【予防は治療に勝る】(「予防医学と健康づくり」若月俊一著作集第3巻 著者解題1986)
思えば、この運動は長い困難な仕事であった。
私どもは、病院の、入院患者はもちろん、外来患者に対する仕事(技術とサービス)を行ったうえに、さらに、「外に出ての活動」(out-reach activity)にもがんばってきた。
医師会の先生方から「君はばかだね。予防に力を入れたら、患者が減って、病院がつぶれちゃうじゃないか」とか、「君、戦後は、そば屋だって出前しなくなったのに、医者が出前するのは、時代錯誤だよ」などと批判され、さらには「ポン引やってるんじゃないの」などの陰口までたたかれたものである。
しかし、その後社会情勢は大きく変り、そのニーズも大きく進んだ。
医療のあり方も変り、予防や健康管理を行うのが、当り前の時代となった。
高度経済成長を経て、工業化社会となるとともに、高齢化も大きく進んだので、リハビリテーションや「在宅ケア」までが、必要とされる時代にもなった。
いわゆる「健康づくり」の時代である。
私どもがかつて農村の半封建的な「棄老」精神に反発して「運動」した、「健康管理活動」は、いまや政府からの国の方針として、行われるようになったのである。
「健康づくり」は、私どもの初心でもあった。
なぜなら、農村民は、病気になって医者の治療を受けるよりも、病気にならないことを願っていたからである。
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いままで私たち医者たちは、あまりにも「病気」にばかり注意を払いすぎてきた。
しかし、今日、国民はそれよりも「健康」に目を向けつつある。
「健康ブーム」が起こっている。
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健康を、固定的なものとして、とらえてはならない。
そのために、私はまずそれを、歴史の中に追求した。
それは、社会生活の発展とともに変わるもので、その発展の起動力は、民衆の生活向上の意欲にあるとした。
自分たちの暮らしをより良くしようとする、民衆の念願は、しばしば従来の歴史の中では、低く見られてきた。
それよりも、卓越した指導者や権力グループが、歴史を大きく動かしてきたと見る。
たしかに、それは否めない。
個人的なものや偶発的なものが、大きくそこに介在する。
にもかかわらず、世界の歴史をマクロに見るときには、そこに、民衆の意欲、より良き、そしてより人間的な生活を願うこころが、大きく、そして深く動いていることを、感じないわけにはいかない。
「健康」の概念を動かしてきたのは、その力である。
したがって、「健康」が、人間の日常の「生活」のすべてにかかわりあうのは、当然である。
衣・食・住はもちろん、職業、労働、地域、家庭の条件のいっさいに関係する。
問題は、これらのすべての人間関係や、社会環境の諸条件の、基礎に「健康」があるという認識である。
それらの諸条件を並べたてて、人間的「生活」と総称することはできるが、「健康」はそれらすべての土台なのである。
私は「生活」と「健康」の上下の構造を論じた。
健康と、経済的あるいは社会的生活条件とは並列ではない。
健康論を展開するとき、私どもは、1948年に発足したWHOが採択した保健憲章の中の「健康の定義」を、見逃すわけにはいかない。
私はその中の「肉体的、精神的および社会的」の、「社会的」の一句の追加挿入に、大きな歴史的な意義を感じたのである。
私ども医者はしばしば、生物学的医学には通じていたが、「社会性」にはあまりに疎かったのではあるまか。
社会性を担った医学に「公衆衛生学」がある。
しかし、わが国にこの学問が、本当の意味で正式に仕事を開始するようになったのは、率直にいって、戦後といっていいのではあるまいか。
しかも、それはアメリカ進駐軍の力によってである。
考えてみれば、戦前は私どもも苦い経験をもつが、「社会医学研究会」の「社会」という言葉を口にすることさえ、人前を憚ったものである。(後略)
(「予防医学と健康づくり」若月俊一著作集第3巻 著者解題1986)