インド仏教徒の頂点に立つ男=佐々井秀嶺さん(88)が四年ぶりに来日。その佐々井秀嶺さんのお話を、四谷真成院にて、直接お聞きしてきました

南天会(なんてんかい)という団体をご存じでしょうか?

インド仏教復興運動の最前線に立つ、佐々井秀嶺上人公認の後援会です。

南天会トップページ – 南天会|佐々井秀嶺上人の活動を支援するネットワーク (nantenkai.org)

佐々井秀嶺(ささい しゅうれい)さんプロフィール(南天会HPより)

1935年 岡山県生まれ。25歳の時、高尾山薬王院にて得度。

1965年、交換留学生としてタイに渡り、その後インドに入る。1967年、龍樹菩薩の霊告によりナグプールに赴く。ナグプールは1956年、B・R・アンベードカル博士が数十万人の不可触民と共に、仏教に改宗した場所であった。以来、現地の仏教徒と寝食を共にし、アンベードカル博士の仏教復興運動を継承。1988年、百万人の市民の署名によりインド国籍を取得。インド名Arya Nagarjuna Shurei Sasai。毎年10月に行われる、ナグプールの大改宗式で導師を勤め、およそ1億人とも言われるインド仏教徒の最高指導者となる。ブッダガヤ大菩提寺の管理権を仏教徒の手に返す奪還運動を主導

2003年より3年間、インド政府少数者委員会(マイノリティ・コミッション)の仏教代表に就任。仏教徒の社会的地位向上に尽力する。1990年代より、マンセル遺跡、シルプール遺跡に関わり、仏教遺跡の発掘、保存を展開する。2009年、44年ぶりに日本に帰国。翌年、ナグプール郊外に龍樹菩薩大寺を建立し、大乗仏教の祖師龍樹菩薩を顕彰する一大拠点を設ける。2011年より3年連続して帰国、東日本大震災の被災地を訪れ、犠牲者を追悼し、原発の非道を訴える。


その佐々井秀嶺さん(88)、四年ぶりに来日。

前回来日した際、三鷹市での講演の際、筆者は会場へ行きました。

佐々井さんの活動に圧倒されている私は、この四年ぶりの機会は逃すまじと、また佐々井秀嶺さんのお話を直接お聞きするために、四谷真成院(東京都新宿区若葉2-7-8)へ伺ってお話をお聞きしてきました。

最近の動画はこちらから↓


以下は、筆者が四谷真成院さんにて撮影した写真。

写真左は、有名な小野龍光さん。佐々井さんの来日期間中、佐々井さんの移動のサポートのみならず、身のお世話もされています。小野さんは、youtubeなどでも積極的に発言されています。


お話の最後は全員で、釈尊・アンベードカル博士を称え、同時に「全世界の生きとし生けるものの幸せを願い」、僧侶の掛け声に合わせて「オー」と、拳を突き上げます。

まるでコンサートのライブのよう。日本のお寺の法話会では、ほぼありえないことです。

百聞は一見に如かず

お寺の生まれではない私ですが、私も日本の僧侶の端くれとして、このブログを通じて、佐々井秀嶺さんについて書きたいことは、山ほどあります。ですが「百聞は一見に如かず」。

まずは佐々井さんの活動に触れ、直接お目にかかり、「体感」することが一番だと思いますので、このブログ上では、あえて書きません。本日も築地本願寺で佐々井秀嶺さんのお話を聞く機会があります。ご興味のある方は、是非。

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