「死」と向き合い続ける医師に聞く、納得して死に向かうまでの「コミュニケーションの磨き方」

「死」と向き合い続ける医師に聞く、納得して死に向かうまでの「コミュニケーションの磨き方」 | ヨガジャーナルオンライン (yogajournal.jp)

思い込みにとらわれがちな私たちが、それらを手放し、本来の状態に戻るためのヒント。そして、私たちの内側に広がる、未知な部分、可能性、平穏…を見つけるための考え方を、様々な専門家のお話を伺いながら探っていく連載企画『インナージャーニー(内なる探求)』。第2弾は、ドクターの道下将太郎さんのインタビューをお届けします。

私たちが抱える悩み事。その多くが人間関係についての悩みではないでしょうか?ドクターである道下さんは「死のプロデュース」と題して、ご本人とご家族が、最後の最後まで人生を楽しみ、納得して死を迎えられるようにサポートをしています。そんな道下さんより、納得した死を迎えるための、心の在り方、コミュニケーションの磨き方を教えていただきました。

言葉以外に発せられているメッセージを読む

ーー死に向かっていく時間に向き合う際、かなり繊細なコミュニケーションが求められるように思うのですが、道下さんはどのようなことに気を配っていらっしゃいますか?

道下さん:僕が看取るような方々って、ほぼ全員年齢上なんです。僕より2倍3倍生きている方なんで。向こうからしたら「若えよお前!上の人間出せよ!」って100%感じると思うんですよ。ですので、僕はめちゃくちゃディスアドバンテージからコミュニケーションが始まるんですよ。そこからこの方が、本当に納得し尽くして、いい人生だったと思って亡くなっていただくためには、相当いろんな行間とかを、五感の全てを使って読まなくてはいけません。

僕は昔から、みんなで集まったときでも、家族や友達が本当は心で何を思っているか、ずっと考えているタイプの少年だったんですよ。でもとても陽気でずっとスポーツばっかりしていましたけど(笑)。(何でこの人は本当はそんなこと思ってないのに、こんなこと言うんだろう?)というのをその人から出ているいろんな表現を観察して理解するのが、昔から好きで得意なんです。でも1つの言葉に意味が紐づくように、言葉の限界も並行して感じていました。

ーー人とのコミュニケーションにおいて、それはとても重要に感じるのですが、その力を磨く方法はありますか?

道下さん:あります。自分に納得して生きることだと思います。自分が生きていることに自分が納得しない限りは、他に対して納得させることなんかできないです。そういった自分の軸を持たないと、相手の行動を変えさせるまではいかないと思います。

納得の回数が自信に繋がる

ーー自分に納得して生きるって難しいですよね。道下さんは、自信のない人に自信をつけさせるサポートを、数多くされてきたと思うのですが、どのようにサポートしたのでしょうか?

道下さん:自分が納得できるルールを自分で決めてもらい、その小さなルールにコミットし続けるということをしていきます。つまり小さな成功体験を繰り返し積んでいけるようにサポートするんです。

僕ら人間って、振り返るという作業、または自分の中を見に行くという作業が一番苦手なんですよ。自分がどういう思考をしているのか?とか、今やった物事は正しいのだろうか?とか、意味があったのだろうか?という確認作業をしないんです。年末とか、節目の時ぐらいにしか振り返らないじゃないですか。それで後から「駄目だったなあ」と感じるんですよ。

例えば1つの動作をしたときに、その都度これは意味があるのか?とその時に考えたら、それが違ったらそのたびに修正できるじゃないですか。僕はチェックポイントと呼んでいるんですけど、例えば朝起きてヨガをして自分の体の調子を確かめる時間、朝昼晩の3回の食事の時、寝る前に今日一日良かったのかなと振り返り、納得するような時間を持つ、それが座禅とかメディテーションかもしれないですけど、これだけでも5回チェックポイントがあるわけですよ。

そうなったら、“今日は体の調子がいまいち”とかもわかるじゃないですか。そんな時、 “今日は飛ばせない日“なんですよ。“ローギアで行った方がいい日だな” がわかるんですよ。それが非常に大事なんです。僕らは常に全速力でやってなきゃいけないという時代に生きちゃってますよね。そんなの無理です。壊れちゃいますよ。ずっとアクセルを踏んでいたらエンジンがオーバーヒートしちゃうので。

