「この子より先には死ねない…」 障がいある子ども持つ高齢両親の不安 「老障介護」の現実 #令和の子#令和の親(テレビ新広島) – Yahoo!ニュース
障がいのある子供を持つすべての親が心に抱く不安。
それは、いつか親である自分がいなくなった後、誰がこの子を見守ってくれるのか、ということ。
「この子より先には死ねない…」 取材で出会った親たちが漏らした言葉です。
高齢の親が、障がいのある子供を介護する、いわゆる「老障介護」 この問題にどう向き合っていけばいいのか?
それが取材のきっかけでした。
広島市安佐北区に住む 中山和華さん 40歳。 身体に重度の障がいがあり、歩くことができません。
母親の智子さん(70)が、和華さんの生活のほぼ全てを介助しています。
お風呂に入るときは、智子さんも一緒。服を脱がせて体を洗います。 娘が産まれて40年。
トイレに行くのも、いつも一緒です。
【中山智子さん(70)】 「元気な人と比べたら、中学生くらいになったらほとんど親の手を離れるけど、 ずっと4.5歳くらいの子供の世話と変わりません」
和華さんが1歳の時でした。 他の子に比べて発育が遅いと感じた智子さんは、和華さんを病院に連れて行き、 そこではじめて、身体に重度の障がいと、知的障がいがあることが判明します。
「訓練をしても歩くことはできない。健常者と同じようには育たない」と言われ、 ショックで何も言えない気持ちになったといいます。
あれから40年…。
パズル遊びが大好きな和華さん。ですが、智子さんの助けは欠かせません。 娘中心の生活… それでも、智子さんの和華さんへの愛情は変わらなかったといいます。
【中山智子さん(70)】 「ひょうきんなんです。 まだまだひょうきんさは出ていないけどひょうきんなところが可愛い」 部屋の壁には、大切な1枚の紙が貼ってあります。
「おとうさんおかあさん げんきで がんばってね わか」
幼い子供が書いたような文字で綴られた言葉。 文字を書く練習を続けてきた和華さんが、3年前の敬老の日に、精一杯、両親に伝えた感謝の気持ちです。
【中山秀紀さん(72)】 「カメラで顔は撮らないで、恥ずかしい…」 取材スタッフに、はにかんで笑顔を見せるのは、父親の秀紀さん72歳。 妻の智子さんと共に、和華さんをここまで育ててきました。
【中山秀紀さん(72)】 「(娘が)最初は声が出なくてショックを受けました。 レントゲンを撮ったときにこれは治らない成長は難しいと聞いていました。 娘の指を自分の口の中に入れて舌を動かしながら、舌で発音するのを何度もやって言葉を覚えさせました」 子供の頃、和華さんは、医師から声を出すのは不可能だと言われました。それでも…
【中山和華さん(40)】 「腰痛いな、おばあちゃんみたい…」 5歳頃からカタコトで会話ができるようになりました。 中山さん夫婦の、懸命な努力が実を結んだ確かな証です。 和華さんが大好きなパズルも「訓練に」と秀紀さんが買ってきました。
【中山秀紀さん(72)】 「知的訓練にもなると思った。ピースをはめるのは。年をとった者なりの何か成長させる方法はないかと思って。今支えるのは大変でもやれることはあるだろう。今でも試行錯誤」
ささやかな日常の幸せ…。
「老い」という現実に直面する両親たち
しかし、今、秀紀さんと智子さんには、日々、膨らんでいく「不安」があります。
自分たちが「確実に老いていく」という現実です。
智子さんは、娘を介助できる体力を維持するため、40歳の頃からヨガを続けています。
【中山智子さん(70)】 「いざというときには(娘が)倒れかけたのを止められるように、腕や足の力をつけて維持していきたいと思って始めています」 少しでも生きる力を身につけさせたいと、15年ほど前から、和華さんを広島市内の介護事業所に通わせるようになりました。 施設では、障がい者の身体機能を高めるため、介護士と一緒に訓練を行います。
