<視点>社会福祉士の実習現場で見たこの国の冷たさ 特別報道部・木原育子:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)
新型コロナウイルスは、この国の福祉の脆弱性を見事に告発した。世の中が危機的な状況になるほど、こぼれ落ちる人間を生む。飛び込んだ福祉現場の「懐」で感じたのは、この国の冷たさだった。
◆仕事を休み資格の実習へ
午前9時。始業した高齢者対応の地域包括支援センター(包括)の電話転送を解除すると、とたんに5台ほどの電話が鳴り始める。「隣から異臭がする」「介護認定を受けたい」。受話器の向こうからそんな問い合わせが聞こえてくる。電話は午後5時の終業まで途切れない。想像を上回る忙しさ。知っているつもりだったが、分かっていなかった。帰宅すると、テレビでは国会議員のはしご酒や官僚の接待が報じられていた。
私が包括にいたのは社会福祉士の資格を取るためだ。1987年に生まれた国家資格で、介護や児童養護施設、更生保護などあらゆる福祉の現場で相談業務に携わるソーシャルワークの専門職。1月から3月上旬にかけて仕事を休み、包括のほか特別養護老人ホーム、低所得者が暮らす無料低額宿泊所で実習を受けた。
フードバンクや炊き出し、就労支援。コロナ禍で、多くの人が力を貸そうと動いているが、必要な人に届かなければ意味がない。ソーシャルワーカーは利用者が抱く劣等感、孤立感をくみ取りながら、ニーズと社会資源を結びつけて解決に導く仕事とされる。
ただ、これらは教科書通りの答えでしかない。逆に言えば、社会福祉士という資格が生まれるほど、社会のつながりは貧しくなっている。社会課題を発掘し、解決につなげる。地域社会が引き受けていた仕事を、専門的に取り組む人が必要になっているのだ。
◆受刑者たちとの文通
一方、根本的な課題は残ったままだ。ソーシャルワーカーは「助けて」と言えた人には対処できても、声を上げる力がない人や潜在的な問題にまで手が回りにくい。国の多くの福祉制度は申請主義。たどりつくことが困難な人への支援は想定されていない。
私はそういった人に取材で出会っている。出産直後に赤ちゃんの首を絞めた母親、窃盗を繰り返す軽度な知的障害がある男性。まさしく福祉につながれなかった人たちだ。
服役中の彼ら彼女らと文通している。弱々しく子どもっぽい文字に、犯罪に手を染める前に手を差し伸べられていたらと、いつも思う。記者としてできることは、他にないのか。そうもがきたくなったことが、社会福祉士の門をたたいた最大動機だった。
「仲間になってほしい」。実習先の先輩に言われた言葉は今も胸に響く。職域や立場を超えてさまざまな人が福祉に関わっていく。傍観しているだけでは、福祉における公的責任の後退を認めることになる。福祉を受け身にさせない、そんな連鎖を広げたい。
個人の問題は社会の問題につながる。「どうしたの?」。小さな声かけから福祉の一歩は始まっていくのだから。
木原育子記者