「先生」という病〜教師、弁護士、地域の名士たちが加害者になる理由~社会には「いじめの種」が溢れている~

「先生」という病〜教師、弁護士、地域の名士たちが加害者になる理由(阿部 恭子) | 現代ビジネス | 講談社(1/7) (gendai.media)

特定非営利活動法人WorldOpenHeart – マイノリティでもこわくない! 阿部恭子さん記事↓

更生保護に関わる筆者として、以下の記事は、忘れてはならない視点だと思っています。

教師が犯罪者になるまで

神戸市須磨区の小学校で起きた教員間いじめ事件。後輩教員を羽交い絞めにし、無理やり激辛カレーを口に入れ、笑いものにしている動画は、日本中に衝撃を与えた。

動画の行為に止まらず、日常的に行われていた暴言、セクシュアル・ハラスメントなど、加害教師たちによる加害行為が次々と明らかとなり、教育現場への不信は募るばかりである。

筆者は、加害者家族支援を通してさまざまな事件の背景を見てきたが、加害者が学校教員を始め、大学教授、医師や弁護士、慈善活動家など、社会的信頼が高く「先生」と呼ばれる地位にあるケースは決して珍しくはない。

中学校の教師をしていた相原聡さん(仮名・30代)は、未成年者との性行為により逮捕され、懲戒免職となった。

「学校は社会からの期待と信頼を裏切って申し訳なかったと謝罪していましたが、そもそも教師に対する社会からの信頼なんてあったのでしょうか。生徒からも保護者からも尊敬されていると感じたことはないし、同僚で尊敬できる教師もいませんでした……」

相原さんは、希望に燃えて教師の職に就いたが、実際の教育現場では失望ばかりだった。相原さんが勤めていた学校は地域でも「荒れている」と評判で、生徒たちは校則も守らず、挨拶もしないような学校だった。学校側は事なかれ主義で、教師たちは、保護者からの不条理なクレームや生徒からの暴言に対してもただ受け流すようにと言われるだけだった。

生徒と友達感覚で付き合う教師は、生徒たちに慕われたが、相原さんの教師像とは正反対だった。相原さんは職場に馴染めず、問題をすべて一人で抱え込み孤立していた。不眠や食欲不振に悩まされるようになり精神科にも通ったが、悩みが解決することはなかった。

その頃、教え子だった卒業生が相原さんを訪ねて来ることがあった。相原さんは、彼女から度々相談を受けるうちに特別な感情を抱くようになった。彼女は、学校の事情をよくわかっており、相原さんの悩みをすぐ理解してくれたからだ。その後、学校の外でもふたりで会うようになり、性的関係を持つに至った。

「彼女だけは全てを受け入れてくれるだろうと、完全に依存してしまっていました……」

家族が見ていた犯罪の兆候

相原さんの妹の優子さん(仮名・30代)は、すでに家庭を築いており、事件当時、二人目の子どもを妊娠していたが、夫の両親から「性犯罪者の子どもは孫とは思わない」と絶縁され、ストレスから流産してしまった。

「私たちは男尊女卑の環境で育ちました。兄は独善的で、相手を思いやる気持ちがない人なのでこのような事件に繋がったのだと思います」

相原さんの父親は弁護士だった。相原さんは次男で、長男には知的障がいがあった。父親は長男の障がいの事実を知ってから酷く落ち込み、仕事を理由に家に戻らない日が続いたという。次男が生まれ、順調に成長していることがわかると、次男だけを「我が子」として溺愛するようになった。

相原さんだけが、沢山の本が並ぶ大きな部屋を与えられ、他のきょうだいは「聡の勉強の邪魔をしないように」と厳しく言いつけられていた。

学校の成績が良かった優子さんは、弁護士になりたいと父に打ち明けると、

「優子は福祉の仕事に就いて、一生長男の面倒を見なさい」

と言われ、絶望感に打ちひしがれた。

優子さんの役目は長男の世話をすることで、塾や習い事に通うことも、家族旅行に連れて行ってもらうことさえ一度もなかった。

優子さんは、高校卒業と同時に家を出た。

相原さんは、家では絶対的な存在で、家庭でも学校でも困りごとが生じれば、すべて親が対応し、問題対処能力に欠けていた。プライドが高すぎて、人とうまく関われないところもあったという。

