個人的にファンでもあり、お世話になっている三宅晶子さんの記事です。
刑務所の中にチャンスをつくるーー受刑者向け求人誌が立ち向かう現実と願い(杉岡太樹 / TAIKI SUGIOKA) – エキスパート – Yahoo!ニュース
罪を犯した者は、その後どのように生きていけばいいのだろうか。日本では、刑期を終えた出所者のうち、約半数は再び刑務所に戻るという。その厳しい現実をどうにか変えたい。そうした思いから生まれたのが、出所後の生活を支援するための求人誌『Chance!!』だ。編集長を務めるのは、白髪が印象的な52歳の三宅晶子。めざすのは、「人は変われる」と信じることのできる社会の実現だ。全国の刑務所や求人企業を奔走する彼女に密着した。
(敬称略)
いわゆる「前科者」が社会に復帰するのは、簡単ではない。それを示すのが、満期出所者のおよそ2人に1人が再び罪を犯すという事実である。刑務所を出所した元受刑者が5年以内に再入所する確率は、仮釈放で30.1%、満期出所で46.9%。また、検挙された者の中で再犯者が占める割合を表す「再犯者率」は、2022年で過去最悪の48.6%となっている。法務省が「喫緊の課題」とするこの再犯防止に挑むのが、求人雑誌『Chance!!』である。
三宅晶子が受刑者専用の求人誌『Chance!!』を創刊したのは2018年3月。刑務所に再入所する者の7割が無職とのデータがある中、服役中の受刑者が刑期中から就職活動できるようにするのが狙いだ。2024年1月現在、全国240ヶ所を超える少年院、留置所、拘置所、刑務所で無料配布されており、これまで366人の内定を支援してきた。
三宅は創刊に先立つ2015年に求人誌の発行元となる株式会社ヒューマン・コメディを起業した。出所した人と人材を求める企業をマッチングする有料職業紹介事業としてスタート。ところが、事業開始から間もなく資金ショートに陥った。事務所を維持することもできなくなるピンチの中でひらめいたのが、「専用求人誌」の発行だったという。
「職業紹介事業をやっていた1年半の間に面接できたのは、たったの20人。刑務所の中ではインターネットが使えないので、支援を必要としている受刑者の方々に自分の存在を知ってもらう機会がありませんでした。それならば、刑務所の中で求人誌を配布すればいいのではないか? そう思ったんです」
三宅には、雑誌づくりの経験もノウハウもなかった。それでもゼロから編集作業を始め、13社の求人情報を載せた創刊号を750部発行した。今でも助成金など政府からの支援は一切受けておらず、印刷や配送を含むすべての経費を募集企業からの掲載料でカバーしている。現在は1号につき掲載企業が平均30社と増えたことで黒字化。三宅自身も報酬を得られるようになったが、しばらくは取材や編集から発送までのほとんどを無報酬のままひとりで切り盛りしてきた。
そこまでしてこの雑誌を続けてきた理由は何か? 『Chance!!』創刊から求人情報を出し続けてきた拓実建設の柿島拓也社長から伝え聞いたこんなエピソードが、三宅の心に残っている。
翌年に満期を迎える懲役14年の受刑者が、刑務所内での面接で柿島社長にこんな話をした。「自分が入った時にこういう雑誌はなく、将来が見えずに自暴自棄になって懲罰を受けるようなことを繰り返していた。でも、5年前に所内で『Chance!!』を見るようになって、塀の中で死ぬような人生にはなりたくない、生き直そうと決心した」。この受刑者は、自分が起こした事件の被害者に手紙を送っても受け取ってもらえない状態だが、「自分が更生することで、次の被害者を生まないことはできる」と話したという。それを聞いた三宅は、「『Chance!!』を作ってよかった。そんなきっかけをもっと増やしていきたい」と改めて決心した。
三宅には、いまの仕事を続ける大きなモチベーションがある。2014年に前職を退社し、人材育成の分野に進もうと考えていた。非行歴や犯罪歴のある少年らの自立支援施設でいくつかのボランティアに参加。その中で、鹿児島県奄美大島の青少年支援センター「ゆずり葉の郷」で一人の少女と出会う。
当時17歳だった良波美香は、生後間もなく両親から育児放棄され、2歳の時から15年以上児童施設で過ごしていた。夜になると施設を抜け出し、仲間たちと徘徊(はいかい)を続ける「一番の問題児」。そんな彼女が、かつて非行に走り、高校を退学した経験のある三宅の目にとまった。夜になると美香の部屋を訪れ、化粧をしてあげることで2人は距離を縮めていった。そこで美香が話し始めた過去は、両親に愛されて育った三宅には想像しがたいものだった。
自分が彼女のような境遇だったら、どうなっていただろう。そんな想像をすることで、自分の過去を支えてくれた人たちへ感謝しなければならないことに気付かされたという。自分が罪を犯すことなく生きてこられたのは、自分の努力だけではなく、境遇や周囲の人たちの支えのおかげだ。それならば、自分が美香の支えになろうと心に決めた。
東京に戻って半年後、美香が福岡の少年院に入ったことを知った三宅はその翌日に面会に向かい、身元引受人として名乗り出た。夫と暮らす自宅に美香を受け入れ、少年院を出てからの更生を支えた。実の親から虐待を受けてきた美香が抱える「生まれてこなければよかった」という心の傷に触れた三宅は、ヒューマン・コメディを美香の誕生日に登記した。
「毎年会社の記念日をお祝いするのと同時に、彼女が生まれてきたことをみんなでお祝いすることができるから。美香がいなかったら、この会社はできていない。だから、『自分の誕生日が嫌い』だという美香に、『生まれてきてくれてありがとう』って毎年伝えてます。それをずっと続けたい」
今では『Chance!!』に掲載された企業は124社を数え、最新号となる24号の発行部数は4200部にまで伸びている。三宅は、株式会社とは別に一般社団法人を立ち上げ、刑務所内での講演活動を続けている。自身の言葉で、受刑者たちに「人は変われる」と伝えるために。