自死予防と精神科医療 ― 安易な診断・投薬が自殺増やす

自死予防と精神科医療 ― 安易な診断・投薬が自殺増やす 野田正彰氏(1/2ページ):中外日報 (chugainippoh.co.jp)

精神病理学者 野田正彰氏

のだ・まさあき氏=精神科医、評論家。1944年、高知県生まれ。北海道大医学部卒。神戸市外国語大、京都造形芸術大、京都女子大、関西学院大教授を歴任。『コンピュータ新人類の研究』(大宅壮一ノンフィクション賞)など著書多数。

「命は大切」の欺瞞

矛盾に満ちたこの社会には、死に場所として知られる崖や森があった。あったと言いたいが、今もある。そんな場所の近くを訪れ、さまよう見知らぬ人を見つけると、そっと声をかける僧がいた。死のうと決めた人を前にして、直截の自殺予防と言えるものは、これくらいであろう。生から死へ、川の流れに譬えるなら、これは川下での自殺予防である。

その前、川の中ほどの予防とは、人が絶望して死にたくなる誘因を無くする活動である。病気で生計が行き詰まる。住宅ローンや消費者金融からの債務に苦しむ。連帯保証の債務に追い立てられる。使い捨ての派遣雇用しかなく希望がない。これらは医療費、雇用、債務にかかわる相談支援によって、自殺予防するしかない。経済的問題で苦しむ人は、「命ほど尊いものはない、命を大切に」と説く講演会に足を運ぶ余裕はない。同種の新聞広告、公共広告を見て、ハッと気を取り直す人がいるだろうか。

これまで川中での自殺対策はほとんどされてこなかった。ようやく2000年代になって消費者金融のグレーゾーン高金利が禁止され、司法書士・弁護士による整理が多くの多重債務者を救った。また09年12月から13年3月まで施行された中小企業金融円滑化法(いわゆるモラトリアム法)が、少なからぬ中小企業経営者とその職員を救ったと考えられる。

川上における自殺予防とは、人と人との交流の豊かな社会、全ての人びとが生きていて楽しいと思えるような社会を創ることである。老、病、死、いずれも避けがたい。だが生に必ず伴うこれらの不幸を、生の断念という絶望に変えるのは社会のあり方である。適応ばかりが強いられる楽しくない学校(中学、高等学校)をそのままにしておいて、命の大切さを教えると称する自殺予防教育の提案は、欺瞞に欺瞞を重ねるものである。

1998年度の自殺統計(99年6月、警察庁)が発表されたとき、その急増に衝撃が走った。3万2863人、前年比で35%増。とりわけ大都市圏に多く、東京都内では実に1・5倍だった。当然、社会的、経済的要因が分析されるはずだったのに、いつもどおり「命の大切さ」合唱でうやむやになっていった。ある年に限って、国民の自殺衝動が突然高まるはずがない。にもかかわらずその後の自殺防止対策なるものは、不眠・うつ病キャンペーンへ誘導されていった。

近年、自殺増の記事を重く受け止め、少数ではあるが、各県で自殺問題に取り組む宗教者が出てこられた。だが自殺防止という視点では何をして良いのか分からなくなり、長続きしていない。自死遺族自身によって世話されてきた悲哀をわかちあう会合は、持続している。そこで、故人と遺族の関係性によって多様な悲しさがあり、遺族は自分だけが苦しんでいるのではないことを知る。

多剤大量の悪循環

ところが自死遺族の話を聞いていると、どうしても精神科医療への不信が噴出してくる。

不眠がちになり、心配になって精神科クリニックを受診したら、やはりうつ病と言われ、薬が出た。飲むと体が怠くなり、日中眠くなる。1週間後に受診するように言われているので、行った。「どうですか?」「あまり良くないです」「では、お薬を少し増やしておきましょう」

1カ月ほどで、抗うつ剤、精神安定剤、睡眠導入剤などが6剤、7剤、8剤と増えていく。この間、心の中の不安、葛藤、心配、怒りなどはほとんど聞かれることもない。本人は薬を言われた通りに飲めば飲むほど、身体も心も落ち着かなくなり、これまでの自分でなくなる。眠前の薬を止めると、寝つかれない。しかたなく飲む。薬がないと眠れなくなっているのか。自分は駄目になってしまった。もう仕事を続けることもできない。こうして休職、あるいは出勤と休職を繰り返して結局、辞職、破局に至る。