優子さんは、教育にお金をかけてもらえる兄が羨ましくて仕方なかったが、相原さんにとっては、エリートでなければならないという父親からのプレッシャーに苦しんでいたという。

相原さんの父親は、地元では名の通った弁護士だったが、きょうだいや親戚はさらに優秀な人ばかりで劣等感に苛まれていた。それゆえ、子どもに過剰に期待してしまい教育虐待に走ったのだった。

地元の名士から加害者家族へ

村岡正さん(仮名・60代)の息子、俊介さん(仮名・30代)は詐欺罪で逮捕され、刑務所に服役している。村岡さんは、地域では知らない人がいない地元の名士だった。上京していた息子が起こした事件は全国的に報道され、村岡さんの住む地域にまで届いた。

「両親は恥ずかしくてもうあの町では暮らせないって泣いてましたが、何を今さら。僕はあの町で散々悪さをしてきたんで、町の人たちはみんな知っていますよ」

俊介さんの服役は既に三度目で、これまでも窃盗や強盗を繰り返してきた。

「家ではいつも親父の暴力に怯えていたので、刑務所の方がずっとマシです」

俊介さんは、権力者に媚び諂い、弱者を虐げる父親を心底軽蔑していた。父は外面はよいが、家庭ではいつもイライラしていて、母や子どもたちに八つ当たりするのだった。村岡さんは、家では父の機嫌を取らなければならず、学校でも優等生でいなくてはならない。どこにいても気の休まる場所がなかった。

地元の名士といっても家庭は裕福ではなく、むしろ貧しかった。見栄っ張りな父は、人が来るたびに豪華なもてなしをしていたが、新品の洋服や玩具を買ってもらったり、家族で旅行に行ったことさえなかったという。

小遣いを与えてもらえなかった俊介さんは、他の子どもたちが羨ましくなり、近所で万引きをしたことがあった。すぐに店員に見つかってしまったが、

「村岡先生の息子さんでしょ?いいよ、持っていきなさい」

店員はそういって見逃してくれた。それからは欲しいものがあれば万引きをするようになった。

受験勉強のストレスが溜まると万引きだけでは物足りず、いじめや恐喝までするようになっていた。

「もちろん親にバレたら殺されますから、相手(被害者)は抵抗できない奴を選んでいました。警察に行っても親父がもみ消すというと、たいていおとなしく金を出してくれました」

俊介さんは、親の期待通りの大学に合格することができた。しかし上京して家族から解放された途端、大学など行かずに夜の街に入り浸るようになった。散在して借金がたまると、窃盗や強盗をしてすぐに逮捕された。それからは、刑務所を出たり入ったりする人生を歩んできた。

村岡さんは、息子の服役が三度目であることも、幼い頃から非行を繰り返していたことも全く気がついていなかった。事件をきっかけとして退職し、残りの人生は息子と向き合いたいと話している。

「先生」であるがゆえの不全感

「先生」と呼ばれる人々や有名人による不祥事は、世間から厳しく批判され、社会的制裁を受けることもある。社会的地位が高ければ高いほど、自ら犯した加害行為のみならず、家族が犯した罪の責任まで問われるのが日本社会である。

尊敬される立場に在る人ならば、公私ともに完璧でなくてはならないという考えには無理がある。「この人なら大丈夫」という過信は、さまざまな場面で、問題の発覚を遅らせることにも繋がる。

「先生」と呼ばれる人々こそ、緊張感を要する環境におり、常に世間の目に晒されているストレスは大きい。責任を分散できるような環境にいない人は、困りごとが生じても誰にも相談できず、問題を抱え込んでしまう傾向がある。

