている思考であろう。

ニーバーは本書にて、性悪説的視点から現状を分析した後、キリスト教の終末論的視点から、第二次世界大戦後のあるべき世界の姿を考察している。

世界史とは完成に向かって進むものであり、それは世界共同体のような形となって成就すべきである、という考えだ。

「世界共同体を建設する事業は、人間の究極の必要性であり、また可能性であるが、それはまた、究極の不可能性でもある。それが必要性であり、可能性である理由は、歴史は、人間の自由を、自然的過程を超えて、普遍性が達せられるところにまで拡大する過程だからである。それが不可能性である理由は、人間の自由は増大するにもかかわらず、人間は、時間と空間とに結びつけられており、特殊的で時間の限定を受けた場所に基盤を持たないところの文化や文明の構想を樹立することの出来ない有限的な被造物だからである。 このように、人間生命の究極の可能性にして不可能性として立つところの世界共同体は、現実には、人間の希望を絶えず成就してゆくものであると同様に、永遠の課題でもある。」

このような不可能性を達成するためには、ニーバーは神の恩寵を求めるのであるが、逆説的に考えると、神の御業なくして、そのような共同体が成り立つとは考えられないということだろう。

それほど、人間に内在する『悪』とは強い、ということなのだろう。

ちなみに佐藤優ファンが、帯の「私の人生にとって本書『光の子と闇の子』は決定的に重要な意味を持つ書だ」というコピーに釣られて買うと、ちょっと後悔するかもしれない。

本書が佐藤優氏を神学の道に誘った重要な書であることは間違いないのだが、本書解説にて佐藤氏が直接、「繰り返しになるが、ラインホールド・ニーバーという神学者に対し、私はほとんど共感を持っていない。しかし、この神学者の『光の子と闇の子』を知ることがなかったならば、私の人生はまったく異なるものになった。」

と書いているように、バルトやフロマートカのように、佐藤優氏の神学的思考に影響を与えた人物ではないということだ。

よって佐藤氏の神学的思考の源泉なり道筋を辿ろうとして本書を手にすると、少し後悔するかもしれない。

しかし、徹底的な性悪説で人間・社会を見抜く本書は、性善説で世の中を見過ぎている私たちには重要な視点を示唆するものであるので、読むべき価値のある一冊だと思います。お薦めです。

「新版 光の子と闇の子──デモクラシーの批判と擁護」 ラインホールド・ニーバー

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