本人は分かっていないが、向精神薬の薬理作用によって、当初、眠れない、食欲が落ちたぐらいの症状が、一気に身体のなんとも言えない怠さ、情動不安、衝動性の亢進へと追いこまれていったのである。しかも中枢神経に作用する向精神薬、とりわけ抗うつ剤の新薬は中毒(医学用語では「依存」と上品に言う)作用が強く、止めると以前に増して不安定(これも「離脱症状」と呼び、あいまい表現に置きかえられている)になる。そのため減薬への指導ができる精神科医と家族の濃密な支持なしには、断薬の難しい人が多い。

そもそも職場や家庭での悩みが、薬を飲んでいるうちに消えていくと信じる方がおかしいのではないか。せいぜい大脳に気力が増してきて、悩みを自力で吹き飛ばせるようになるとでも思っているのだろうか。

予防活動が逆効果

なぜ愛する人は亡くなったのか。自死遺族の会合では、上記のような避けて通れない精神科医療の問題に突き当たる。全国自死遺族連絡会の調査では、2900人の会員のうち9割ほどが精神科を受診、向精神薬を服用しながら自死に至っているという(2014年)。特に20歳代、30歳代で比率は高い。

1990年代終わりより心の病気づくりと薬の濫用がすさまじい勢いで進んできた。うつ病、双極性障害、PTSD、アスペルガー症候群、発達障害、自閉症スペクトラム、大人の発達障害など、全て病気宣伝による病気づくりである。例えばうつ病。自殺対策基本法が作られ、毎年200億円の対策費を使って各地でキャンペーンが行われた。

「お父さん、ちゃんと眠れてる?」……→「もしかしたら、うつかもしれない」の大合唱となった。その成功地域として、各県担当部局が喧伝した静岡県富士市の「富士モデル」では、実は不眠・うつ病キャンペーンを行った翌年より自殺者が2割増え、翌々年はさらに2割増え、07年には51人だったのが09年には71人になり、翌10年には72人になっている。さらに富士モデルを真似た滋賀県大津市ではキャンペーンの翌年に23%増になっている。自殺予防が自殺を増やす。不安にさせた上で、安易な診断と投薬によって自殺を急増させたのであろうが、その後、何が起こったか、「富士モデル」はひた隠しにされてきた。それでも不眠・うつ病キャンペーンは今も広く続いている。

もうひとつだけ統計を挙げよう。厚労省の精神保健福祉資料によると、精神科病院における月間死亡退院者は1882人(11年6月)。同年9月の患者調査(別の統計)では2100人が死亡退院している。しかも77%の人が1年未満での死亡である。03年は1242人だったので、近年、急増していることになる。死ぬ病でない精神病での患者が、なぜこれほども死ぬのか。全て薬の毒を指し示しているが、調査は拒まれたままである。

米国式障害づくり

ここに至る薬害の経過は次のように進んできた。1970年代末から80年代、大国アメリカの精神医学会によって、チェックリストによる安直な精神障害づくりが始まった。それに合わせて、新薬作り(20年間の特許法に守られて、旧薬ほども効果のない薬が、新薬として数十倍の値で売られる)、新薬への臨床試験受託会社による多施設臨床試験が行われるようになり、自殺などの副作用が報告された臨床試験全体を隠蔽、統計的に少しだけ効果があったかのように装われた試験のみが提出され、医療のマーケティングに精通した医学論文作成会社のゴーストライターによる論文作成が一般化した。かくして新薬として認可されると、市民への病気宣伝と医師への薬品名刷り込みが億単位の予算で行われてきた。日本うつ病学会など、学会までも製薬会社主導で作られ、患者会も、NPОもその支援を受けている。

自死問題に取り組もうとする宗教者、宗教教団は薬漬けになっている現実に目をつむって活動すれば、必ず薬を飲ませる流れに飲み込まれる。生きる悩み、生きる悲しみを、うつ病と抗うつ剤中毒から取り戻す仕事こそ、宗教者の仕事ではないのだろうか。

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