医薬品をめぐる「知的所有権」

  ”Friends of WHO Japan” 2023. Summer

コロナ・パンデミックは独占から共有、競争から協力への道を切り開くか? by 稲場雅樹

https://japan-who.or.jp/wp-content/themes/rewho/img/PDF/library/081/book8502.pdf

==「ポリクライシス」の時代に合わせた、「連帯」に基づくルールの変革を==

(「非営利・協同総合研究所 いのちとくらし」inoci@inhcc.org

WHO(1946)、UDHR、PHC(1978)、SAP(1985-2000)、MDGs、SDGs、UHC「Health for All by 2030」

・エイズ陽性者が治療薬にアクセスすると、日本の場合、一人あたり年間に250万円ほどかかります。

・(日本では)年間治療費250万円のうち、自己負担額は数万程度になるわけです。

・その250万円は製薬企業、エイズ治療薬で言えば欧米の大きな開発系製薬企業が受け取る

・まず政府に制度を作ってもらい、、現場においてきちんと運用されるようにさまざまなモニタリングを行う

・知的財産権によって、企業は自ら相当額の値段を決めて、治療薬を販売することが出来ることになっているのです。 ところが、途上国ではそんな値段では誰も買うことができません。

・このグローバルファンド(世界エイズ・結核・マラリア対策基金、2002年創設)がうまく機能したことによって、多くの途上国においても、一定新しいタイプのエイズ治療薬も含めて、無料で患者・感染者に提供されるようになっています。

・各国が制度を作ったとしても、その制度が不正や腐敗がなく機能するようにするためには、やはりユーザーである疾病の当事者や市民運動が、きちんとレビュー、モニターし、アドボカシーをしなければならない。

・もう一つ明らかになったのが、制度について知らせる教育の必要性です。日本には社会福祉制度はありますが、この制度についての教育・啓発の機会がほとんど設けられていません。生活保護制度についても、どこに行けば生活保護が受けられるのか、、知る機会がほとんどありません。学校でも習わないし、社会人になったらもっと習わない。

・ですから、問題は、そんなに以前から「健康は人権だ」と言われていたのに、なぜ、いつまで経っても達成できないのか。

・1978年のPHCの(アルマ・アタ)宣言をベースにして・・・ところが、これにストップをかけるように、1985年以降、世界銀行・IMFの「構造調整政策」(SAP)が始まりました。この構造調整政策は、90年代までに、途上国の保健や教育など社会政策に大きなダメージを与えました。これをどのように取り返し、国の基盤をもう一度つくっていくのかが、90年代以降の大きな課題になりました。

・2000年になって、ついに構造調整政策が打ち切られ、国の基盤としての教育や保健など社会開発をしっかり進めるということで、MDGsが出来たわけです。債務についても、重債務貧困国(HIPC)イニシアティブが出来て、債務免除を一定のルールに基づいて行うことが2000年に決まりました。

・1946年署名のWHO憲章、1948年の世界人権宣言から「健康は権利だ」と宣言されていますし、 「2000年までにすべての人に健康を」というのは1978年にアルマ・アタで打ち出されたことなのに、80年代や90年代を通じて、結果として保健が顧みられなかった厳しい時期がありました。これをどうにかして取り返すという文脈で2001年にMDGsがついに出来た。この30年間、MDGsからSDGsへいたる30年間は、基本的にそういう流れかなと思っています。

・これら「水平的アプローチ」と「垂直的アプローチ」は両方とも必要で、バランスよくやっていかなければいけないのですが、、

・MDGsでは、構造調整から脱却してきちんと国づくりをすることに主眼がおかれました。

・このSDGs理解は、日本でのSDGsの理解とはまったく異なっています、、すべての問題はつながっているという考えから17もゴールを作り、そしてあらゆる問題を取り残さずに拾うことを心がけました。ところが日本の場合、SDGsの認知度は高いものの、SDGsはリサイクル、物を大切に使うのがSDGsだというような誤解が強くあります。もしくは企業が環境問題に対して一生懸命に取り組むのがSDGsだということになっており、まったく理解が異なるのです。

・繰り返しますが、SDGsは、基本的にはすべての問題を取り残さずに全体に取り組むものです。

・SDGsはアヘンなのではなく、持続可能な世界の変革のためにつくられたのです。

・ここが例えば気候変動枠組み条約と違うところです。気候変動条約については実施しないと罰則があるのですが、SDGsは、目標に向けた取り組みをどのように実施するのかはその国に任せるということになっています。

・2008年、つまりMDGsが半分とすこし行ったところでリーマンショックがあり、、先進国経済がボロボロになったのですが、お金が流れ込んだ途上国の方はわりと経済成長をしたのです。例えばトルコ、、インドも、、

・いわゆる「ゲイツ様にお願い」というトレンドから、より大きなトレンドに移さなければという文脈となり、2012年、13年にUHCが打ち出されてきたのです。この「Health for All by 2030」という新たなスローガンとして大きく打ち出されたUHC、、

・HIVには予防がとても大切になります。コミュニティの中で予防していくには、自らが予防の主体になっていかなければいけない、、 コミュニティ・オーガナイジングが必要になっていくのです。つまり、医療、医者がすることは範囲が限定されているので。。

・予防、ケア、そしてアドボカシーというこの3点を強力に推し進めなければいけないというのが、80年代前半のアメリカ

・日本政府は、現地の市民団体やNGOとの付き合いが少なく、NGOについて知らないので、能力が高いNGOとそうでないNGOの見極めが出来ず・・・

・相当の時間と労力を使って会計をしなければならず、さらに、最終的に日本語で会計報告をしなければならないという制約が・・・

・HIVの薬は一生、飲み続けなければならないので、その分、製薬企業には収入がもたらされることになります。欧米では患者が100万人いますから、もっとお金になる。そうであれば、治療薬の開発も活発になります。だからエイズ治療薬の種類はたくさんあり、、 一方、結核やマラリアの治療薬はそんなにたくさんあるわけではありません。いわゆる「顧みられない熱帯病」、、治療薬が全然出来ません。

・現在、途上国で使われる医薬品やワクチンの多くは、インドで生産されています。

・日本はUHCがある程度達成できている国と評価されていますが、在留資格のない外国人に対しては、あえて制度のほとんどを適用しないことにしています。

・農業でもそうだと思いますが、いまや、新しいことをやる人たちはみんな、株式会社を作ります。協同組合はそういう動きの受け皿になれていない、、

・それはそれで重要なことですが、大金持ちが作る財団が市民社会の活動の原資のかなり部分を占める、というのは、本来あまりよろしいことではないはずです。

【インタビュー:グローバルヘルスと市民活動  稲場雅樹  聞き手:松田亮三  いのちとくらし研究所報 第86号 2024年3月 より抜粋】

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