例えば朝のチェックポイントを毎回やっていたら、“今日はいつもと違うな”っていうのがわかるじゃないですか。食事の時 “ちょっと味を感じにくいな、喉の通りが悪いな” って気づいて “今日飛ばしたら壊れるんじゃないか” がわかったら飛ばさなくなるじゃないですか。それを自分が理解していて、飛ばしすぎず朝昼晩全部終えて、夜帰ってきたときに、今日これだけ頑張ってよかった、乗り越えたねって思えるじゃないですか。

そんなふうに納得が生まれる。その繰り返しの回数が多ければ多いほど、僕は自分に自信がつくと思うんですよ。だから全員ができると思います。やり始めれば決して難しいことではないと思いますよ。

ーー自己観察をして、自覚をして納得する、ということが自信に繋がるということですね。

メディテーション
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自分の中が7割、外が3割

道下さん:よく言われていることですが、周りと比較して幸せなことは、やっぱり1個もないんです。僕は海外のいろんな場所に行き、様々な民族と関わってきたのでわかるんですが、日本で正しいと言われていることも、外では全く通じないことも経験してきました。ここだと駄目だとされていることが、こっちではめちゃくちゃ喜ばれたりするわけですよ。

そうなったときに、何を選択するかの唯一の物差しは、自分の中の判断になってきます。今の人たちは自分の中を見に行くことがとても苦手です。なぜかというと、外部環境があまりにも動いているからです。本気でダッシュしているとき、周りで何が起きているかなんて、わかるわけないじゃないですか。それが毎日起きているわけですから。江戸時代の数百倍ぐらい、現代は情報量が増えているらしいんです。その周りの情報を1回カットしたら見に行けるかもしれないじゃないですか。それが、例えばヨガとか座禅だと僕は思うんですよ。

外の環境は自分でコントロールできないじゃないですか。人間関係も仕事も何もかも。全部イレギュラーです。わかりやすいイメージで話すと、ボールを壁当てするじゃないですか。それが外的要因で全部イレギュラーバウンドで返ってくる。それを夢中で拾っているうちに、どれがイレギュラーバウンドかわからなくなって、気づいたら疲れやストレスが溜まっているんですね。

そんな時に、元の位置がわからなくなって、どこに戻ったらいいのかわからない、というのが現代だと思います。僕は重心の置き方が、自分の中が8か7で、外が2か3なんですよ。そうすると外で足をすくわれても何とかなるし、元の位置にも戻れる。

例えば壁当てして手に球が戻ってきたときに、しっくりきて気持ちいい感覚、またはちょっとずれているという感覚がわかれば、あれ今日はなんかおかしいぞ、に気づけるじゃないですか。そのチェックポイントになるのが、ルーティンだと思うんです。それが朝昼晩の食事とか朝夕のヨガとかメディテーションなど、1日に5回とかあったとしたら、どこでずれているかもわかるじゃないですか。これが1ヶ月経ってとか、調子が悪くなってからだと、もう気づけないんですよ。どこに戻ったらいいのかも、もうわかりません。ルーティンを作ることにより、戻れる場所を作ってあげるんです。

とはいえ、メディテーションしてくださいって言われても、みんなわからないしやらないじゃないですか。そこで僕は例えば、各々の脳波を測って一番リラックスできる音楽を作成し処方するということをやっていたりします。

さらに京都の建仁寺両足院の住職の伊藤東凌さん達と組んで、両足院での瞑想の動画を4K(高精細な映像)で作成して、ARグラスでどこでも没入できるようにしていたりします。その環境があれば、何もしなくても絶対に深いディープな領域に入れるんですよ。そういった現代に入りやすいプログラムをいろいろ作っています。

ーーそのプログラム、受けてみたいです!

道下さんは、患者さんの死に向き合い続けることで、ご自身がしんどくなってしまうことはありませんか?

