宮本憲一著「環境経済学」書評 評者・宇沢弘文(新潟大学経済学部)

第二次世界大戦後、約四半世紀にわたって世界経済は、資本主義諸国も、社会主義諸国も、全般的に高原的な経済成長を遂げ、比較的平穏な時代を経験したかにみえた。

とくに、いわゆる先進工業諸国は押しなべて、急速なテンポで重化学工業化を押し進め、高い経済成長率を享受し、都市化の速度もきわめて速かった。

しかし、このような状況は長くつづかなかった。

1970年代に入るとともに、さまざまなかたちでの問題が顕在化し、世界経済は一転して不均衡の時代に入り、年とともに、その混迷度を深めるという結果になった。

高度成長期に蓄積された歪みのもっとも深刻なものが公害、環境破壊の問題だったのである。

高度経済成長の時代に、各国とも、自然的、社会的環境の破壊、汚染にほとんど考慮を払うことなく、ただひたすらに、せまい意味での経済成長を求めて、民間企業も政府も一体となって、重化学工業化、都市化を押し進めていったのであった。

とくに日本経済の場合、ほかの国々に比して、はるかに高い経済成長率を長期間にわたって維持していったのであるが、公害、環境破壊もまたきわめて深刻な結果を引き起こし、まさに”公害の実験室”という様相を呈することになった。

このような状況に直面して、各国は、環境保護をきわめて優先度の高い政策目標として設定し、環境保護のための法体系がつくられるようになった。

1972年、ストックホルムで国連の人間環境会議が開かれたが、それはまさに”思想の革命”と呼ばれるにふさわしいインパクトを与えたのであった。

ここに紹介する書物の著者である宮本憲一氏は、はやくから日本の公害問題に関心をもち、その実態分析とともに被害者救済の具体的手法、環境保全のための政策的可能性を指向して、精力的な研究をつづけてこられた経済学者である。

1964年に刊行された庄司光氏との共著”恐るべき公害”は、日本における、公害問題にかんする最初の学際的研究の成果であるとともに、この問題の深刻さを多くの人々にはっきり意識させ、その後の反公害運動の一つの柱となったという歴史的な役割を果たした。

宮本氏が本書で目的とされているのは、環境経済学という新しい経済学の学問分野の開拓である。

公害問題はこれまでの経済学、とくに近代経済学の考え方に大きな衝撃を与えた。

経済学の基本的前提の一つに、生産要素の私有性という仮定があった。

生産、消費という経済活動のために必要な希少資源はすべて私有されるか、あるいは私有されないような希少資源は無尽蔵にあって制約とはならないという前提のもとで議論が進められていたのである。

これまで、環境問題を取り入れた経済学の展開は、これまでにも何人かの経済学者によって試みられてきたが、必ずしも満足できるものではなかった。

宮本氏の視点は、環境は経済学のなかに包摂できるものではなく、逆に、環境学のなかに経済が内包されるものであるという、まさにコペルニクス的発想にもとづいている。

このような発想はすでに、宮本氏の”社会資本論”(1967年)に、その萌芽がみられるが、本書でさらに体系的な展開が試みられ、真の意味における環境経済学が、その全容を私たちに現している。

宮本氏の”環境経済学”はまず、そのもっとも基本的な性格として、環境と経済発展、環境問題、環境政策という三つの異なる局面を、一つの整合的な枠組のなかで取り扱うことができるという点である。

”公害の政治経済学” (1972年、都留重人)が、公害による被害にその焦点を当てるという傾向をもつのに対して、”環境経済学”は、原因、結果、対策を一つの理論的な枠組のなかで分析しようとするものである。

そして、文化的、社会的、審美的な観点から環境問題を取り扱おうという最近のアメニティ運動を、このような綜合的な視点から見直すという意味もまた含まれている。

宮本氏の意図はさらに包括的、かつ野心的である。

すなわち、環境経済学は、”市場の失敗”と”政府の失敗”とをともに超克するような理論的枠組であるということである。

”市場の失敗”というのは、資本主義的な市場制度のもとにおける資源配分のメカニズムが、公害問題とか、所得分配の不平等化、あるいは資源の非効率的な配分、さらに労働疎外などという社会的に望ましくない結果を生み出すことを意味する。

それに対して、”政府の失敗”というときには、政府が分権的市場経済制度に介入したり、あるいは、中央集権的な計画経済のもとで経済計画を策定するとき、大きな過誤を犯すことが一般的であることを意味する。

環境という包括的な概念を軸にして、資本主義と社会主義という対立的な経済体制を一つの整合的な理論枠組のなかで分析しようという試みは、経済学の歴史のなかでも、一つのエポックを形成するものである。

この試みが具体的にどのようなかたちで展開されるかということは、本書の第二章”環境と社会体制・政治経済構造”、第三章”環境問題の政治経済学”、第四章”環境政策と国家”にくわしく説明されている。

これらの章は、たんに理論的な展開だけに止まらず、それぞれ概念規定に対応する具体的な事例によって裏付けられている。


それは、宮本氏の所論がたんなる論理的な展開ではなく、歴史的、実証的な研究によって裏書きされているということを意味する。

このような分析をふまえて、”内発的発展”という斬新な道が、私たちの進むべき方向として提示される。

”内発的発展”というのは、環境か、開発かという二者択一の考え方ではなく、分権と参加という地方自治の原則の上に立って、環境を保全しながら、地域の経済的発展をはかろうというものであって、たんに先進工業諸国だけでなく、発展途上諸国の経済発展に対しても重要な示唆を与えるものとなっている。

紙数の制約もあって、”環境経済学”の内容に立ち入って紹介することはできなかったが、評者はこの書物を一読して、公害先進国日本が生んだ、もっとも大きな経済学の新機軸がここに展開されているのをみて、一種の論理的感動を覚えるものである。

社会科学に関心を抱く方々は当然、自然科学の専門家の方々にもぜひこの書物をよんでいただいて、世界の環境経済学のピークを、一人の日本の経済学者が踏破したことを知っていただきたいと思う。

岩波書店 1989年 378頁     書評掲載「科学」1989年9月号

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