年3800遺体を解剖 法医学会も問題視する横浜の「研究所」

年3800遺体を解剖 法医学会も問題視する横浜の「研究所」|NEWSポストセブン (news-postseven.com)

自分が死んだら遺体は荼毘に付され、骨になって埋葬される──多くの人はそう思っているだろう。だが、「死に場所」によっては、火葬前に見知らぬ医師によって亡骸にメスを入れられ、遺族には「解剖費」が請求されることがある。

 昨秋、神奈川県横浜市にある一軒家で、70代の男性が早朝に死亡しているのを家族が発見した。すぐに119番通報すると、遺体は「警察の取り扱いになる可能性がある」と説明され、警察署に引き取られた。そして警察署で「病院に搬送して解剖することになる」と告げられたという。故人が自宅に帰ってきたのは翌日の夕方だった。その時のことを遺族が振り返る。

「『心筋梗塞』と書かれた死体検案書とともに戻ってきた亡骸は、胸から腹にかけて大きな縫い目があり、痛々しいものでした。さらに葬儀社から“解剖代を立て替えている”と言われて領収書を提示されたのです。金額は8万8000円でした。相場なんてわかりませんが、解剖理由も金額の説明もなかったので、釈然としなかった」

 葬儀社は、「日本のどこでも同じように必要な費用ですから」と説明したという。実は、この葬儀社の説明は正しくない。全国を見渡しても、こうしたケースで解剖費を遺族から徴収するケースはない。

◆1日平均10体超を解剖

 解剖というと多くの人は殺人事件などで死因を特定するための「司法解剖」を思い浮かべるだろうが、日本には他にも“解剖理由”がある。この遺体に行なわれた解剖は、「承諾解剖」と呼ばれるものだ。

医師が看取らずに病院以外の場所で死亡するなど、死因が明確でない場合、その遺体は「異状死」とされ、警察が検死する。それでも死因が特定されない場合や公衆衛生の必要に応じて、遺族の承諾を得て解剖に回されることがある。これが「承諾解剖」だ。

「死体解剖保存法によって規定された制度で、同法7条には『死体の解剖をしようとする者は、その遺族の承諾を受けなければならない』とありますが、遺体を取り扱うのが警察のため、医師ではなく、警察が遺族に解剖の承諾を得ているケースが多い」(神奈川県内の葬儀社関係者)

 昨年は全国で16万5837体(交通事故を除く)の異状死が報告されている。そのうち承諾解剖は9582体だった。東京23区や名古屋、大阪、神戸では、戦後に作られた死因調査を専門とする監察医制度がある。監察医制度の下では、異状死を対象に、公費で承諾解剖が行なわれている。一方、監察医制度のない道府県では、承諾解剖はほぼ行なわれていない(2017年は32道県で「0」)。

 そんななか、監察医制度がないにもかかわらず神奈川県の承諾解剖数は4014件と全国の4割以上を占め、その全てが遺族負担だという。しかも驚くことに、そのうち3800体を超える解剖を1人の解剖医が行なっていた。365日稼働したとしても、この解剖医は1日平均10体以上の解剖を行なっている計算になる。

 その場所が冒頭の遺体が運ばれた施設であるが、建物には「○○研究所」という、病院らしからぬ名前が記されていた。法医学者で日本医科大学教授の大野曜吉氏が語る。

「承諾解剖では、まず遺体の外表を調べた後、メスで首の下から下腹部まで開き、臓器を取り出して重さを測ったり、組織を採取・検査したりして、死因を探っていく。その後に死体検案書を書いたり、解剖記録などを残すことになります。1人ができるのは1日1遺体か、多くても2遺体。年間300体が限界でしょう」

◆葬儀社スタッフも手伝う

 横浜市内にある「研究所」に運ばれてくる“患者”は遺体だけだ。朝7時頃から建物の前には葬儀社の車が並び、「研究所」に遺体が運ばれる。「鑑識」と書かれたジャンパーを着ている警察官も頻繁に出入りしている。「研究所」に遺体を搬送し、解剖の現場にも立ち会ったことがある川崎市内の葬儀社関係者は、こう証言する。

「臓器や脳を次々と取り出して容器に入れ、重さを測り終えると、再び体の中に流し込んで縫う。この一連の作業を医師と助手が猛スピードで行なうのです。1体につき20分ほどだったと思います」