メティテーションルーム
道下さんが立ち上げたAFRODE CLINICの院内にあるメディテーションルーム

“納得した死”に導くコミュニケーション

道下さん:僕はありません。しんどくなるときの理由は、お互いが納得してないからです。そこに尽きると思います。患者の死に引きずられてしまう医師は少なくありません。脳外科は特に離脱率の高い診療科なんです。

亡くなる時にその方が死に納得していなかったり、遺族が納得してなくて苦しんでいると、そこに関わる医者もしんどいんですよ。僕は患者さんも家族も周りの医療者も納得して死を迎えられるように、話をするし、シチュエーション、環境を作ります。なので、僕は今まで自分が引きずられるような死は一度もないんですよ。

ーーそれはすごいですね。どうやって納得に導くのでしょうか?

道下さん:皆さんが思い描いている納得って、自分が思っていることを、8割以上向こうが理解しているときなのではないでしょうか? それが多分しんどいんですよ。僕は10%でも自分のコアが伝われば納得だという、自分の中で評価基準があるんです。

人の脳みそはそれぞれ全然違います。自分が思ったことに対して、誰かが違う行動をしたり、僕が言ったことに対して(この人納得してないな)っていう反応が返ってくることってあるじゃないですか。それが一番ストレスに感じるわけです。

逆の視点で見ても、自分が思っていることと別のことを人から言われたら納得できず、そこで不和が生じますよね。そのときに大事なのは、全てを納得すること、させることはできない、ということを理解すること。違う人間なので。

その上で “この人がどのようにしたら心がこっちに動くかな”というところにちっちゃな球を転がしているだけです。そこだけ、拾えたらいいんですよ。

それが何かを探るのが、僕はコミュニケーションだと思っているんですよ。話を聞いて、この人の経験からこんな感情の変動があるだろうなみたいな、体系化し得ないところもありますが、体系化し得るところもあります。

ここだけ伝われば納得に繋がるであろう球を見極めて、その1球だけを転がして、100%それを拾う環境を作っている感じです。そうすると、「私のことをすごくわかってくれて、考えて言ってくれているんだ」になるわけです。

ーーすごいですね。それだけその方の話を聞いていますよね。

道下さん:はい。聞いていますし、全部見ています。その方の表情も、所作も、行間も、言葉以外に表現されているものも、五感をフルに使って感じています。

自分の思いではなく、本当に伝わってほしいことを伝える

また、どのように伝えるかも重要です。例えば、95%以上亡くなってしまうだろうという手術の時、ご家族の方に「やっぱりダメでした」と伝えるのと、「最後までとても頑張っていました。辛くなくとってもいい最期だと思います。今のうちにお話ししてあげて下さい」って伝えるのは、結末は同じでも、受け取る側の印象は大きく違いますよね。家族にはその方の最期が一生残るので。“僕がわかってほしいこと” というエゴを抜いて、その方がハッピーになることを伝えるんです。この自我と、本当に伝えたいことは何か、のジャンル分けがみんな苦手なんでしょうね。

例えば外科医でよくあることですが、20時間手術をした後に、緊急で10時間のオペが入る。もうヘトヘトですよ。その時にご家族の前で、ぐったりとした疲れた顔で「頑張ったんですけど難しかったです……」なんて伝えたら、(この先生がもし疲れてなかったら、他の先生だったら助かったんじゃないか?)って思っちゃうかもしれないじゃないですか。

たとえそれが全て本当ではなかったとしても「全て取り揃えて、最高のチームで、最高のコンディションで臨みましたが難しかったです。〇〇さんが最後頑張ってくれたおかげで、今のような家族の時間が作れました。この時間を無駄にしないでください。いろいろ話してあげてください。」と言うのとでは、結末は一緒でも、全然違いますよね。

自分の想いや感情をわかってもらうことよりも、本当に何が伝わってほしいかの方が絶対に大事なはずなんです。なのに自分のエゴを伝えることを優先してしまう。そうするとうまくいかないんです。

ーーすごく重要ですね。そんなコミュニケーションがどれだけたくさんの人とできるかっていうことが、大きく言えば平和に繋がっていくなと思いました。

道下さん:そうですね。あとは本当に自分が何を思っているのか、わかってない人が多いのだと思います。自分の思いや感情と、本当に伝えたいことの、部類分けができておらず、ごっちゃになっているんです。それを見る時間をとることが必要です。自分の中が整理できたら、「自分はこう思っているけど、それは自分が思っているだけであって伝わらないであろう」がその都度瞬時に判断できるようになるんです。

そのためには、さっきの話に繋がりますが、周りの動きを止めて、自分を見る時間をもつことが必要なんです。

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