大卒者が少ない時代のように教師が尊敬されることはなく、さまざまな問題が学校に持ち込まれるようになり対応に苦慮している教師は多いという。

医師や弁護士の社会的地位は高いかもしれないが、実際、学歴や収入はさまざまで、エリート社会の中で劣等感を抱えている人も少なくない。社会的に意義のある仕事をしていても、十分な収入が得られない人々も存在する。他人から羨ましいと思われるような人であっても、悩みや劣等感を抱えていることも珍しくはない。

それでも特に問題を起こさず生活している人々は、他人に依存せずストレスに対処できる自律した人である。加害者たちは、社会的評価とのギャップから生ずる不全感を自分より弱い相手を支配することで解消しようとする弱い人間なのだ。

加害の原因となっている不全感への対処を考えない限り、加害行為は繰り返される。不祥事が起きると、組織は監視を強化することで再発防止を図ろうとするが、逆に加害行為の陰湿化を招くおそれがある。

加害者たちは、学校でのいじめや職場でのハラスメントが人権侵害に当たるということを理解していないわけではない。頭では理解していても、感情が追い付かないのだ。監視の目が厳しくなれば、目の届きにくい親密圏、家庭などを加害現場に選ぶのである。

神戸市須磨区の教員いじめ事件の加害者たちは、自分たちが行った加害行為について、「被害者との関係では許されると思っていた」と説明しているという。つまり、相手によっては、暴力や人格否定も許容されると考えていたということだ。

被害者が抵抗しないことを理由に、加害行為が正当化されるわけではない。この程度なら、この関係であればと、グレーゾーンを設ける限り、被害者を無くすことはできない。暴力・人格否定はいかなる間柄でも許されないという理解を徹底しなければならない。

暴力や人格否定を伴う厳しい指導があったからこそ、勉強やスポーツで成功できたと考えている人もいるかもしれない。しかし、乱暴な方法を用いなくても成功に導く方法はいくらでもあり、現代の指導者はその術を身に付けていなくてはならない。

恐怖を与えて精神的に追いつめる方法は、短期的な成功を生むことがあるかもしれないが、自殺や加害行為を生むリスクの方が高いといえる。

「いじめにはいじめを!」では再発は防げない

いじめは、決して許されるべき行為ではなく、加害者には厳しい処分が下されるべきことは言うまでもない。それでも、加害者が生きる権利を奪う権利は誰にもないのだ。

加害者が特定されると、一斉に個人情報の暴露や誹謗中傷が行われ、「加害者を追いつめることこそ正義」と言わんばかりに攻撃はエスカレートする。

しかし、既に反論が許されないような状況に追いつめられている人をさらに追いつめる行為こそ「いじめ」ではないだろうか。

行き過ぎた制裁は、一時の応報感情を満たすだけであって、被害者の救済にはならない。

加害者たちは、家庭や学校、職場など、過去に必ず、暴力や人格否定を自ら受けたり、面前で行われていたことによって間違った学習をしてきたはずである。

体罰やハラスメントが横行していた環境で過ごした人々の中には、暴力や人格否定による対処が身についてしまっている人々もいる。神戸市須磨区の事件では、動画という動かぬ証拠によっていじめの事実が明らかとなったが、被害者が泣き寝入りせざるを得ない状況にあるケースも多いのではないだろうか。

再発防止に必要なことは、加害者たちが、いつ、どこで暴力や人格否定を身に付けてしまったのか、丁寧に聞き取り、再教育していくことである。同時に、被害者の長期的なケアと、被害者が泣き寝入りすることがないよう相談窓口を整備しておくことである。

相手を貶める冗談やヘイトスピーチが、一定の人々から人気を集めることがある。被害者が深く傷ついていても、周囲の肯定的な反応によって加害行為は正当化されエスカレートする。

社会には、「いじめの種」と言えるような言動が溢れており、行為の正当性について常に議論していかなくてはならない。いつのまにか加害行為に加担してはいないか。加害者の視点から事件を見つめ直すことも重要ではないだろうか。

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