ジャーナリストから見た「ショック・ドクトリン」(上) ジャーナリスト 金平茂紀
、、、「新たなる戦前」というテーマは、去年の暮れに「徹子の部屋」に出ていたタモリが、黒柳徹子さんに「来年はどんな年になりますかね?」と聞かれ、「誰も予測できないですよね。でも、なんていうかな、新しい戦前になるんじゃないですかね」と言ったんです。
トーク番組でこういうことをさらっと言うのは、タモリにしかできないです。
尊敬している忌野清志郎というロックスターが、RCサクセションというグループで「言論の自由」という歌を歌っています。
「本当のことなんか言えない 本当のことなんか言えない 言えば殺される」
すごいメッセージ性の強い歌ですけれども、いまの時代は本当にこの通りだなと思いながら聞いていました。
この1か月のわずかの期間のうちに戦後そのものを象徴してきたような3人の方が亡くなりました。
すごい喪失感というかショックで、もっと言うとおいていかれたような気持ちが正直にいうとあります。
これは戦後が終わって新しい戦前になるんだということをシンボリックに表していることだろうなど受けとめています。
3月28日、おつきあいをさせてもらった同世代の坂本龍一が亡くなりました。
癌とたたかっていてステージ4で、余命が少ないということは知っていました。
喪失感があまりにも大きい。
坂本龍一は、新宿高校を出ていて、名誉も名声も実力も人気もすべて得た人ですけれども、ものすごく今の世の中に対してこんなことでいいのだろうかという思いを抱きながら、おそらく亡くなったんだろうと思っています。
それからノーベル賞作家の大江健三郎です。
難解ですけれど、ものすごく素晴らしい作家だと思います。
晩年になってから書いた作品もすごいと思います。
作家としての好奇心、エネルギーは、ある種の権威をもっていて、社会問題についても明確な立場をもっていました。
大江健三郎は、最後まで戦後という時代を象徴して自分の作品を書き続けた人だと思います。
鈴木邦男は、新右翼だとマスメディアには言われていて、一水会を立ち上げた一人です。
亡くなられてから思うとすごく清々しい方で、清貧という言葉がありますが、生涯独身で、日本の国を愛するという意味ではものすごく意志の強い人でした。
立場の違う人でも受け入れて話し、いきなり暴力を使うような人ではありません。
考え方が違っていても徹底的に話をするというのは勇気がいることですが、その姿勢を貫き続けた人はなかなかいません。
自分のいった言葉に対して責任をもつというんですか、言ったこととやったことがまったく違う人がいるではないですか。
口先だけで生きている人が、テレビをつけるといっぱいいるでしょう。
取材もしないでテレビにでてきてお喋りをしているとか、何も知らないことを、わかったように、物事をいいように発言するような人とか。
何も動かないけれども、口先だけで生きている人間がいるではないですか。
鈴木邦男はまったく逆の人間でした。
行動をともなうというか、自分の信じていることについては、自分の信念にしたがって、物事を起こしていく。
そういうので、長くおつきあいすることになりました。
忌野清志郎が亡くなった時、メディアは永遠のロックスターが逝ったみたいなことで、もてはやしたんです。
坂本龍一は、清志郎がいろんなことをやって戦っている時は黙殺して、死んだら急にスターみたいなことにして、おかしいじゃないか、言いたいことが言えない日本はおかしいよね。もっと言いたいことを言おうじゃないかと怒って言っていました。
坂本さんは原発のこととか、安保法制のこととか、地球温暖化とか、いろんなところで行動をしていて、音楽家であるにもかかわらず社会的なことについて声をあげていました。
その時、メディアは黙殺していて、亡くなってから「世界のサカモト」とか、社会のことについても発言していたみたいなことを言うって、鈴木邦男じゃないけれども、メディアの振る舞い方として、すごく卑怯だと思います。
本人たちが必死に命がけでメッセージを発しているときは、黙って見て見ぬふりをしておいて、亡くなってから「坂本さんは社会的なことについても発言していました」みたいなことを言うのは、汚いじゃないですか。そういう生き方はしたくないです。
「花園神社社報」 5月1日 掲載