お釈迦様の父親は、釈迦族の浄飯王(じょうぼんのう)、母親は摩耶夫人(まやぶにん)と言い伝えられています。
お釈迦様は、母親である摩耶夫人の右脇から生まれて、すぐに七歩歩かれ、右手を上に、左手を下に向けて、「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)と宣言された、と伝えられています。
「天上天下唯我独尊」とは、「天の上にも天の下にも唯、我、独(ひとり)として尊し」ということです。
それは、お釈迦様一人が尊いということではなく、いのちを賜った私たち一人一人が、<誰とも代わることのできない尊い存在である>と、気付かれたことを意味します。
しかしながら、現代を生きる私たちは、自分自身が「尊い身」であるという、存在の意味が明らかになりません。
そのような私に対して、お釈迦様は浄土三部経の中の一つ『仏説無量寿経』の中で、「各皆一等」(かくかいいっとう)という言葉で、浄土の八功徳水の浴池の荘厳を教えて下さいます。
「各皆一等」とは、浄土には一等が沢山あるという教説です。
私は二等でも三等でもなく、劣等感や優越感に左右されることなく、生まれながらに持っている個性の光を互いに認め合いながら、生き生きと輝かせて生きて行くことの出来る世界が、今ここにあることを示しています。
藤の花も綺麗に咲きました。