人類は一つ 日常にもっと「対話」を

私は佐久総合病院で毎日のように胃カメラ検査をしている。

ときにさまざまな民族の患者さんがおいでになる。

口腔内から咽頭、食道、胃、十二指腸まで、病変を除けば、人類にほとんど差異はない。

人体の深いところに至るほど「人類は一つ」と実感させられる。

逆に身体の表面に近いほど、皮膚の色や顔かたち、見た目の違いが表われる。

そして、咽頭喉頭はその中間にある。

観察していると、コレは偶然ではないのではないか、と思う。

喉頭通過の後、ワーッとか、オオーッといった「音」が意味のある「言葉」に換わるからだ。

そこから「同じだけど違う」人間のコミュニケーションが生まれる。

表現が派生し、芸術がつくられる。

音から声=言葉への変換は、人間存在の根源にかかわっている。

さしずめ演劇は、人間の身体をとおしたダイナミックな表現であり、芸術といえるだろう。

先日、友人の医師で早稲田大学教授の兪炳匡(ゆうへいきょう)氏が編集した『2分の即興劇で生活習慣を変える!健康教育プログラム』(社会保険出版社)を手に取った。

2分間のロールプレイを保健指導などに活かす方法が解説されている。

なかでもブラジル生まれの演劇家、アウグスト・ボアール(1931~2009)の「被抑圧者の演劇」の章が面白い。

ボアールの演劇は、南米の軍事政権下の民主化運動で用いられた後、世界的に広がったという。

ボアールの即興劇の主人公は、「常に対人関係で困っている人」だ。

主人公は、自分を困らせている人との「対話」をとおして自らの困りごとを減らそうとする。

この対話が日本人は苦手だ。

価値観を知っている家族や友人との「会話」で気もちを察し合うのは上手いが、価値観や宗教観などを知らない相手と、その違いを説明し、理解を深める「対話」は下手だといわれる。

男女間の対話ですら、ジェンダーギャップ指数が先進国で最低レベル(146か国中116位)の現状をみれば、とても成功しているとはいえない。

対話の重要さを再認識しなくてはなるまい。

佐久病院では、毎年5月に開催される病院祭で、研修医や職員による演劇が上演されている。

戦後、若月俊一名誉総長は、「予防は治療に勝る」と唱え、山間部を巡回診療した。

そのとき自ら脚本を書いて健康講話の劇を演じ、村人の理解を深めようとした。

その伝統が、現在に受け継がれている。

ただ、近年は、芝居を演じることが目的化され、趣旨が違ってきたようにも感じる。

19世紀の英国のアーティスト、ウイリアム・モリスは、こう言っている。

「真実の芸術とは人間が労働に対する喜びを表現することである」

モリスは、住居の修飾や日常生活のこまごまとした制作を「小芸術」と呼んで大切にした。

私たち臨床医には、芸術家による絵画や彫刻といった「大芸術」ではなく、診察室で患者さんとの価値観の違いを受けとめながら、しっかりと「対話」する小芸術こそが求められているのではないだろうか。

色平 哲郎

大阪保険医雑誌2024年1月号掲載

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