 葬儀社のスタッフが解剖を手伝うこともあるという。

「研究所内には解剖台が5つあり、ご遺体が“切られた”状態で並んでいます。ある葬儀社の社員が、容器に入った内臓を洗う手伝いをして、さらに解剖後、慣れた手付きでご遺体を縫っているのを見たことがあります」(横浜市の葬儀社社員)

 法医学関係者が問題視しているのはそうした“解剖数”の多さだけではない。承諾解剖の費用が遺族に請求されている点だ。日本法医学会理事長を務める名古屋市立大学教授の青木康博氏が言う。

「全国的に承諾解剖は公費で賄われており、遺族から解剖費を徴収するのは神奈川県だけ。1人の医師が多くの解剖を請け負うという構図も歪です。この問題をどう改善すべきかは、これまで学会などでも議論されてきましたが、いまだ解決されていません」

この問題は行政側も認識しているようだ。神奈川県はこう話す。

「“隣の東京(23区)では、(監察医制度があるために)解剖は公費負担なのに、神奈川ではなぜ遺族負担なのか”という疑問の声が届いているのは事実です。その点については、これから対策を考える必要があると考えています」(県庁医療課)

 冒頭の遺族は神奈川県警から「解剖することになる」と告げられた。多くの葬儀社関係者も「研究所に遺体を運ぶように指示しているのは県警」と口を揃える。前述したように「研究所」には鑑識のジャンパーを着た者も出入りしている。

 そこで神奈川県警に、承諾解剖の委託先や費用についての質問書を送った。しかし県警は、「承諾解剖は御遺族の希望または公衆衛生を目的に、御遺族の承諾のもと、医師の判断で実施されている。警察としては答える立場にない」(広報県民課)と、“無関係”だと主張するだけだった。

◆「8万8000円はむしろ安い」

 では、当の解剖医はどう答えるのか。横浜市内にある自宅を訪ねた。インターフォンを鳴らすと、本人が玄関から姿を現わしたが、何を聞いても「取材は受けない」という。だが、後日、改めて質問書を送ると、電話での取材に応じた。

──1人で行なうには解剖数があまりに多いとの指摘がある。

「そんなことはない。毎日朝7時から夕方まで、それなりのスタッフとともに効率よくこなせば、1日10体ぐらいならできる。私は開業以来、趣味のゴルフをやめ、365日盆暮れもなく働いている。自分を犠牲にして死因究明にあたってきた」

──葬儀社スタッフに手伝わせているのは事実か?

「遺体を解剖台に乗せるなどの簡単な協力はしてもらっているが、それ以上のことはさせていない。研究所のスタッフには葬儀社から転職した者もいるので、それを勘違いしているのではないか。そもそも日本の法律には解剖補助の制限はないので、彼らの手を借りても問題はない」

──解剖費用の8万8000円は妥当なのか。

「それだけの費用がかかるということ。私が施設に投じた費用は3億円。浄化装置も毎日フル稼働していてランニングコストもかかる。むしろ安いほうだと思う」

──遺族から解剖費用を徴収することが問題視されている。

「神奈川県だけが遺族から取っているわけではないでしょう」

──承諾解剖を行なっている各自治体に取材したところ、遺族負担は神奈川県だけだった。

「私の認識では全国の7割、8割は遺族負担のはずだが……いずれにせよ、私のしていることは批判されるものではない。8年ほど前、当時警察庁の刑事局長だった金高雅仁さん(後に警察庁長官)が私の研究所へ視察に訪れ、“もっとこんな施設が増えればいい”と賞賛してくれた。いわば、警察庁長官のお墨付きだ」

前出の日本法医学会の青木理事長は、こう話す。

「承諾解剖は行政上の必要があって行なうもので、公衆衛生上も、死者の生命の尊重という点でも必要なものです。しかし、明確なルールがないため、遺族への説明が不足していたり、自治体によって負担の差があるなどの問題は早期に改善すべきです。神奈川県の現状は、日本の死因究明制度の未熟さを表わしていると思います」

 冒頭の遺族はこう語った。

「本当に必要な解剖だったのか疑問なのです。何のための、誰のための解剖だったのか……」

 死因究明における制度のルールづくりや、地域差の解消など、課題は多い。少なくとも遺族が十分に納得していないような状態の中で、亡骸が傷つけられることはあってはならないだろう。

文■山田敏弘(国際ジャーナリスト)

※週刊ポスト2018年5月18日号

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