【中山智子さん(70)】 「施設にはいろんな職員がいるから(娘が)自分と相性の悪い介護の方に もしあたったとしたら嫌だなと思います。 そういうことを、私たちが亡くなったら本人なりに乗り越えていかないといけない」 両親がいなくなってしまったら、和華さんは、施設で暮らさないといけません。
いつか訪れるその日のために、秀紀さんと智子さんができること…。 それは、和華さんが独りで生きていくための「準備」です。 親と一緒に寝る生活を送ってきた和華さんは、一人で寝ることに慣れていません。 親と離れることを、和華さんは、まだ受け入れることができません。
【中山智子さん(70)】 「よそで泊まることに慣れてほしい。本人にとって親亡き後、生活しやすい場所ができるのがいい」
心の叫び「あの子のいない世界に行きたかった」
何か行動しないと何も変わらない…
この日、智子さんが向かったのは、東広島市。 同じような境遇の家庭を支援する団体と一緒に、悩みを分かち合い、苦しい現状を広く知ってもらうため、講演会を企画することになったのです。
集まったのは、智子さんと同じ「老障介護」に向き合う「高齢の親たち」です。
【60代女性】 「障がいのある娘がいて44歳になります。 親も高齢なので先行きが心配。参考にさせてもらいたいです」 智子さんは、集まった親たちの気持ちが痛いほど分かります。 この苦しい胸のうちを、広く社会に理解して欲しい。そして何らかの支援をしてほしい。 気持ちが、智子さんを衝き動かします。
【中山智子さん(70)】 「たくさんの人に来て(話を)聞いていただいて、明日からもがんばろうという気持ちになってもらえたら私はやりがいがあります」
この日、講演をしたのは、呉市に住む児玉真美さん。 重度の心身障がいのある子供がいて、社会の支援が必要だと訴える活動をしています。
【日本ケアラー連盟/児玉真美代表理事】 「安心して我が子を託して死んでいける社会があるとしたら 親も家族もいきいきと生きられる懐の深い社会のこと。 親の多くがもうこれ以上できないという悲鳴を自分で押し殺し続けて生きてきた。 その封印を社会から解きにきてください」
親たちが発した「心の叫び」。 決して口にすることのなかった言葉が、大勢の仲間に支えられ、解き放たれます。
【参加者】 「私の夢は言ってはいけないけど、あの子のいない世界に行きたいことだった。 私だけだと思ったらこんなこと言っていいんだと思って本当に来てよかった」
智子さんたちが開いた講演会は、同じ境遇に立ち向かう「障がい者の親たち」にとって、 支え合うための、きっかけになったのかもしれません。
【中山智子さん(70)】 「障がい者の親という立場だけで生きてきたのが、障がい者の親だけど、それだけじゃないと声があがったのはすごく嬉しい」
「老障介護」。 高齢社会を迎えた日本で、この問題もまた、避けられない「社会の現実」です。 「障がい者支援」だけではなく、障がいのある子供と暮らす「高齢の親」を支えるために 社会はどう向き合っていけばいいのか? 確たる受け皿がない中で、時間ばかりが過ぎていきます。
「老障介護」に向き合うもう1組の家族
「老障介護」の取材を続ける中で、私たちは、別の家族と出会いました。
林田亜紀さん48歳。 身体に重度の障がいがあり、一人で歩くことはできません。
重い知的障がいもあるので、話すこともできません。
そんな亜紀さんが、毎日楽しみにしているのが、大好きなコーヒーゼリーです。
【林田勝美さん(74)】 「(コーヒーゼリーを食べさせてくれて)ありがとう」
父親の勝美さん(74)は、亜紀さんの些細な仕草から、娘の気持ちを読み取ります。
【林田勝美さん(74)】 「何を持ってくる? おやつ? おやつ食べる?」 勝美さんが「幸せ」に思うこと…。 それは、話せなくても、心は通じるということ。
【林田勝美さん(74)】 「言葉が通じないからコミュニケーションしている。お父さん亜紀ちゃん一緒に」 亜紀さんにとって、両親は自分の意思が通じる唯一の存在です。 産まれた時から発育が遅かった亜紀さん。 1歳のとき、心配した勝美さん夫婦が病院に連れて行き、障がいのあることが分かりました。 それでも、勝美さんたちは、娘を健常者と同じように育て、幾度も旅行に連れて行きました。
【林田勝美さん(74)】 「私らが子供のときは親が、障がいのある人を隠していた。だからそういうことはしない。 障がいがあっても一般の子供と一緒に外に出す。見る人がいても気にしない。 障がいの子こんなに可愛いのに」 勝美さんの思いは、今も変わりません。
【林田勝美さん(74)】 「いつも家ばっかりだから外で景色のいいところがあったらそういう所を見せたい。 私が散歩に行って景色がいいところをあっちゃんも一緒に見てもらいたい」
70代も半ばを迎えた勝美さんが、今、毎日思い浮かべるのは「自分たちが老いている」という厳しい現実です。 これまで一緒に娘を介助していた妻の絹子さん(74)は、去年から思うように体が動かなくなり、勝美さんは、家事の殆どを1人で行っています。
【林田絹子さん(74)】 「私らは今年で75歳になるから後10年。10年後は85歳ですから後何年見られるか」 「老い」に抗い、娘のために介助できる「体」を維持しようと、運動は欠かしません。
【林田勝美さん(74)】 「元気でずっと(娘を)見届けるまではしっかり歩かないと面倒見られませんから」 昼の間、亜紀さんは、広島市内のデイサービスに通っています。 そこで、身体の機能を高めるための歩行訓練を行っています。 両親がいなくなった後も続いていく亜紀さんの人生。 しかし、障がいのある人が入所できる施設は全国的にも足りないと言われています。
【林田勝美さん(74)】 「最終的には施設にお願いしたい。施設に入れるかどうか」
【林田絹子さん(74)】 「施設に入れれば安心できるけど入れなかったら死ねない」
施設に入りたくても入られない現実
先々のことを考えて、勝美さんたちは、亜紀さんが入所できそうな施設を探しています。 この日、訪れたのは、広島市内の障がい者支援施設。
【白木の郷/相談員】 「こちらがお風呂の機械になります」 そこには充実した設備が整っていました。
【白木の郷/相談員】 「こちらが個室になっています」 設備は整っていました。しかし、どうして亜紀さんを施設に入れないのか…。 勝美さんが心の内を打ち明けてくれました。
【林田勝美さん(74)】 「今から年をとってきた親が見られない子が増えてくる。困った親がどこの(施設に)行ったらいいか分からない。どこも(施設が)いっぱいと言われているから」
【白木の郷/相談員】 「今すぐ入りたいという状況で施設を探している家族は全国的に多い。 事業所の全体的な数が、障がいの分野は少ない。 新しい施設の数が増えることが必要になってくる」
施設の担当者によりますと、常に50人程の障がい者が、入所を待っているといいます。 今いる入所者がいなくなるか、または、病気などの理由で他の施設に移動すること以外、 長期で施設に入ることは難しいのが現状です。 仮に、親が急病になるなどして、やむを得ず子供を介護できない場合、施設側は、短期で介護を行う「ショートステイ」の期間を延ばすなどして対応しています。
【白木の郷/相談員】 「施設を運営していくとなると、どうしても働き手が必要になる。 介護の人材不足が話題にある。 介護という仕事に興味を持っていただく機会を今後作っていくことも必要になってくる」
【林田勝美さん(74)】 「私の寿命もありますから75歳になりますから今年。 長期の入所ができるように手続きだけは終わらせようと思う」 ここでもまた浮き彫りとなった「老障介護」の現実と課題。
いったいどのくらいいの家庭がこの問題に直面しているのか、国は、まだ実態調査すら行っていません。 障がいのある子どもと家族の「慣れ親しんだ」日常の生活。そして、ささやかな幸せ。
やがて訪れる「おわりの時」に、不安と恐れを感じながら… 勝美さんと絹子さんは、きょうも、亜紀さんへの変わることのない愛情を注ぎ続けています。